投資のススメ ピケティの向こう側 総集編(全文無料公開)
1 なぜ、いま「投資のススメ」なのか
みなさん、もう投資してますか。
「NISAでデビュー」や、会社のDCやiDeCo、いわゆる確定拠出型年金で投信を組み入れてみたというパターンも多そうです。
一方、よく分からない、怖い、ブームっぽく煽られてて嫌、という人もいるでしょう。
「額に汗せず濡れ手に粟はけしからん」という嫌悪派もおられるかと思います。
別にしなくたっていいんです、投資なんて。
やりたい人、やった方が良いと納得した人だけやればいい。「ススメ」なんておせっかいです。それは百も承知。
私は「投資はやった方が良い」と思う派です。
老後に備える資産形成といった個人レベルだけでなく、社会にとって投資は大事だと、心の底から信じています。
そこにはひとつだけ大前提があります。
「人類、そんなに捨てたもんじゃない」という希望的観測です。
なぜそんな前提が要るのか。この文章の最後にはそこまでたどり着きます。
ピケティをどう読むか
フランスの経済学者ピケティさんは2013年出版の『21世紀の資本』でこんな不等式を提唱しました。
r>g
「r」は資本収益率、株式や不動産に投資した場合のリターン(もうけ)、gは経済成長率です。
経済成長という「上げ潮」以上のペースで投資家・資本家はもうかる。
これは時代や地域を問わずに成り立つ資本主義の本質で、なにか手を打たないと金持ちはどんどん金持ちに、普通の人はいつまでも普通のまま。だから格差はどんどん広がる。
ざっくりいえば、これがピケティさんの主張です。
この不等式が常に成り立つのか、議論は残るところですが、私は「そりゃそうだろう」と思います。
そうじゃなかったら誰もリスクをとって投資なんてしない。
ピケティの不等式は、成り立たない方がおかしい。
これだけでも「投資した方がいい」と言えるかもしれない。
投資して「r」にイッチョ噛みした方がいい。ものすごくシンプル。
でも、それは私が言いたいことではないです。
「投資した方がもうかるから、やろう」じゃなくて、この「r>g」という式の意味をよく考えると、経済の流れ、資本主義の仕組み、我々がどうやって豊かな社会を築くか、それが見えてくる。
そうすれば、もっと晴れ晴れとした気持ちで投資に向き合えると思うのです。
「投資ってモヤモヤする」?
投資ブームに対して「投資なんてギャンブルだ」とか「政府や金融機関のあおりに乗るな」とか「『投資で企業を応援』なんて欺瞞」といった声をちょいちょい見かけます。そんな主張の本が何冊か、けっこう売れている。
ネガティブな見方にふれて、モヤモヤした罪悪感みたいなものを抱える人もいるのだろうと想像します。
私は自分が常に正しいと思うほど傲慢ではないし、そうした主張を全否定はしません。
でも「いや、そんな悪いもんじゃないですよ」と思える解説があれば、モヤモヤの解消に一役買えると思い、この文章を書きました。
しかも資本主義のあり方を疑問視する本丸ともいえる「r>g」を深掘りするとスッキリする。愉快ではないですか。
では、ゆるゆると参ります。
2 先頭ランナーは速い
私は「ピケティの不等式は、そもそも筋が悪い」と考えています。
もう少し詳しくいえば「資本主義の本質的な欠陥を示している」という方面から格差問題や投資について語るのは、筋が悪い。
そして、その「筋の悪さ」が、そのまま「投資のススメ」につながる。
そんな見取り図を頭においてお付き合いください。
まず、そもそも、なぜ投資のリターン(r)の方が成長率(g)より高いのか。
お金持ちが投資でズルしてもうけているから、でしょうか。いや、そんなズルは、時代や地域を超えて普遍的に起きそうもない。バブルみたいな場面では「ズルして儲ける」はありそうですが、長続きしないでしょう。
rが高いのは単純に「効率よくもうけを生む良いモノに投資しているから」と考えるのが自然です。
良い投資にアクセスしやすいから、お金持ちが有利な面はあります。好立地の不動産やヘッジファンドは富裕層じゃないと手が届かない。
でも、ピケティの不等式はマクロの話をしています。投資全体と経済全体を比べている。
お金持ち専用じゃない、投資全般が成長率より高いリターンを生む。なぜなのか。
「投資がもうかる」のはなぜ
