エッセイ 幽霊警備員 忘れられた存在 2022年10月

子供のとき、テレビで「天才バカボン」を見てた。その中の一話に、幽霊の出るビル、と言うのがあって、バカボン親子がその真相を調べに行く。見つけた幽霊は、実はずっと昔に夜警で雇われた警備員で、誰もそのことを忘れてしまって、警備員だけがその仕事を続けていた、と言うものだった。

その話を見た時、何とも言えない恐ろしさを感じた。約束をした片方が、その約束を忘れたにもかかわらず、もう片方だけが、そうとは知らずにその約束を永遠に履行し続けるのである。

後から考えると、給料は払われているはずだから、すべての人が忘れているわけではないだろう、と気づいたが、現代なら、自動で給与が振り込まれるので、誰にも気づかれない可能性がある。

で、今の話である。

私の部屋に、多摩川からすくってきたミナミヌマエビ、川や池によくいる小さなエビ、を小さな容器に入れて飼っているのだけれど、この生物は手間いらずなのである。生えてくる藻を食べて生きている。なので私がすることと言えば、水が減ってきたら、足すだけである。ほぼ放りっぱなしなのだ。
つまりしばしば忘れてしまうのである。
何週間も忘れていて、あっ、と思い出して慌てて容器を覗くと、いつも通りハサミで藻をかき集めて食べているのである。

で、何とも申し訳ない気持になるのだ。俺が忘れている間も、こうやって一生懸命に生きていたのか、と。

少し考えてみると、これはミナミヌマエビに限った話ではなくて、例えば、ホームセンターで買って来た草花の植木鉢を庭や玄関に置いてそのまま忘れて枯れさせてしまった、と言うことはよくある。
この場合、この植物は一生懸命に生きていたのだけれど、忘れ去られて水が補給できず、じわじわと餓死していったのだ。文字通り忘れ去られたのだ。

人が飼おうとして忘れてしまったのではないが、木が生えていたところに道路などを作ってアスファルトやセメントで塗り固めると、羽化しようと出てきたセミの幼虫が行く手を阻まれてあちこち出口を探した挙句、土の中で力尽きてしまう。
地下茎で伸びる植物も同じである。ドクダミが道路の僅かの隙間から芽を出しているのを見かけるが、散々探し回った挙句、運のいい地下茎がその隙間に行き当たったのだろう。残りは暗闇の中で模索中である。

つまり、軽い気持ちで川からすくってきたヌマエビ、軽い気持ちでホームセンターで買って来た草花、そこにいる生き物のことを何も考えないでの土地の利用変更、によって小さな生き物たちは翻弄されている。

だから自然に手を加えるなとは全く思わないが、そういう生き物たちの存在を気にかけることは、同じ生き物として大切なことだと思う。


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