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同級生と嬉し恥ずかし記憶の突合する

東京での学生生活は、色々と手を染めたバイトや劇団での役者の真似事、在京のテレビ各局での下働きなどに明け暮れていましたので、若い頃の人脈は福岡での高校時代にほぼほぼ閉じています。つい先日も、夫婦で姉のように慕う知人女性に病院選びに慎重を要する病気が見つかりまして、真っ先にアドバイスを仰いだのは高校の同級生のタカムラでした。

タカムラは今も福岡で整形外科医として多忙な日々を送っていますが、先日、福島で開かれる学会の帰りに東京に寄れるというものですから、お礼も兼ねて、久しぶりに都内で食事をしようということに。1軒目の和食屋こそ僕が席を設けたのですが、2軒目以降は新宿の金目鯛ラーメン屋といい、新橋の立ち飲み屋といい、Google Map片手にすたすたと前を行く彼に先導されて、タカムラ流の聖地巡礼にただただつき従ったのでした。


高校時代、タカムラは陸上部と新聞部に所属し、僕は美術部と新聞部に所属していました。新聞部の部室が二人共通の「居場所」であったわけです。新聞部の歴史と伝統はなかなかのもので、先人が獲得した予算や部室といった既得権益もちょっとしたものでした。とりわけ「部室」は、権威(=職員室)から十分に距離を置きながら、他の部室とは較べものにならないくらいスペーシャスな空間を誇っていました。良いことも悪いこともみんなこの部屋で覚えた、と言っても過言ではありません。

さて、ふだん放課後の時間を新聞部の部室でだらだらと過ごすことの多かった僕とは違って、タカムラは寸暇を惜しんで陸上トラックに身を置き、独りストイックに身体能力の向上に集中しているかのようでした。そのタカムラも、しかし、ひとたび新聞発刊の追い込みともなると我々と一緒に部室に詰めて、原稿書きや紙面の割り付け作業に熱心でした。編集も最終日ともなると、部室に泊まり込んで朝までやることも珍しくなかったのですが、

「夜中に野郎4人で新聞部の部室を抜け出し、西新の映画館でオールナイトの東映ヤクザ映画祭を観たの覚えとう? 明るくなる前にいったん高校に戻って、体育館下の棒高跳びのマットで4人並んで朝まで寝たの」

と、僕はいまやどこかぎこちない博多弁でタカムラに訊くのでした。

「覚えとうくさ。野良犬に顔を舐められた樽見がわーっ!と飛び起きたっちゃん」

と、こちらは澱みない博多弁のタカムラ。ほぼ半世紀近くの時を経て、その出来事の一部始終をいまもちゃんと突合できる嬉しさに身体中がこそばゆくなる思いでした。そして、タカムラはなおも続けるのでした。

「ただ、観たのは東映ヤクザ映画祭じゃなかったとよ。日活ロマンポルノ祭たい」

この部分、言われてみればその通り。瞬時に正しい記憶が蘇ってくるではないですか。「野郎4人でオールナイトで映画を観る」、「棒高跳びのマットで朝を迎えるも野良犬に顔を舐められ飛び起きる」は愉快かつ大切な青春の思い出のアウトラインに違いないのですが、ディテールでは我が内なる隠蔽体質が露呈した格好です。

その後の人生、機会あるごとに知人・友人や家内、子どもたちに面白おかしくこの話をするたび、不都合な真実については史実の書き換えを無意識に行なうのが慣しとなっていたのだろうと思います。そのうち、記憶そのものが海馬レベルでまったく上書きされてしまったものと推察します。

前に同郷のタモリさんも何かの番組で触れていましたが、博多人は会話の成り行き上どうしても盛り上がりに欠けることが予想されるときはときとしてディテールや規模感を微調整する傾向が往々にしてある、と思います。「拡張真実」とでもいいましょうか。その場が和みさえすれば、人々がより満足するのであれば正確さは二の次という態度です。生真面目な人は——例えば、家内などは——そんな僕の博多っ子気質にときに呆れ顔ですが、幸い史実に忠誠を尽くすべき歴史家ではあるまいし、義務や責任からますます解放されるだろう今後は拡張真実とそれを伝える話術にさらに磨きをかけたいものです。

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