企業への投資、株式投資で考えてみましょう。
この場合、rに相当する株式投資のリターンは値上がり益や配当となります。
なぜ株価が上がったり、配当がもらえたりするのか。
その源泉は企業の稼ぎです。
株価は、短期では非合理的な動きをすることがありますが、長期では企業の価値、稼ぐ力を反映します。
企業の稼ぎは、ビジネスをうまく回して、成長することから生まれます。
それは当然、経済成長のプラスに寄与します。
もっと言えば、我々の社会で企業は経済成長を引っ張る役割を担っている。
身の回りの商品やサービスを考えれば、豊かな生活を生み出す主な担い手が企業なのは自明でしょう。
もちろん、社会インフラや教育など公的セクターが担う役割もとても大きい。それがなかったら社会も経済は成り立たない。
その土台の上で、新たな富を生む主役は個人経営の零細ビジネスから超巨大企業までを含む民間企業です。
つまりピケティの不等式の右辺、「g」の中には左辺の「r」が含まれている。
正確には投資のリターンと企業の経済成長への寄与にはズレがあります。完全に同じものではない。
でも、根っこの部分でrにはgが含まれている。日本語で書き換えるとこんな感じになる。
投資のリターン > (企業が担う経済成長+企業以外が生み出す経済成長)
これは実態として下のようになっているわけです。
(投資のリターン ≒ 企業が担う経済成長) > 企業以外が生み出す経済成長
こうして見ると、ピケティの不等式は全体と部分の妙な比較になっている。私が「筋が悪い」と考える根っこはここにある。
たとえばクラス対抗リレーで4人代表を選ぶとき、足の速さはこうなります。
代表4人 > クラス平均
このクラス平均には代表4人のタイムも入っている。
ピケティの不等式は、「集団の先頭グループのランナーは足が速い」という当たり前のことを言っているだけではないでしょうか。
3 平均値のワナ
さらにツッコミを続けます。
「企業は成長のリード役だから、企業以外の部分よりも成長率が高い」
これが私なりに変形したピケティの不等式の言わんとするところです。
次にツッコミたいのは「企業という主語はデカすぎる」です。
r=投資のリターンは、投資可能な対象全体の平均値、単純化すれば株価指数連動型の収益に相当するはずです。
問題は、全体の平均値だけ取り出して議論すると、rが生まれるプロセスが見えてこないことです。
なぜなら、「企業」の平均値を生み出すプロセスの裏には、山ほどの失敗したビジネスと損失を生んだ投資があるからです。
良い企業 > 企業全体の平均 > ダメな企業
こうですね。ここにピケティの不等式の要素を追加します。
良い企業 > リターン≒企業平均 > 経済成長率 > ダメな企業
当たり前すぎるこの式は、重要かつきわめて厄介です。
なぜなら、良い企業かダメな企業か、投資家はあらかじめ知ることはできないから。
資産運用では、アクティブ運用は長期でパッシブ運用に勝てないという定説があります。
用語解説を少々。
パッシブは株価指数連動型の投資方法です。流行りの「オルカン」は全世界の株式市場の平均値みたいな指数に連動します。
アクティブは指数、市場平均に勝つのを目指す。良い企業を買ってダメそうなのは外す。そうすれば「ダメ」を含む平均値より良い結果が出るはず、という考え方。
何となくうまく行きそうなのに、アクティブ運用で手間とコストに見合ったリターンを出し続けることは極めて難しいことが分かっています。
この一事をもってしても、企業=投資先の良し悪しが予測不能だとわかります。
「r」は死屍累々の産物
これはパッシブ運用の対象になる企業、つまりちゃんと株式市場に上場している企業でさえ、そうなのです。
多産多死のベンチャー投資の世界なら、投資先が倒産して全損失ということは頻繁に起きる。むしろ上場までたどり着ける「良い企業」の方がレアでしょう。
つまり、現実はこうなっている。
良い企業 > 企業平均 > 経済成長率 > ダメな企業 >ゼロ>全損案件
投資家は分散投資すれば良い。パッシブ運用に徹すれば経済成長を上回るリターンが得られる。皮肉ではなく、これがピケティの不等式から得られる最良の知見かもしれない。
