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きっといいことありそう

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ある日、肩の痛みが強いから整形外科に行ってみたらいきなり大学病院紹介されて。。突然肺がんって告知を受けてからの心境をここに残します。
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#復職

6月9日。最近Rとはどんな話をしていても言い争いになる。癌であること、死について考えること、仕事のこと。どれを取っても少しずつすれ違う。それを補うためにお互い少しずつ我慢し、少しずつ悲しみ、少しずつお互い苦しめている。

6月5日。会社からの債権通知で知人に金銭相談しようとしたところ、みっともないという母と口論。20年前ヘルニアの大手術時に下衆な婆がネタ探しのため手術室へ見物に来たとき、手術台に向かう麻酔で意識朦朧の自分に対して刺青がみっともないから隠せ!と血相変えて罵る母を思い出した。

6月4日。Rの計らいで終日在宅にしてもらったところ、元?上長からまったく情けないメールが来た。労務の老害が在宅勤務に難色示したメールを、そのまま丸投げでフォローは一切ない。そこまで私の存在が邪魔なのだろうか。同時刻、実家に会社から債権回収という封書が届く。悔しくてたまらない。

6月3日。Sさんが挨拶に来てくれた。特例子会社の現状を涙目で訴えていた。面談記録を少し確認しただけでもかなり杜撰な管理体制だ。何より驚いたのは上長からの「あなたの仕事はない」という言葉。これまでのやり口からすれば不思議はない。つまりは拒絶。健全な事業会社建て直しに向け闘志が湧く。

6月2日。幕張へ出勤。朝イチで社歴が長いだけのHへ挨拶に行くが目も合わせず素っ気ない態度で上長の席へ誘導される。彼とはそれが最後だった。10時から今後についてリーダ面談。体調には一切興味ない様子。本来の特例子会社へ戻らず、親会社の手伝いをすることになった。

6月1日。今日から仕事復帰。初日は丸の内本社にて産業医との面談。定型的な面談を30分ほど行い本日は終了。ところで、再雇用で立場を勘違いした労務管理の老人が入口で待ち構えていた。初対面でタメ口なうえに高圧的な態度。社歴が長いだけでえばれる会社だからしかたない。