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【小説】ガン爺 #1
〈本編4,736字〉
銃を所持した老人が校区をうろついているから、今日は集団下校になるらしい。嫌だ。
わたしは今日も寝坊した。当然、今朝は班に置いて行かれて一人で登校したし、登校班の集合時間に間に合ったところで、徒歩2kmの間みんなわたしを小馬鹿にするだけだ。集団下校なんて最悪。
もちろん、わたしを馬鹿にしてくるやつらが絶対に悪い。悪いんだけど、小学五年生にもなって逆上がりができないほど運痴で週末に持ち帰った給食エプロンを翌週月曜から金曜まで家に忘れ続けるほどドジで林間学校の暗夜行路で大泣きして楽しいレクリエーションをぶち壊したほどビビりなわたしにも、馬鹿にされるような隙はほんのちょっとだけある。
わたしは、もっと強くならなきゃいけない。だから、最悪だとは思うけど、今日は集団下校を頑張ることにする。今日は馬鹿にされても泣かないし、用水路だって軽々跳び越えてみせる。そう決めた。
決めたのに。
「びぇっ、びぇっ……あふっ、ふぅぅぅ、うぇええええええええ」
わたしは今日もまた泣いていた。汚くうるさく喚いてしまっていた。登校班の同学年のやつらはもちろん最初の内はけらけら嘲笑っていたが、わたしがあまりにも泣き喚いてその場を動かないので段々引き気味になってきている。いつもは一緒になって馬鹿にしてくる六年生も、見て見ぬフリをしてくる下級生も、次第に早く帰りたくなってきているのがわかった。
わたしの前進を止めたのは、スズメバチの巣だった。通学路沿いの民家の軒先にあるデカめのやつで、時折働きバチ達が恐ろしい羽音を勇ましく鳴らしながら、忙しそうに出入りしている。みんな余裕げに真横を通過してしまったが、正気の沙汰とは思えない。あの虫ごときに許されてはいけない大きな体と地球の生物とは思えない強面、恐すぎる。刺されたらどうするつもりなの?
「美晴ちゃーん、もう私達行くからね!」
唯一優しくしてくれている班長さんは、ハチの巣の向こうからわたしに声をかけた。わたし一人に十人以上が足止めされているなんて、確かに強い人間が良しとしていい状況ではない。敢然と声を張り上げて返したかったけど、
「う、うぇ、ひゃぁい」
と情けない声しか出せなかった。本当は行ってほしくなかった。だったら追いかけるしかなかった。それができたら苦労はしなかった。
結局そこから十分ぐらい一人で立ち尽くして、わたしはようやく泣き止むことができた。強くなれたんじゃなくて、単純に泣きすぎて頭が痛くなるほど水分が涸れてしまったからだ。
水筒の中身は無い。水を汲める公園はもう通りすぎてしまった。行かなきゃいけない。
わたしはちょっと引き返して左に曲がり、スズメバチの巣を迂回することにした。五分ぐらい余計にかかるけど、そんなことはハチの恐怖に比べれば問題じゃない。一人の通学路は慣れてるし。
でも、迂回先は一人じゃなかった。浅黒い肌をした老人が、向こうからゆったりと歩いてきていた。坊主頭の老人は小さなサングラスをかけ、白いタンクトップ越しでもわかる筋肉質な体をしていた。そして、腰からハンドガンをぶら下げていた。
ハンドガン?
Apexのやりすぎだろうか、日本の小学五年生が見ただけでそれと判断できてしまうのは良くない気がする。でも、それは明らかにハンドガンと呼べる銃器だったし、銃を所持して校区をうろつく老人とは、明らかに目の前の人のことだった。
「え……え?」
さっきからまともに言葉を使えていない。だったら何も言わない方がいいんだけど、下手に声を出してしまったせいで老人がこちらに気づいてしまった。
「人払いは済ませたと思ったが……まだ子どもがいたのか」
老人は芯の通った低い声で穏やかに言い、腰の銃に手を伸ばした。心臓が一度だけドキンと暴れ、わたしは文字にすらならない悲鳴を上げてがむしゃらに走りだす。50メートル走はクラスの女子で一番遅い。通学路以外の道もあまりよく知らない。だけど、あんな意味のわからない恐怖から逃げるためならどこへだって全力で走る。
老人が何かを言った気がするけど、構っていられない。早く射線から外れないと撃ち殺される。ある程度の距離を取れば、背中を撃たれたとしてもランドセルを貫通してこないはず。わかんないけど。
ちらりと後ろを確認したつもりが、体ごと大きく振り向いてしまった。運痴がバレたらさらにまずい。でも、老人はいなかった。
老人はいなかった!