大変なのは起業家です。連続起業家なんて超人はいますけど、普通は「一社入魂」なわけです。結果が「良い企業」「ダメな企業」「全損案件」になるか、やってみなけりゃ分からない。人生賭けて、というケースも少なくないでしょう。
ピケティの不等式を巡る「格差許すまじ」という論調に、私はちょっと立ち止まって考えてみよう、と思うのです。
平均だけ見て語ってどうする、と。「r>g」という式の左辺の「投資のリターン」は、起業家の死屍累々の最終結果なわけです。そこに投資したお金も一蓮托生です。
それを「ずるい」「けしからん」と言い切って良いのか。
我々はその累々たる屍の上に築かれた成長の恩恵を享受しているのはないでしょうか。
4 富はバカみたいに偏るもの
ここからさらに「富はバカみたいに偏る」という方向で掘り下げます。
・上位0.1%のお金持ちが世界の富の2割を握っている
・上位1%までで4割、上位10%までで4分の3を独占
・下位50%の人々は、富の2%しか持っていない
「世界不平等リポート2022」が示すデータです。まとめているのはピケティも参画する世界不平等研究所(World Inequality Lab)。ご興味ある方は見てみてください。日本、悪くないじゃんと思えます。
これを見れば「やっぱり資本主義ってポンコツだ」と思うかもしれない。
しかし、です。
実は富の分布は資本主義以前から同じくらい偏っていたという説がある。パレートという人の仮説で、必然性がない経験則という評価もあるようですが、私は合ってるんだろうな、と思っています。
富は本質的に偏る「ベキ分布」に従うものだと考えているからです。
キーワードは「ベキ」
「ベキ分布」とは何か、ここで少々統計のお勉強です。
身長やテストの成績といったデータは、いわゆる正規分布になります。グラフに描くと、平均値を中心に、ゆるやかなカーブ状に左右にデータが広がる。
一方、会社の規模や地震の大きさといったデータは、正規分布と比べると偏りが極端な「ベキ分布」になることが知られています。ベキは漢字で「冪」と書くのですが、書けもしないのでカタカナで通します。
ベキ分布について、詳しく知りたい方はこちらを。
少し引用します(太字は高井)。
平均と言う概念が意味をなさない。
ここが、我々のテーマにとってクリティカルに大事です。
平均に意味はない
前節で「死屍累々の世界」の不等式から、企業の部分を抜き出します。
良い企業 > 企業平均 > ダメな企業 >全損案件
企業という集団は、ベキ分布に従うので平均は意味をなさない。
「そこそこデキる平均的な会社」ではなく「モンスター級の少数」が平均値を決めている。
GAFAMやマグニフィセント・セブン(The Magnificent Seven、M7)と呼ばれるテック大手をイメージすると分かりやすい。ちなみにThe Magnificent Sevenは映画『荒野の七人』の原題。
米国の株式市場の3~4割をM7が占めている、これはおかしい、バブルだ、みたいな話があります。
確かに行き過ぎかなという面はある。でも、利益やユーザー数、影響力なども異常に偏っているのだから、そりゃそうなるだろうという話でもある。
まさに典型的なベキ分布の世界です。
程度の差こそあれ、日本の株式市場もベキ分布になってます。ごく少数が平均値を引っ張り上げている。
上記の式の実態は、こうなのです。
メチャクチャ良い企業 >>> 企業平均 >>>マシな企業>>>>>>>> ダメな企業>>>>>>>>>>>>>>>>>>>全損案件
ことほど左様に、富は偏る。資本主義がどうこうじゃなく、これは人間の社会という集団の性で、その一側面である経済の本質だと私は思います。それをグローバル化が加速している。その正否は別の議論なので別の機会に。
本稿のテーマに戻ります。
r>g 投資の平均リターン(≒企業の生む経済成長)>経済成長率
左辺の「企業が生み出す経済成長の平均値」みたいなものが、ベキ分布の世界で意味があるのか、と思うわけです。
5 20万円のスマホは本当に「高い」のか
「富は偏る」について具体例からイメージをつかむため、「スマホの価値」について考えてみます。
iPhone15の上位機種、ストレージを1TBにしたら25万円です(*連載時は最新機種でした)。高性能化と円安のダブルパンチ。
