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【生き様note】30歳3児のパパ独立理学療法士の人生


みなさん!はじめまして!
理学療法士をしております、武田 洋です!

新卒から約8年間、整形外科クリニックに勤めておりました。



クリニックでの働き方

☑️外来でのリハビリ担当(学生〜高齢者まで幅広く対応)
☑️フィットネスでの自費リハ、パーソナルトレーニング
☑️インソール外来担当(年間150件以上作製)


大まかにはこんなところですかね。



全てにおいてやりたいことがしっかり出来ている状況でした!
#環境に感謝



経験年数は8年目と言ったところで、現在30歳となっております。
※なんか30歳って大台に乗った気がしている。笑



ちなみに山形県にある「鶴岡市」という山と海と川、そして田んぼに囲まれたところ←(ばっちり田舎w)で生まれ育ち、今もなお暮らしております。


現在は嫁と子どもたち3人(4歳、2歳、0歳)と暮らしておりまして、5人家族です。

3児のパパとしても奮闘中でございます!!



学歴

藤島小学校

藤島中学校

羽黒高等学校

仙台医健専門学校

専門学校卒業後、すぐ地元に帰ってきました。



なんだかんだこの田舎感が好きで、便利さには欠けることが多々あるけれど、自分には合っているなぁ〜と。
#田舎大好き




そんな中、なぜnoteなのか。
今、なぜnoteを書き始めたのか。



詳しくは今後の記事でも書いていく予定ですが、ある覚悟を決めて実行したのです。



それは…タイトルにも書いたように、昨年の春頃に“独立起業‘’することを決断しました。この決断をするまで、かなり遠回りもしたし、逃げてきた自分がいました。


とは言うものの、1年目の頃から独立したいっていうのは常に持ち合わせていました。前職場であるクリニックを辞めるときは、独立するときだなと、ずーっと心の中で思っていました。


新しいことを始めたり、挑戦することって誰だって怖いんですよ。不安であったり怖さというものが行動を邪魔してくる。以前まではその怖さと忙しさを理由にして、準備どころか動こうとしなかった。そこまでの覚悟が無かったのだと、今だから分かります。



“でもやりたい”

“成功したい”



「挑戦したい気持ちと怖くて不安な気持ち」

常にこの狭間にいて、なかなか動けずにいたのがここ数年間。


もちろんその間に何もしていなかった訳ではなく、SNSでの発信を続けていたり、臨床では患者様との一対一での対面する時間をとても大切にしていました。


いかに求められているもの以上の価値提供が出来るか、そこを意識し始めてから、自分も含め、周りの環境全てが変わっていった気がしています。



いわゆる「経営者目線」で物事を捉えるようになっていました。ここは本当に大事だと思っていて、一人一人が個人事業主のように働いていくことで、よりお金や利益に対しての意識が変わっていきます。全ての人にここを求めることは少し酷だとは思いますが、今からでも成長していきたい人やゆくゆくは独立して起業したいと思っている人は、会社員時代にこのマインドで仕事に取り組んでいくことがとても財産になると思っています。



独立を決断してから様々な苦難や壁がたくさんありました。それをなんとか乗り越えて、今年の1月26日に晴れてオープンすることが出来ました!

※独立までのロードマップや、上手くいかなかったこと・大変だったこと・これはやっておいた方が良いことなど、これから記事にしていこうかと思っています。もし気になる方はコメントして貰えると、早めに対応出来るかと思います!


そんな私、小さい頃はどんな生活を送っていて、どんな性格だったのかを全て曝け出していこうかなと思います!!
※これもしかして需要ないかな?笑


これは今までで初めてかもしれない。

永久保存版ですね!!
#自分で言うなw




学生時代〜小学校編〜

僕は小学生の頃、担任の先生からよく「ひろしくんはもっと前に出ていいんだよ!リーダーに向いてるよ!」と、ありがたいことに期待されることが多い子どもでした。

ちなみに幼少期はこんな感じ!
(幼稚園時代かな?)

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その時の僕はというと、
「先生の言う通り、もっと前へ出たいな〜」
「どんどん発言して、リーダーになってみたい」

という気持ちとは裏腹に、
「みんなの前に出るなんて恥ずかしい」
「緊張するし、自分なんかじゃうまく出来ない」

と、真っ二つに分かれた思考を持ち合わせていました。



人一倍、人の仕草や反応、考えていることなどに敏感だった僕は、様々な悪い妄想や想像をしてしまうことが多く、行動に移せませんでした。なかなか人に素を見せるということが苦手で、つい繕ってしまう癖がついてきていました。純粋にカッコつけだったんですよね。失敗したくないや負けたくないなど、ネガティブな理由ばっかり気になる男の子でした。

良く言うと、人や周りの変化にすぐさま察知し気づきやすく、しっかりと調和を取ることが出来ました。小さい頃から、相手がどんなことを考えているかであったり、どんな心情かもなんとなく察知しているような感覚だったのかも知れません。

