どんな未来を思い描きますか?
こんにちは、身体機能研究家の小林洋太です。
四万十はもうすっかり朝夕は秋の気配がしてきました。
今年は例年に比べて川遊びができなかったのが心残りではありますが、なかなか会えない知人・友人との出会いを喜ぶことができたり、ムスメの成長を目の当たりにしたりと充実した夏だったように思います◎
3年ぶりの何の規制のない夏はどうでしたか??
充実してた! 疲れが溜まった。 やりきった! 仕事がんばった! etc…
もっとたくさんの物語があるはずですよね!
そうそう!何か一つのテンプレートに当て込むのはムリがあります。
私たちのカラダも同じです。
にんげんとして基本的な構成(材質的なもの)は変わりませんが、暮らしが違いますし、これまでに身が記憶した怪我や動きの癖なんかは誰ひとりとして同じ人はいません。
もちろん、個々の遺伝子からして違いがあります。
じぶんと違う誰かになろうとしてもずっと辿り着くところはありません。
ちょっと強引なイントロだったかもしれませんねw
そんなこんなで、今日は、タイトルにある通り
未来を思い描くことの重要性についてサクッとお話をします。
まず、なんで今更これまでも沢山の人が書いたことがある記事を書こうと思ったか?なんですが、未来を思い描くことそのものをイメージできたとしても、その思い描く未来をどれだけリアルに描写するかであったり、現実からのアプローチする方法などにおいて、まだまだ手抜かりがあるんですよ!というのを解ってもらいたいなぁという、おせっかい心に他なりません。
いや、でもほんとにそうで、
こうなりたい!こう変わりたい!と決意して(思い描いた)未来に対してアクションに移ったとき「そのこと」について事前に知っていることが多い方がことが楽に進むのは、例としてわかりやすいのではないでしょうか。
例えば、海外旅行に行きたい!と思って → 電車みたいに空港に行って航空券を買うと考える方は少ないでしょう。それはパスポートを持ってないといけないとか、そのことに対しての「知識」があるから思うわけです。
でも、それがからだを変えたい!じぶんを変えよう!だった場合 → 筋トレすればいい(あるいは筋トレしなきゃ…)とか、整体に行ってからだを整えてもらわないと!と考えることが一般的だと思いませんか?
まぁそれらも、身体機能研究家というからだオタクの勝手な想像でしかないんですけどねー
つまり、お伝えしたいこと(あくまでもご提案)は
じぶんのからだと親密に(仲良く)なっておいたら良いよ!ということです。
未来を思い浮かべることの意味
ただなんとなく毎日を過ごしていても、なんとない日常が続くだけです。
ことを進めるには完成までのロードマップが必要です!
未来はそもそも決まっていませんから、自由に想像してください!
いろんな可能性があります!
最短経路もなくはないですが、できるだけたくさんの経験を盛り込んでください!できるなら「ポジティブ」なイメージでたくさんにしましょう!!
思い描く未来は自由です!!
その自由をめいっぱいぶち込んだ未来を想像しましょう!!
ただし、ちょっとでも「まあまあムリだけど」みたいなネガティブな要素は入れて欲しくないですね。。。
想像した後、それを創造(実現)していくのは『じぶん』なので。
じぶんが「嫌だなぁ…」となり得ることは、基本的に入れなくて良いです。
未来へのアプローチ
想像した未来へと、じぶんを運びましょう!
自分以外、誰も頼りになりません!その想像した世界の主はあなたです。
想像力を膨らませて、壮大に創り上げた未来も、遠すぎると見えません。
何をどうやって立ち向かうのかわからない未来に悩むのは止めましょう。
それってきっと悩んでる「ふり」ですから。
子どもの頃、大人になったら何になりたい?と聞かれた問いに対する答えに似ているかもしれませんね。実際『いま』持っている知識で考え得るところまでしか答えられませんからね。
ですから、限りなく『いま』に近い未来をできるだけ具体的にイメージすることが必要となります。
未来を想像したら、それを創造するために時間軸を行き来することが必要になってきます。
めちゃくちゃ進むこともある、退歩することもある。
全く進まないことだってある、だけど、腐ることなくじぶんと向き合って、淡々とことを進める(時間は過ぎていく)だけ。
変化を見つけて充実感を感じたり、変化がなくて焦ったり、いろんな予想外のことが人生には起こるわけですから。
カラダがあるということは実感を伴うということ
もし、思い描く未来が、健やかなからだで健やかに暮らすことだったら。
エクストリームな(スゲェ!!って感じる)ところは目標にする必要はありませんし、まだもし何も始めていないなら ○○○○ のようになど思ったりしちゃいけませんよ、別人なんですから!
からだは「運動」をすることもできますが『いま』を感じることもできます。
「在る」から動くことができる、考えることができる。
『いま』を認識することと、過去や未来へ思いを馳せることは別のことなんですが、ついつい『いま』に留まることができず、よくわからない道具や機能性食品という謎の食べ物を買ったりしたことありませんか?
そのこと自体を否定するものではないですが『いま』何かボタンをポチったとしても、じぶん自身はその瞬間良くなっていません。買ったことで良くなった気がしているだけというといいでしょうか。
からだが「在る」ということは、その変化に対してリアクションできるということが何よりの安心に繋がります。
「〜すべき」とか「〜した方がいい」とか論理的思考の結果導き出した答えではなくて、やろうとしていることが「快適か」「不快か」という感覚的なもの(好き嫌いとは異なる)に対する反応でいいと思います。
話が抽象的すぎて、さっぱり入ってこないかもしれませんが。
不快に思うことを続けることの難しさ、その代償としてのストレスを被ることは得策とは思えません。
「楽をしたい」
時間もないし、そう思う気持ちはわかります。
でも、熱意もない、知識もない、人任せではどうにもならないのです。
変えることができるのはじぶんですから、楽をするためには仕組みやコツを知識として、体験として身につけることが近道になります。
誰かに「からだ治してー」「トレーニングしてー」だけじゃダメです。
だって、それ(からだを使っていまを感じて生きること)って、命尽きるまで当たり前のように続きますからね。
楽をしたいなら、したいなりに最大限のテコを身につけなければいけません。それはアイテムやテクニック、技法的なことではなく、感覚的で直感的なことです、そしてからだの形状や構造、当たり前すぎて見落としてきたことへの理解です。
例えば、川や海で覚えた泳ぎは、プールで覚えた泳ぎとは全然違います。
なんなら遊び方も変わってきます。からだの使い方も遊び方も引き出し(バリエーション)の豊かさ、身体感覚の良さと言い換えることができるでしょう。
からだを「感じる」ことが、思い描く未来までの距離感を測ってくれますし「バリエーションの豊かさ」が未来への選択肢(ルート)の多さになります。そこでの「失敗」体験は糧となって、成功への手助けとなります。
ただなんとなく、周りが言ってるからとか、友達がやってるからとか。それももちろん在り方の一つなので否定はしませんが、どうせやるなら思い描く未来への揺るぎない自信と実績(大きなレバレッジ)が育っていくのを想像
してみてはいかがでしょうか。
なにせ抽象的な、そして長文です。
活字じゃ入ってこんのよね〜と思っている方は、こちらに参加してみてはいかがでしょうか?
ということで、長々とお付き合いいただきありがとうございました😇
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