メチャクチャ高く感じるけれど、ここで時計の針を四半世紀ほど巻き戻してみましょう。
25年前、1999年はドコモがiモードを開始し、世界初のカメラ付き携帯電話が日本で誕生した年です。世界最先端だったんですよね、日本。
ここで思考実験。
もし当時、今と同じスマホがあったら、いくらの値段がついただろうか。
思考実験なので通信インフラやアプリ、コンテンツなども今のスマホと同等と想定します。
GPS付きでGoogle Mapが使えて超高解像度のカメラと液晶を備え、巨大なファイルを大量に保存できて、即座にネットで転送できて、映画やテレビを含めた多様なコンテンツをいつでもどこでも楽しめる。
今では当たり前のそんな機能を備えたスマホが25年前に存在したら、いくらするか。
世界に1台にしかなかったら青天井ですね。1兆円でも安い。アラブの王族とかロシアやアフリカの独裁者、あるいは米国政府がもう1ケタか2ケタ上の値段で争奪戦を繰り広げるでしょう。
世界で1万台でも、10億円以下になるとは思えない。航空機よりは高くなりそう。
ChatGPTによると2000年時点で資産1億ドル以上の大富豪は世界で約7000人、資産10億ドル以上の大富豪は世界で300人ほどいたらしい。
ちなみに2024年現在では、1億ドル超は約3万8000人、10億ドル超は2800人ほど。増えたけど、まだバリバリのベキ分布ですね。
そんな大富豪たちが競って買い求めれば、余裕で100億円くらいいきそうですが、タイムスリップ記念セール価格で10億円としておきましょう。
今、世界のスマホ利用者数は約49億人。世界人口の6割だそうです。
25年前なら10億円出さなきゃ買えなかった夢のアイテムが、多少がんばれば誰でも買えるモノになっている。
あらためて、すごくないですか。
25万円のスマホはたしかに高い。
でも、わずか25年前なら絶対に手が届かなかった便利さや楽しさ(そして煩わしさ)を、とんでもない安値で我々は享受している。スマホとそれを通じて得られるサービスは、文字通りに世界を変えました。
仮に先ほど仮定したセール価格10億円で換算しても、天文学的な豊さを世界にもたらしたのだと思います。
あまりにインパクトが大きくて、お金に換算できないレベルのイノベーションです。
世界を変える=巨万の富を得る
さて、そうした算出不能のインパクトの一部をお金に換算するシステムがあります。
株式市場です。
世界トップ0.0000000001%みたいなお金持ちは、ほとんどが世界を変えたビジネスの創業者とファミリーです。身銭を切って創業資金を出し、それを元手にビジネスを成長させ、世界を変えた。
そんな人たちが、何兆円という資産を持っている。
これって、当たり前じゃないでしょうか。
世界全体まで行かなくても、ある国の経済や産業をそれなりに変えるようなイノベーションに対して、お金に換算すれば何百億円、何千億円、何兆円、何十兆円という価値が付く。
その結果、桁外れのお金持ちが生まれる。
上で私は意図的に「換算する」と書きました。
「換金する」とはかなり違うと考えているからです。
保有株の価値が数兆円になった、といっても、数兆円分のモノやサービスを買える「お金」を手にしたわけではない。
そもそも数兆円なんていう金額は「消費」では使えない。使い道は投資(買収)くらいしかない。
もし、世界中の大金持ちが一度に株式を「換金」しようとしたら、株価が暴落して資産は大幅に目減りするでしょう。
おまけに、換金した後でモノやサービスを買うことにしたら、トンデモないインフレになってせっかく「換金」したお金の価値はさらに下がる。
世界の超大富豪の資産というのは、我々が普通に考える「お金」とは別物なのです。バーチャルな資本でしかない。
「超大富豪たちが貧しい人にちょっとお金を分け与えれば世界の問題がいろいろと解決する」というのは幻想だろうと私は思います。
「私たちが生み出すモノやサービスの絶対量が増えて、誰もが入手しやすくなる」という豊かさを築くルートでしか、貧困問題は解決できない。
だから超が付く格差を放置しても良い、という意味ではありません。
そんな意味がなくなるほどの資産を一部の人が抱える分配システムは、何かがうまくいっていないので、手直しが必要だろうとは思います。
閑話休題。