それがわかったらどっと疲れが押し寄せてきて、それから滝のような汗が追いつく。脚が固くなった感覚がして、渇きを思い出す。駄目元で水筒の蓋を開けて飲み口を傾けてみたけど、たった一滴しか出なかった。それを口にしたら余計に渇きが強まった。誰かに助けを求めたかったけどこっちの方角に帰る小学生は見当たらなかったし、地域の人も外に出ていなかった。
「ねえ君、喉渇いてるでしょ」
不意に声がした。女性の声で、耳によく馴染むいい声だった。
声の方に目をやると、スタイルのいい若い女性が心配そうにわたしを見ていた。女性は白いロングワンピースを着ていて、長くて黒いさらさらの髪を垂らしていた。
「え、あ……はい」
とりあえず怖くなさそうな見た目をしていたので返事をすると、女性は微笑んで指を鳴らした。
ぐらり、と女性の隣の何もない空間が歪んで、そこから石灰で引いた白線みたいな鮮やかさの白い光が現れた。それは何かの紋様みたいで、幾何学模様なのか魔法陣なのかはわたしには見抜けなかったし、見抜く前に消えてしまった。その代わりに現れたのは、ファミレスやカラオケなんかでよく見るドリンクバーの機械だった。
「驚いたでしょ?」
わたしが何かを言う前に、女性は目を細めて笑った。
「な、何ですか、これ?」
「ドリンクサーバー」
端的に答えられてしまったが、聞きたいのはそういうことではない。
「何か、あの魔法陣みたいなやつ?から出てきましたけど……」
「ああ、ちょっとね。私は仙人だから術が使えるの」
「仙人?」
「そう、仙人。長い間生きて、術を使うことができるようになった人のこと」
何を言っているかよくわからないけど、実際にドリンクサーバーというらしい機械を出されてしまった後では、そういうものがあるんだという事実があるとわかるしかない。
仙人を名乗る女性は、どこから取り出したのかわからないコップを既に注ぎ口にセットしていた。
「何がいい?」
「あ、えと……じゃあ、カルピスソーダで」
何だか飲み物を恵んでくれるようなので、ありがたく受け取ることにする。
「仙人って、その、何なんですか?」
カルピスソーダが注がれる音に紛れて質問が聞こえなかったのか、女性は何も言わなかった。
「はいどうぞ」
よく冷えたカルピスソーダが入ったコップを渡され、わたしはためらいがちに礼を言ってから口に運ぼうとして、
銃声が鳴った。
コップが割れた。
冷たくて濡れた感覚がして、甘い匂いが立ち上った。
「……ガン爺!」
さっきまで穏やかだった女性の顔は、狂暴に歪んでいる。スズメバチみたいだった。彼女の視線の先を見ると、あの老人が銃を構えていた。ガン爺、というようだ。銃口から煙は出ていないが、代わりにさっきドリンクサーバーが出てきたときと同じような鮮やかな白い光の紋様が照準を合わせるように動いている。
「お嬢ちゃん、そのババアから離れなさい」
ガン爺の芯の通った低い声は、わたしを諭しているようだった。
「何がババアだ!死にさらせ!」
叫ぶ女がさっきわたしにカルピスソーダを恵もうとしてくれた人と同一人物だなんて、全く思えなかった。その声には切れ味があった。
「儂もあんたももう充分年寄りだろう、ドリンク婆!」
ガン爺が叫び返した直後、何かの塊がわたしの横を駆け抜けた。飛び退いて目をやると、それはドリンクサーバーの注ぎ口から湧き出てくる水だった。きっと、これもそういう事実として受け入れるしかない。水の塊が重力に逆らって、ドリンク婆の意思に従って、殴りかかるようにガン爺へ飛んでいく。
ガン爺はちらりとそれを確認すると、斜め上方に跳んだ。直後、さっきまでガン爺がいた場所を水塊が穿った。
