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毎日ちゃんとお店を開けるということ

先週水曜日は札幌・円山公園駅近くのスペイン料理屋で名物のフィデウア(パスタ版のパエリア)に舌鼓を打ちつつ、赤ワインを(僕にしては)痛飲した。旨かった。

スペイン人の画家のお父さんは疾うの昔に亡くなられているが、店内に南欧の雰囲気が満ち満ちているのは、他でもない、壁を埋め尽くす「お父さん」の油絵の数々……に描かれた飄々としたラテンな人物たちのせい。

残念ながら、いまはもう改修されてフツーな感じになってしまっているが、その昔、お店のトイレは四方八方がマットなピンクに塗り込められていた。問いただしたわけではないが、あれはきっとありし日の「お父さん」の仕業だったに違いない。

で、なにを隠そう、東京の我が家のトイレまでもが四方八方ピンク一色なのは、そのスペイン料理店のお父さんの作家魂がいっとき僕に憑依したからで、なので、コロナで外食控え気味だった4年近く、東京のマンションのトイレに入るたびに、

「フィデウアが食べたい」

と、その札幌のお店に思いを馳せるのだった。

というわけで、「お父さん」亡き後、お店は日本人のお母さんと二人の娘さんとで連綿と営まれてきたのである。コロナの荒波を乗り越えて、いまも店がちゃんとある喜びが、飲めない僕にワインを2杯も飲ませた。

お母さんはもっぱら厨房担当。接客は主に長女さんで、次女さんはお店に出たり出なかったり……。そんな機会はたぶん決して訪れることはないと思うが、NHK の名番組「ファミリーヒストリー」で一家のここまでの歴史を一度じっくり観てみたい。

さて、コロナですっかり出不精(&デブ症)になっていた4年間も、お店は商うことをやめてはいなかったことがなによりも嬉しい。

加えて、「長女さん」の、あたかもスペイン語をまくしたてるかの威勢のいい日本語での接遇がこれまた心地よい。

訊けば、しかし、脚の手術をされ、しかも感染症の影響で術後の経過が思わしくなくて、手術は2度に及んだのだとか。悲壮感こそないが、

「もう大変だったよお」

の言葉に誇張はないのだろう。

そんな会話を知ってか知らずか、厨房から挨拶に出ていらした「お母さん」も、頭に白いものがだいぶ増えた。

店があって本当に良かった。でも、その店を毎日定時に開ける大変さは僕ごときには到底想像し得ない。

「商いは飽きない」とはよく言ったもので、店はよほどの突発事故でもない限り、雨の日も雪の日も、サリンの日も福島原発事故の日も、開け続けることそのことが使命なのだ。開いてさえいれば、「開いている」を所与のこととしてやって来る我が儘な客を落胆させることはない。

頭では分かっていても、ただ、そのことが、つまりは「日々店を開ける」が生来、僕は不得手なのである。どうしたものか。

それでいて——日々お店を開けることは不得意なくせに——趣向をちょこっと変えての新装開店なら割と得意だったりする。——悩みも闇も深い。

なんとなく20年周期で「新装開店」を繰り返してきた自分も、もはや次を狙うにも、いまから始めても最後の20年かもしれない(いや、間違いなくそうだ)。開店のネタは未だ2つ、3つあるのだ。足りないのは、かつて人一倍持っていたように思う「何者かになる」という意思、あるいは、思い込みの強さ。

次にまた、何物かを始められたな、何物かが始まったな、と確信めいたものを感じられたなら、ご褒美に、きっと開いているに違いないあのスペイン料理店にまた行こう、お母さんのフィデウアを食べに。

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