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名刺の肩書きはお好きにどうぞ

「一月万冊」という時事問題系のYouTubeチャンネルが好きで、1日に1回は誰か彼かの回を視聴している。

つい最近、レギュラー出演者の一人、経済学者の安冨歩(あゆみ)さんの肩書きが「東京大学元教授」から「東京大学名誉教授」に代わっていることに気づいて、ちょっと意外だった。

というのは、自身も札幌の大学を少し前に退職するにあたって、「名誉教授」の資格審査を受けるや否やを問われ、貰えるものはなんでも貰っておこう、という小市民的な判断を下したものだから、「元教授」という肩書きで良しとした安冨さんの潔さを、カッコいいな、とどこか勝手に崇めていたのだった。

始めに断っておくが、安冨先生にはなんの非もない。立派な研究業績を積み上げられ、結果として退職に際し、「名誉教授」の称号を授けることを東大が決めたまでのこと。また、その審査や手続きに一定の時間を要したがために、この間、「教授」→「元教授」→「名誉教授」と目まぐるしく肩書きが変化したに違いない。安冨歩さんは「東大元教授」こそを良しとする、は僕の勝手な誤解だったというだけのことだ。

翻って、では僕はなぜ「名誉教授」を貰えるものなら貰っておこう、と考えたのか、について。そもそもこの言葉ほど世間と大学関係者間で解釈に開きがある言葉はそうそうない。

世間的には、「名誉教授」は功成り名を遂げた研究者にのみ与えられる、比較的高位の職名といったところか。これが大学関係者の理解となると、真っ先に「もはや辞めた人」という客観事実が来て、とはいえ、「それ相応の年数、大過なく勤め上げた人」でもあるというのが次に来る。「それ相応の年数」は大学によってまちまちだが、例えば、最低10年以上とか、25年が一応の目安とか色々。「大過なく」の「大過」については、刑法上の犯罪行為はもとより、例えば、研究不正や同僚や学生に対するアカハラ、セクハラなどおよそ先生という種族が陥りがちな落とし穴までさまざま含まれる。

いずれにせよ、もうすでに(大過なく!)辞めているわけで、給料も出ない、個室の研究室があてがわれるわけでもない「名誉教授」を、なぜヒトは貰えるもんなら貰っておこうと考えるかといえば、その理由は大きくは次のふたつではなかろうか。

ひとつは、飽くなき研究者マインド由来。アカデミアという研究者コミュニティでは名誉教授でも不名誉教授でも、依然「教授」であることでなんらかの顔パス感が堅持され、結果、研究がシームレスに続けられるという面は確かにある。大学によっては図書館や大学のメアド、あるいは共同の研究室など、名誉教授ならではの個別具体的なフリンジベネフィットを与えているケースも少なくない。

さらにひとつには、名誉教授が貰ったら最後、終身の肩書きであること。もちろん、金銭対価は一切紐づいていないが、その分、大学当局もよほどの「大過」でも後づけで起こさない限り、「先生、例のヤツ、そろそろ返上しませんか?」などとはいってこない。世の中そんな不可侵の肩書きなどあるようでなく、他には、長嶋茂雄さんの「巨人軍終身名誉監督」か、習近平さんの中華人民共和国最高指導者」くらいしかすぐには思いつかない。

ただ、アカデミアの通行手形であるにせよ、ワンチャン貰える終身の会員資格であるにせよ、僕が若い頃に思い描いていた職業観、理想の名刺の肩書きからはだいぶ遠いところに来てしまったな、すっかり宗旨替えしちゃったな、と我ながらその変節ぶりを少し恥ずかしくは思う。

人生初めて自分の名刺を持ったのは、まだ大学生だった20歳前後ではなかったか。当時、すでにテレビの台本作家として在京のテレビ局の1局、2局に出入りし始めていた僕は、そもそも名刺そのものが不要との考え方の持ち主だった。あるとき、名刺(不)交換の場面を、ふだんなにかと良くしてくれるディレクターにチラ見され、

「年長者が向こうから名刺を差し出してるのに、「僕、持ってません」では通らんだろが。いますぐその辺の名刺屋に走れ」

と怒られた。それも一理あるなとばかり、赤坂見附駅そばの名刺屋に、文字通り走ったのが最初だったかと思う。

果たして、生まれて初めて持った名刺は、氏名と住所と電話番号、それだけ。そこに肩書きは一切挿れなかった。名前で勝負。売れてしまえば、肩書きは向こうが勝手につけてくれる、との誇りと驕りの産物だった。肩ガキなしの、ただのガキだった。

再び、YouTubeの「一月万冊」。僕は、そのチャンネルを主催(主宰?)する清水有高さんが公言する肩書き「読書家」をえもいわずいいな、と思う。考えてみれば、「肩書きなし」は寡黙を装いつつ、実は饒舌なこじらせ女子(男子?)も同然ではないか。名刺を貰ってもなお、「お仕事は?」と訊かざるを得ず、しかも、その答えが「Guess what?(なんだと思う?)」の面倒臭さを相手に強いるような……。ならば、いっそ、職業=「読書家」ときっぱり表明して貰えた方がスッキリするし、しかもそのエスプリがたまらなく心地よい。

もっとも、40数年前、僕が肩書きなしの名刺を得意満面配り始めたように、最近は老若男女を問わず、許認可系ではない、自己申告系の肩書きもチラホラ増殖してきたように思う。

愛妻家、愛犬家、篤志家、旅人、多拠点居住者、理想主義者、Google翻訳者、プロボノ料理人、健啖家、吉野家……は「や」であって、「か」ではないか。

いまだ理想の自己申告名刺を持ち得ていない僕は、LINEのQRコード交換でお茶を濁している。

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