さて、スマホのような世界を変えるイノベーションは、格差と一緒に「なかった方が良かった」のでしょうか。
鉄板で「あった方が良い」イノベーションであろうエアコンについて考えてみます。
誰かがどこかでこんなことを書いていました。山本夏彦翁だったような気がします。
「私たちはかつて王侯貴族すら夢想だにしなかったほど快適な夏を過ごしている」
たしかに温暖化で最近の夏は酷い。
でも、アレクサンダー大王だって、クフ王だって、始皇帝だって、足利義満だって、ルイ14世だって、イワン雷帝だって、アショーカ王だって、部屋にエアコンはなかったんです。
召使いにでかい扇であおらせたりはしていたかもしれない。
でも、寝苦しい夜でも設定温度26度でバッチリぐっすり、という快適さはなかった。
エアコンは一例です。そこそこ経済発展した国に住んでいれば、衣食住のあらゆる面で昔の貴族なんて目じゃないほど豊かな暮らしをしている。
途方もないほど世界が豊かになったからこそ、途方もないほど富が偏っているのです。
ひっくり返せば、偏るほどの富を生み出していなかったら、こんなに格差は生まれない。
6 「オルカン」はベストの次善策
最近の「ベキ分布な覇者」といえば、NVIDIAです。
AIのシナプスみたいなものを作っているわけで、需要が爆発。絶賛大儲け中。株価はえらいことになっています(*騰落率等は連載時のまま)
時価総額は3兆ドルとアップルを抜きました。過去5年で3200%のリターン。
誰もが思うわけです。
買っとけば良かったな、と。
でも、それは後知恵であって、大化けする企業は事前には分からない。
当てた人は素晴らしい。誇ってよい。でも「当てる」の再現性はあやしい。
でも、このNVIDIAに数年前から投資していた日本人はそこそこいるはずなんです。
それは「オルカン」を買っていた人。
「eMAXIS Slim全世界株式(オール・カントリー)」ができたのが5年くらい前。
「オルカン」を旧NISAあたりでコツコツ積み立てていた人は「5年で3200%」という驚異的パフォーマンスの恩恵を受けてきたわけです。
ただし、ちょっとだけ、です。NVIDIAはオルカンの3%を占めます。
トップ10で合計は19%を占めていて、「分散投資できていない」という批判があります。
いやいや。
いやいやいや。
5年前から投資している人の視点なら「こんなベキ分布な世界で見事に分散しておいてくれた結果」のはずです、今の偏りは。「知る人ぞ知る」だったNVIDIAをちゃんと拾っている。
もうお判りでしょう。
ベキ分布の世界の勝者は、神様じゃないので、一点張りでは当てられない。
だから、網をかけるように、インデックス全体を買っておく。
ウォーレン・バフェットさんが「分散投資は無知に対するリスクヘッジだ」と言っていますが、人類の99.99%は投資に関して無知なんです。9をあと9個つけてもいい。
「無知」でいいんです。忙しいんだから、みんな。
一番リターンが低かったのは?
NVIDIA一点張りならすごいリターンだったでしょう。
でも「オルカン」を買っておけば、他のIT大手を含めて「富の偏り」の恩恵を受けられた。
仮に「オルカン除くNVIDIA」に投資していたらリターンは3%くらい下がっていた。
「オルカン除く今の上位10銘柄」だったらもっとリターンは低かった。
一番リターンが低かったのは多分、「何も投資していなかった」でしょう。
誰もがバフェットになれるわけじゃない。
「とりあえずオルカン」はベストの次善策なんです。
さて、現状2割も集中投資しているオルカンは将来大丈夫なのか。
そんなことは、誰にもわかりません。
この極端な偏りが崩れる「リスク」はある。
今のベキ分布マックス状態が続く「リスク」もある。
それどころかもっと偏ってしまう「リスク」もある。
今の下位銘柄がNVIDIAのように化ける「リスク」もある。
考えるべきは「どのシナリオでも酷いことにならない選択肢」です。
神ならぬ身には、分散投資ぐらいしか手はないのでは、と愚考します。
野暮ですが。
「オルカン」を連発したのは特定のファンドを推奨する意図ではなく、「できるだけ広範囲に分散する金融商品」の代名詞として使っています。
投資は自己責任・自己判断で。
7 株式投資は企業の応援にならない?