※この能力は、完全に理学療法士という職業に活きていて、今では長所であると捉えています。長所と短所なんて、表裏一体ですからね。



結局のところ、周りの目が気になって、前に出ることはしませんでした。まだこの頃は自分を解放できずにいて、本当の自分なんて分からなかったんですよね。まぁ小学生なんてみんなそうだとは思うのですが、特に緊張しいで人前で喋るなんてもってのほか。

※これは今にも通じるものがあって、石橋を叩いて叩いて叩きまくる性格なんですよね。笑 裏を返せばなかなか冒険しないタイプで、ご飯屋さんに行ってもだいたい自分の中の定番を頼んじゃうんですよね。新商品とか期間限定とかに、あまり惹かれないんです。笑


それはそれは失敗しないためには何をすれば良いか、そのためにはどんな準備をすれば良いかなど、ひたすら情報収集して、行動してきました。


そんな小学生時代。



学生時代〜中学校編〜

そこから一気に変わり始めた中学時代。

小学3年生の時から続けていた剣道。中学校でもそのまま剣道部に入部し、強豪校であったため厳しい稽古も多く、ほとんど「毎日部活」という生活でした。ただ、そこでたくさんの仲間たちと出会い、ともに楽しみながら部活動であったり、学校生活を送ることが出来ました。


もちろん強豪校ならではのスタメン争いであったり、チーム内でのライバル争いだったりと、激しい部分やつらい状況もありましたが、そこでメンタルを鍛えられたかなーと思います。あの練習を乗り越えたんだし、これくらい余裕でしょ!みたいな感じにね。

最終的にはスタメンを勝ち取って、仲間たちと結果にこだわって最後の最後まで頑張りました。


僕にとってはそこが一番の収穫であり、小学校の時はなかなか見せられなかった自分を少しずつ出せるようになっていきました。



気づけば中学3年生の時には、文化委員長(文化祭を運営・企画して盛り上げる役)に立候補し、見事当選!!

※一応、選挙のようなものがあったよ!


執行部役員として学校全体に関わったり、運動会では「応援団長」として組をまとめたり、合唱コンクールでは指揮者としてクラスを引っ張っていったりと、小学校の時、担任の先生に言われていた通りの姿へと変わっていました。ただ緊張しいは変わらずで、みんなの前で頑張って良い姿を見せるように努力していました。

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実際はやりたかったけれど、そこに蓋をしていたのは自分だったのだと気付かされた瞬間でした。


中学校・剣道を経て、大きく変わることが出来ました。


その時の仲間達とは今もなお、飲みに行ったり、家族ぐるみで遊んだりする関係性です。本当に幸せだなーって思っています。これからもよろしくお願いします。



ちなみに嫁ちゃんとは中学校の同級生でして、同じクラスでした。(※この頃はあんまり仲良く喋った記憶がないのよw)


ちなみに付き合ったのは、高校1年生の時。
そこから結婚までいったのが驚きですよね。笑

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学生時代〜高校生編〜

剣道のスポーツ推薦にて私立への入学を決めました。

4つ上の姉も同じ高校を卒業しており、話を聞いていたこともあって決断しました。ここでもたくさんの仲間との出会いがありました。高校生の時なんて、血気盛んな時期wっていうのもあって、クラス内でちょっと揉めることがあったり、雰囲気が悪くなることもあったけどなんだかんだで楽しかったなー。
※私は平和主義なので、あまり関与したくないタイプです。笑


クラス行事ではみんなでまとまって、一つのことに対して頑張ることが出来たり、男女関係なく仲良くいられたことが何よりも財産だったな〜って今になって思う。

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学園祭でカラオケ大会に出たとき。


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⬆️
学園祭


最近はコロナ禍で集まれていないけれど、卒業してからも#PB会 と称して、毎年、忘年会やら新年会をするほど仲良しですね。

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また計画して集まりましょ!!ちなみに受験では推薦入試で最初に受けたところが落ちて、次に受けたところも落ちるという…。笑


こう見えて高校では成績がよかった方(とは言っても学校自体のレベルが低かった!)だったので、まさかと思うことばかり。完全に井の中の蛙状態でした。


その時に同じところをもう一度受けるか、別の学校を受けるか←
この選択を迫られたときに、みんなはどうするかな?



僕は諦め切れなかったので、もう一度同じところを受験することに。


そしたら見事合格!!

その合格通知がまさかのクリスマスに届くというね。笑
#どんなサプライズやねん


何が起こるか分からないもんですね!!

