エッセイ おすそ分けと冷凍冷蔵庫 2024年5月8日

ホモサピエンスの歴史の中で、大きな転換点として穀類の貯蔵がある。小麦やコメ、アワ、ヒエのことである。カラハリ砂漠で生活をしていたブッシュマンを見ても分かるように、食糧を貯蔵できなければ、その場で食べるしかない。大きな動物を捕獲したとき消費しきれない肉は皆に配るしかない。というより、食糧は皆(バンド、小さな共同体)で共有することが前提であった。そして彼らは食糧が尽きるまで働かない。今ここに食糧があるのに、さらに食料を確保する理由がないからだ。

ところが貯蔵できる植物の発見と、その栽培技術の確立は、穀類の貯蔵を可能にした。ここから人類の格差が始まった。貯蔵できるのなら、必要以上のものを確保しようとする。条件の良い耕作地をより広く確保しようとする。必要以上のものを獲得しようとする動機が生じた。

時代は下って冷凍冷蔵庫の時代である。ある食材が大量に手に入ることがある。例えば季節の産物だ。果物類、タケノコ、鮭、ハタハタ、シシャモ。ある料理を大量に作ることがある。というより大量に作ったほうが美味しい料理がある。おでんなどの煮物やカレー。そして大量でないと作れないものがある。ケーキなどの焼き菓子類。

冷凍室が普及するまでは、大量に手に入った食材、大量に作った食べ物は近所におすそ分けをした。冷凍室の無い冷蔵庫では保存しきれないからだ。というよりわざわざ大量に作って日頃のお返しのために近所に配った。
ところが冷凍室の出現は、食材、料理の保存を可能にする。近所のおすそ分けが、一か月後の家族のお楽しみに変わっていった。
時を同じくして、都市化が進み、共同体の解体が加速した。

結果、おすそ分けの精神が廃れていった。それはもちろん共同体の解体を補強した。

穀物の貯蔵は人類に格差を作り出したが、冷凍冷蔵庫による食糧の保存は共同体の解体に、現代の人々が意識している以上に貢献したと思う。

今から30年ほど前、タイの農村でホームステイをしたことがある。滞在中、近所の家から焼き菓子の差し入れがあった。甘く味をつけた米粉を葉っぱに包んだ蒸し菓子だった。まだ少し暖かくて、その素朴な味に私は感動した。見ると周辺の家にも配り歩いている。
私が滞在した一ヶ月のあいだに、ときどき何処かで誰かが何かを作っておすそ分けをしていた。まだ冷蔵庫さえ普及していなかった。近所の悪口を言いながらも、共同体が強く残っていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?