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ふたつの誕生日と、もうひとつの人生

今日3月27日で、私が生まれてから49年が経った。

「フツーに『誕生日』って書けよ」とイラついた方。
一息ついて、ま、ちょっと聞いてください。

今日は誕生日ではないのだ。

私の誕生日は4月2日だ。
手元の免許やパスポート、戸籍、住民票、あらゆる公式文書がそれを証明してくれる。
でも、私は確かに今から49年前の早朝に生まれたのだ。

一定年齢以上の人は「ははぁ、アレですか」とお気づきだろう。
学年を1つ下げるため、親が出生届の日付をごまかしたのである。

「へその緒」で発覚

この事実を知ったのは、ごく最近、昨年末のことだった。
兄が実家でひょいっと私の「へその緒」を見つけて、「変だな」と気付いた。

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へその緒をおさめたケースには、確かに「3月27日」とある。兄が母に事実関係を確認した上で、私に「実は」と伝えてくれた。

半世紀近く、自分が生まれた日も知らずにいたわけだが、私には驚きもショックもほとんどなかった。

「ああ、やっぱり、そうだったのか」

これが兄の電話に対する私の最初の反応だった。
心のどこかに「そうかも」という思いがあったからだ。

記憶が曖昧なのだが、小1か小2のころ、私が4月2日生まれと知ったどこかの誰か(全く覚えていない)が「そりゃ、ごまかしだな。本当は3月生まれだろう」と言った。

母に「こんなことを言われた」と話すと、「そんなことはない」と否定された。「昔は産婆さんがごまかしてくれたけど、今は病院で産むから、そういうことはできない」と説明された。

「ふーん、そんなもんか」と高井少年は納得しかけたのに、ここでたまたまその場に居た叔母(母の妹)がやらかした。

「アンタね、安心しやぁ! おばちゃんが証人! 間違いなく、4月2日生まれ! 病院で生まれたの、私も見たんだから!」

異常な力説ぶりに、これはもしかして、とかえって疑念が深まった。

ちなみに「日本人 誕生日 ランキング」といった感じで検索すると、「一番多い誕生日は4月2日」という記事がいくつかヒットする。
あるサイトに、こんな文章があった。

最近では出生届もきちんと管理されていると思いますが、私たちのおばあちゃん世代にはこんな理由で4月2日を誕生日にする人もいたのだそうです。

「おばあちゃん世代」が不明瞭だし、実態は分からないけれど、私の世代だと、「ごまかしで4月2日」は少ないのかもしれない。

へその緒のケースには、ある助産院の名前が書いてある。
母に確認したら、私は産婆さんにとりあげてもらったそうだ。「病院で産んだ」から嘘だったわけで、いろいろとガバガバだ。

長年、心の奥で「虚偽申告の可能性ありだな」とは思いつつ、親に確認することもなく、大人になってからは疑惑自体をすっかり忘れていた。
これは、私が昔から「自分の誕生日なんてどうでもいい」と思ってきたからだろう。
子どものころ、家庭に誕生日を祝う習慣がなかったのも影響しているかもしれない。詳しくはこちらを。

占いの類いも全く興味がないので、「誕生日、違ってました」と言われても、重要な情報が更新された感覚は全くない。

毎年、その日が来たら、ひとつ年齢が上がる。
誕生日は昔からそれ以上でも、それ以下でもないし、この歳になると、ますますどうでも良くなっている。
今更修正不可能だろうから、オフィシャルな「4月2日生まれ」が変わるわけでもない。

もし、学年が1つ違ったら

一方で、3月生まれだったら人生、けっこう違ったはずだ、と考えると、興味深い。

私は保育園、小学校と常に「クラスで1番か2番に背が高い男子」だった。同級生と喧嘩して負けたことはなかった。遊びも運動も勉強も人並み以上にできた。
歳の離れた兄2人と家庭内で渡り合っていたこともあり、中学に上がるあたりまでは、いつも同級生を「みんな、幼いな」と思っていた。
幼いもなにも、本当に「1学年下の子たち」に混じってたのだ。
なんか、ズルしてた気分だ。喧嘩相手になった諸君、すまん。
「クラスで真ん中くらいの背の高さの男子」だったら、どんなガキになっていただろうか。

なお、これは私個人の話で、早生まれが不利といった一般論ではないのをお断りしておく。

幼稚園から小中高と振り返って、親しかった同級生や好きだった女の子、影響を受けた担任の先生なんかと「出会っていなかったかも」と思うと、1学年のズレがもたらした人格形成への影響はかなり大きい。

不思議な気分になるのは、部活やサークルで、ひとつ上の学年に自分がいたかも、という想像だ。
「あの先輩が同級生で、アイツが後輩だったのか」と思うと、なんだかむずむずする。
しょうもないと言えばしょうもないが、「実は3月生まれ」と発覚したとき、最初に考えたのはこのことだった。奥様が高校の同級生だからかもしれない。

パラレルワールドの自分

本当に学年がひとつ違ったら、そんな「ズレ」のレベルではなく、人生のコースがまるごと違っていただろう、とも思う。

私が大学に進学したのは、中3のクラスメートの何気ない一言がきっかけだった。

学年がずれていたら、兄たちと同じように工業高校に進んでいたかもしれない。それなりの進学校だった高校で奥様とも出会わず、高井三姉妹も誕生せず、このnoteの投稿だって存在しなかったかもしれない。

年末に事実を知ってから、たまに「別の世界線上の高井さん」を想像する。

「ある高井さん」は、工業高校卒業後に地元の名古屋でトヨタ系列の部品メーカーに就職して、バイクいじりが趣味になっている。
「別の高井さん」は、セールスマンになって、口八丁手八丁で車を売りまくって、夜はビリヤードのトップアマとして名をはせている。
「また別の高井さん」は、トラックの運転手になって、結局、兼業作家として、夜な夜なSF小説を書いている。

なぜか、パラレルワールド内で家庭を持つ姿、別の奥さん、別の子どもと一緒にいる「アナザー高井家」は、うまく想像できない。今の家族像があまりにがっつりと人生と人格にビルトインされているからだろうか。

人生なんて、ちょっと誕生日がずれただけで、まったく違ったものになりうるというのは、愉快でもあり、恐ろしくもある。
私の場合、それが人為的操作だったのが、さらに愉快で、恐ろしい。
「日本のヒルビリーだった私」でも書いたように、人生なんて、カオス理論のバタフライ効果のように、ちょっとした偶然や奇縁で揺蕩うものなのだ。

自分自身だけでなく、これまで出会った人たちの人生も、濃淡はあるだろうけど、違ったものになっていたかもしれない。三姉妹にいたっては、存在の有無すら左右される。
愉快で、恐ろしい。
やってくれましたな、母上。

ともあれ、今年から「ふたつの誕生日をもつ男」になった。
ダブルカウントするとあっと言う間に死にそうだから、本当の誕生日の3月27日は「何でもない日(Unbirthday)」のままとしておく。
家族のお祝いは、長年の慣習に従い、今後も「公式誕生日」の4月2日にやってもらう。
生まれた日と祝賀の日が分離しているのは、不遜ながら、エリザベス女王や大正天皇みたいで、面白い。
でも、繰り返しになるが、どっちも、どうでもいい。これを機に数え年に移行しようかな。

どうでもいいけど、イマジネーションを膨らませるネタとしては悪くない。
高井さんの知り合いの皆さん、死ぬほど暇なとき、「アイツと出会ってなかったかも」と想像してみてください。

ま、それこそ、どうでもいい、ですかね、はい。

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