「この頃から出来るまでとか、成功するまで諦めない」っていうメンタリティだったんですよね。

まぁただの負けず嫌いですが。笑


そのおかげで無事に理学療法士への道が開けたわけですから、まずはよかったです。


ちなみにこの頃のひろゆりはと言うと…
こんな感じ!!
※懐かしいし恥ずかしw

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学生時代〜専門学校編〜

そして専門学校時代。
理学療法士になるための専門学校に入学しました。
とにもかくにも、今の自分のベースになっているのがこの時期。
仕事もプライベートも含めて。


ちなみに嫁ちゃんとは当時、別の専門学校に通っていたのだけれど、同じ仙台だったということもあって、一緒の学生マンションで半同棲生活をしていました。(もちろん部屋は別々で借りてましたが、ほぼどちらかの部屋にいるというw)



この頃からファッションにも目覚めて、いろんな系統の服装をしたり、ヘアアレンジや化粧なんかもしていた時期があったな〜。医療系の学校なのに、メッシュを入れたり、赤髪にしてみたり金髪にしてみたりと、なかなかパンチのきいた学生だったと思います。笑

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高校生の頃から『CROOZ BLOG』というBLOGを書き始めていました。大それたことを書いていた訳ではないんだけど、見る見るうちに購読者が1500名くらいになっていたり、ファンだなんて言ってくれる子が出来たりと、少しだけ有名になっていたみたいです。
#本当に少しだけですw

嫁ちゃんもBLOGをしていて、【ひろゆり】とか【ひろゆりカップル】とかって言われてました。

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今だと考えられないけれど、「握手してください」とか「写真撮ってください」とか言われてたんですよ。
#これは本当ですw



一番はメンズエッグっていうギャル男雑誌にハマって、そこから「仙台のたけぞー」なんて名乗らせてもらったり、少しだけチヤホヤされておりました。恐縮です。



そんな中、勉強では誰にも負けたくなかったっていうのもあって、結構頑張っていました。「見た目あんなだけど、成績は良いよね」っていうギャップ狙いでしたね。高校の時も、服装頭髪検査なんて毎回引っかかっていたし、それがあったから勉強は頑張ってた!!
#どんな理由だよw



でも実際そうで、社会人になれば良くも悪くも見た目で評価されちゃうことなんていくらでもあって、そこを補うものって言えば“人間力”だったり、“実績や結果”なのかなぁーと。



もちろん臨床実習で病院などに行くときや3〜4年生の時は、しっかり黒髪・短髪でしたけどね!
#当たり前や



そんな中、3年生の時に実習に伺った静岡の整形外科クリニックにて、初めてインソール(いわゆる足底挿板療法)を見させていただき、すぐに「これだっ!!!!」と、一瞬で引き込まれました。ここが独立へのスタートラインだったのかも。



国家試験では問題なく、合格することができ、無事に卒業しました。
仲良しの4人組全員合格というね。晴れて“理学療法士”になりました。

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ここ入学当初からしたいと思っていた『スポーツ整形』と、実習先で一気に引き込まれた『足底挿板療法』。



もう就職先はこの二つが出来るところしかないと思い、前職場である整形外科クリニックに就職を決めました。そこでは本当に自分がしたいこと、好きなことを自由にやらせてもらえた気がします。本当に感謝ですね。



よく最初の就職先は総合病院の方が良いとか、クリニックは大変だからやめた方がいいとか言われることが多いんだよね。きっと学校の先生でも言ってくることあるかも…。

でもそれはみんなのためを思ってだったり、みんなの意思を確認しているのかなって、今だったら分かる。


もちろん総合病院では他職種との連携やゆっくり時間をかけて患者様と接することが出来るなど、メリットもたくさんあると思います。


ただ一番は、自分が何をしたいのか。


そこ次第かなと。


【自分がやりたいこと、したいこと】

そこが確実に見つかっている人であれば、躊躇せずに突き進んだ方が良い!もしその分野で嫌なことがあっても、自分の意志であったりゴールが明確にあれば乗り越えることが出来るよ。


僕の場合はまさにそこしか考えていなかったですね。


そのおかげで今があると思うし、この“独立”という道へ繋がっているかなと思っています。




就職してからも足部やインソールの勉強をひたすら続け、患者様や医院のために貢献してきました。もちろん自分の将来のためという部分がとても大きかったです。



僕がリハビリをする上で、一番大切にしていたのは「コミュニケーション」ですね。どんな知識や技術を持っていようとも、患者様との信頼関係を築けないようでは、良いアプローチをすることは出来ないと思っています。もちろん、知識や技術力はあったに越したことはないですが、そこだけではダメだということです。



とは言うものの、僕だって全てが上手くいっていたわけではなくて、いっぱい悩んだし、いっぱい失敗もしてきました。その都度、どうしてダメだったのか、どうして上手くいかなかったのかを考え、改善する努力をしていました。意外とメンタルが弱いもんで、例えば10人上手くいったとしても、最後の1人が上手くいかなかったらそこが気になって、考えてしまうタイプです。笑


これも性格なんですよね。


完璧主義者というか、心配性というか、気を使いすぎてしまうんです。

今ではそんな自分のことをうまくコントロール出来るようになってきているし、そこも自分の長所として捉えられるようになってきています!



【これがSNSだけでは伝わらない本当の自分です】



人生って一回きりだし、やらなくて後悔してもやって後悔しても、全ては自分次第。ここをしっかりと自覚して、行動していくことが大切かなって思っています。



一緒に最高の人生にしましょう!!



これから


「こんな僕が独立という決断を下せた3つの理由」や「なぜ独立開業したのか」などなど、これからもnoteを書いていこうかと思っています。



もしこれを読んで、少しでも参考になる方がいたり、勇気や元気が出るような方がいれば嬉しいなって思います。


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B-CHANGE

代表 武田 洋

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