ドリンク婆が舌打ちするのと同時、ガン爺はブロック塀を蹴ってさらに高さを確保する。空中で銃を構えると、白い光紋が銃口を彩った。
射線は開けた。
銃声より少しだけ早く、ドリンク婆は水塊を操作して彼女の全身を覆う壁を作る。そこにガン爺が放った弾丸がめり込むが、動きを止めた弾丸が輝いた瞬間に水塊が崩壊した。
「相変わらず厄介な……!力が足りん」
ドリンク婆はそう呟いたが、わたしには何が何だかわからなかった。上級者が操るアクションゲームのキャラクターどうしの対戦動画を観ているようだった。でも何となく、ただ何となく、ガン爺寄りに行った方がいいのかもしれない。
その直感はすぐに確信に変わった。
ざぷ、とくぐもった音がしたと思ったら視界がぼやけて息ができなくなった。怖くて反射的に目を瞑り、取り払おうとしても掴んだり叩いたりできなくて、水が顔を覆っていることを理解した。
何のために?
わからないでいる間に水は全身を覆って、完全に身動きが取れなくなった。
力が足りん。ドリンク婆は確かにそう言ったし、ババアと呼ばれてもあの見た目の若さでいた。ひょっとしたら、ひょっとしたら、わたし喰われる?
水塊の中でもがいても、水泳の授業が世界一嫌いなわたしじゃ脱出なんてできない。目を開ける勇気も無い。ただ鈍った音の中で怖がることしかできない。悲鳴を上げようとしたら、肺が萎んでしまった。
それでも、銃声だけは高らかに聞こえた。
白い光が瞼を透かし、水塊はあっさりと崩れた。すぐに目を開けるとわたしは宙に放り出されていて、ドリンク婆の顔は人の形を保つのをやめていた。巨大化した口にはびっしりと刃のような歯が並んでおり、わたしを待ち構えている。
「させんよ」
芯の通った低い声と、それに続く光を伴った銃声。ドリンク婆の下顎が撃ち抜かれて何本か歯が弾け飛び、そのまま走り込んできたガン爺の飛び蹴りを浴びてさらにいくつかの歯が吹き飛んだ。
「仮初の若さは脆いものだな」
着地したガン爺は爪先で歯を転がし、
「うるさい……うるさいわ!」
起き上がったドリンク婆は髪を振り乱して叫んだ。歯が抜けたせいか、さっきよりも老けたように見える。いや、実際老けている。ドリンクサーバーから水を湧かせて次撃に備える彼女の顔には、ほうれい線や額のシワが目立っていた。
「お嬢ちゃん、下がっていなさい。面白くはないが、それなりの見世物にはなるはずだから」
ガン爺は空いている方の逞しい腕をわたしを守るように横に伸ばし、銃を持つ腕は少しも揺らがせずに敵を狙っていた。
「人を食って若さを保つ仙人、今からその邪悪を殺して御覧にいれよう」
殺害を宣言した老人の声は、やっぱり芯の通った低い声だった。生唾を飲み込んでから、わたしは喉の渇きを思い出した。
訳がわからない。理屈も正体も、何もかもわからない。ドリンク婆は明らかに敵で弁明する気もないようだけど、ガン爺が本当に味方なのかもわからない。たまたまここでわたしが巻き込まれてしまっただけなのか、ドリンク婆のような仙人が他にもいるのか、水塊を崩したガン爺の銃弾は何なのか。
わからないことが多すぎるけど一つだけ、運痴でドジでビビりなわたしでもはっきりとわかることがある。
ドリンクサーバーから出てきた水塊は小分けにされ、ドリンク婆の周囲に揺らめきながら浮かんでいる。その中の一つが、ジャブのようにガン爺に放たれた。
これから、戦いが始まる。
〈つづく〉
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