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紐育ボタン屋物語

ノーラ・エフロン監督のアメリカ映画「ジュリー&ジュリア」(2009年)にも出てくるボタン専門店「テンダーボタン」は、当時、マンハッタンの我が家からたったの1ブロック。まさに目と鼻の先でした。

もちろん、手芸をよくしない僕が店内に足を踏み入れたのは数えるほど。もっぱら、金ボタンの名物看板を入れ込んで、幼い我が子や、セグウェイで颯爽と歩道を走り抜ける老紳士などを写真に収める専門でした。

テンダーボタン(レキシントン街+62丁目)

今朝、何気なくスマホで英語の新聞に目を通していましたら、アッパーイーストサイドのその店がどうやら2019年の夏をもって閉店していた、というではないですか。勝手知るニューヨークの名所がまたひとつ消えた、とびっくり……というか、がっくりです。

さらに驚いたのは、同記事(New York Post 2021年8月11日)が、お店の売却に絡む裁判沙汰について書いていたこと。テンダーボタンの店舗部分を含む4階建てのタウンハウスの売却に踏み切った87歳(当時)の女性店主、ミリセント・サフロさんが、売却先であるマンハッタンの不動産開発大手から訴えられていた、というのです。

本来、当該物件が(62丁目のみならず)レキシントン街にも接するに不可欠な幅6インチ(=15センチ)の短冊状の土地が、取得したはずの権利に含まれていなかった、として、すでに支払った50万ドルの頭金とその利息分の返還を求める裁判を同社に起こされたというものです。

このたび、ニューヨーク最高裁は不動産売買契約書に法律上の瑕疵はないとし、原告の不動産開発会社の訴えを退け、サフロさん勝訴が確定した、という記事でした。

判決文のなかで裁判官は、

「マンハッタン内で何十年もの不動産売買の実績がある原告が、かくも高齢の女性に易々と騙されるとは考えにくい」

と書いています。この裁判官の、ある種主観を交えた、まさにアメリカ版大岡裁きに心からの大喝采です。が、しかし、サフロさんがタダの「高齢の女性」でないことは火を見るより明らかな気が個人的にはしまして……。判決が覆ることを願う気持ちはさらさらないのですが、原告の不動産屋さんも手強い相手を敵に回したものだ、と多少の同情を禁じ得ません。

そもそもミリセント・サフロさんがテンダーボタンを開業したのは1964年。翌年の1965年にはアッパーイーストサイドの彼の地にお店を移転させ、以来、2019年にビルごと売却するに至るまでの半世紀以上にわたって、輸入モノやアンティークなどの高付加価値ボタンの商いでしっかりとその地位と利益を積み上げてきたわけです。

そもそも「ガーメントディストリクト」と呼ばれるマンハッタンのファッション中心街は42丁目より南側、かつ5番街より西側の一帯であり、テンダーボタンはここからかなり離れています。地価高騰でジェントリフィケーション(先行住民の追い出し)が急速に進む中、実質的なファッションセンターがマンハッタンを抜け出し、イースト河対岸のブルックリンに移るのを尻目に、マスの商売とは一線を画したテンダーボタンは、主にセレブリティ相手に超然と、文字通り一所懸命に(ひとつの場所でがむしゃらに)商売を続けてきたわけで、先見の明があったと言うしかありません。

さらには、「2019年夏」の移転とビルの売却が、これまた絶妙のタイミングであったな、と。結果的に、新型コロナ禍が半年後にやってくることを見越していたかの決断となったのでした。

もっとも、神様は——加えて、裁判官も?——ひとつ所に止まり、ひとつ事に心血を注ぐ「一所懸命」な人々のことをちゃんと観ているに違いありません。

加えての、齢90に近い高齢でありながら、テンダーボタンの新店舗オープンを画策もし、実行もする進取の気性は……凡人にはなかなか真似はできません。

もっとも、テンダーボタンにてボタンの一個も買ったことがない僕は、せめてあの「金ボタン」の看板が撤去されていないことを願うのみですが、サフロさんに敗訴した不動産屋さんは即刻撤去したものと思われます。

あるいは、クリスティーズあたりのオークションにかけられて高値で競り落としたニューヨーカーもいたのかもしれませんが、喜び勇んで部屋に持ち込んでみれば、想像以上に大きなその看板に頭を抱え、ついには家やコンドそのものを買い替えていたりして……。

あるいはあるいは、サフロさん、新しいロケーションでの新店舗に持ち込んで、さっそくマンハッタンの新名所となっているのかもしれません。

サフロさんのますますの活躍と健康のためにも、今後は取引や契約上のボタンの掛け違いがないよう、周囲の方々の手助けと気配りが切に望まれます。



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