ことばのふしぎ06
20年前のあの日
センパイから渡された本は
『日本語の教室』だった
1.ことの始まり
月曜日会社に行ったら駐在員になっていた
日曜日の午後、上司の上司、つまり部長から自宅に電話がきた
母から「武ぃ〜でんわぁ〜」と呼ばれ、ハイハイとめんどくさそうに受話器をとる
「休み中ごめんね、ガハハ」
いつも元気いっぱいの部長から、直接の電話に背筋がぴーんとなった
🙍♂️「はっ、はい‥どうされました?」
👨🦳「タケちゃんわるいんだけどさぁ‥」
🙍♂️「どうしたんすか?」
👨🦳「ちょっと台湾いってくれる?」
🙍♂️「あっ‥はい、いいですけど」
最近担当していた仕事が、台湾向けの案件だったので、出張か何かと思い軽く返事をした
👨🦳「ガッハッハーそうか‥じゃあ、くわしい話は明日説明するから」
急に‥なんだったんだろ、まあ、月曜日会社行ったらわかるだろと、あまり深く考えていいなかった
そして、次の日の朝、会社に行くと同僚たちが、ざわついていた
👨🦱「おい、タケ!今朝の辞令みたか?」
🙍♂️「いや‥まだ見てないっす」
👨🦱「オマエ‥台湾駐在になってるぞ」
🙍♂️「へっ?そんなの聞いてな‥」
👨🦱「ん? どうした?」
🙍♂️「‥聞いてた、行くって返事した‥」
2.そして、送別会に‥
渡された本は『日本語の教室』だった
一ヶ月後、渡航の手続きが整い、職場の同僚が送別会をしてくれた
その時、先輩から渡されたプレゼントは本で、開けてみると『日本の教室』という、小さな赤い本だった📕
🙍♂️「えっ‥オレ台湾いくんすけど‥」
👨🦳「がっはっはー、まあそのうちわかるから」
3.駐在してわかったこと
問われるのは圧倒的な″日本語″だった
駐在してわかったのは、台湾の人に聞かれるのは、ひたすら日本語のことで、どうして、こういう文章の時は、主語の後ろが「が」〜で、この場合は「〜は」なんですか?とか、めっちゃ日本語について、質問攻めにあった
なるほどそういうことか、台湾の人からすると、ネイティブの日本語を教えてほしいのね‥
でも、肝心のネイティブなハズの日本人は、日本語のことが、よくわからない。。
そこで、『日本の教室』の出番がきた!
(つづく)
最後まで、読んでくれてありがとう🙏
つづきをお楽しみに〜
Hiroでした🐦♪
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