少し視点を変えて「株式投資って、企業の応援になんてならないよね」説を取りあげます。
わりとポピュラーな論点で、この説の影響でモヤモヤしている人はわりと多そうなので、私のファイナルアンサーを書いておきます。
簡単にまとめるとこういう理屈です。
投資を始めたAさんが「応援するぞ!」とトヨタ自動車株を買う。
でも、その株は前からトヨタ株を持ってたBさんから買っている。
Aさんがいくらで買おうと、トヨタには1円も入らない。
そもそもトヨタはウン兆円のキャッシュを持っているから、資金需要などない。新しい株式を発行する形の資金調達(エクイティ・ファイナンス)をやる可能性は低い。
この理屈は他の銘柄でも同じ。
2023年のエクイティの調達額は年間1兆3000億円くらい。
東証プライム市場の株式売買代金は年間940兆円くらい。
株式市場はメルカリみたいに株式を転売しあっているだけ。
あなたの「応援するぞ!」は企業に届かない。
一見、筋が通ってますけど、そんなことはないです。
あなたがトヨタの株を買うことは、トヨタの応援にちゃんとなります。
なぜなら、たとえお金が直接流れなくても、あなたの「買い」は(ほんのちょっとでしょうが)トヨタの株価を押し上げるからです。株価が下がるのにブレーキをかける、と言ってもいい。
株価は大事
そうすると、こう反論がきます。
「トヨタの株価が上がっても、トヨタには1円も入らない」
はい、その通りです。
でも、株価が高いことは企業に明確にメリットがあります。
まず株価が高いと、株式を発行したとき、お金がたくさん調達できる。
そうすると、こう反論がきます。
「トヨタはキャッシュが山ほどあるから、調達ニーズはない」
はい、その通りです。たぶん。
でも、たとえそうだとしても、株価を高めにキープできることはメリットがある。
たとえば、M&A。企業買収。
極端なケースを考えると分かりやすい。
トヨタの時価総額(全株買ったらいくらか=トヨタの値段)は今、52兆円くらいです(*連載時のまま)。増えたましたねぇ。昔は30兆円というイメージでした。
さて、トヨタの時価総額が仮に1兆円になったら何が起きるか。
秒で誰かが買い占めますね。
逆に時価総額が5000兆円になったら何が起きるか。
GAFAMを全部買収して、ついでに日本の全上場企業も傘下に収められそう。全部トヨタグループ。
実際にはいろいろあって難しいのは承知の助であります。思考実験ですからね。
株式は「買収通貨」です。株価の高い・安いは、M&A市場での攻守両面に影響する。
いまどき買収がきわめて大事な経営戦略なのは説明不要ですね。
ストックオプションみたいな株価連動型の報酬体系を入れている企業だと、株価が上がれば社員のモチベも上がります。やりすぎで意味不明な高報酬になるのは別の問題。
借金する時の信用にもプラスです。平時はレアケースですけど、株価が下がると信用不安になって銀行がお金を貸してくれない、という事態は1990年代後半から2000年代前半の不良債権グズグズ時代には普通にありました。
株式投資はただの転売?
次は「ただの転売だ」について。
まずは、はい、その通りです。
それが流通市場(セカンダリーマーケット)の機能です。
すぐに換金できなかったら、普通の人は株式投資なんてできませんよね。
株式市場での売買のしやすさを「流動性」と呼びます。売買が活発だと「流動性が高い」、あまり売り買いがないと「流動性が低い」。
あなたがトヨタ株を買うことは、2つの面で流動性に影響を与えて、トヨタを応援することにつながります。
まず「買い手」になること。当然、向こう側には「売り手」がいる。あなたは売りたい人に流動性をつけてあげるわけです。
その結果、「トヨタの株は流動性があるな」と認識される。
一般に、流動性が高い株式ほど、ちゃんとした株価が付きます。流動性が低いと換金時に思うような価格で売れないリスクが高まるので、それだけ株価は割り引かれる。
もうひとつ大きいのは安定株主になることです。「そうそう売りを出さない株主」は株価にプラスです。
投資は「売り」「買い」に目が向かいがちですけど、一番期間が長いアクションは「保有」です。ただ、持っているだけ。
そんな「ただ、持っている」投資家の層が分厚くなれば、なかなか売りが出てこないから、株価は高くなりやすい。
あなたが長期で株式を保有するのは、ちゃんと企業の応援になる。
「投資に参加する」ことの意味
まだ、こんな反論が残っているかもしれません。
「応援と言っても、せいぜい老後の備えなんだからいつか売るでしょ」
はい、そうですね。
5年後か、10年後か、30年後か、半世紀後か。
長期投資でも将来、買った株を売る時が来るかもしれない。
でも、その投資期間の間は「持って応援」を続けるわけです。
そして、あなたが売った株は、誰かが買うのです。
その誰かは新しい世代の「トヨタを応援しよう」な投資家かもしれない。そうじゃないかもしれないけど、そうかもしれない。
何が言いたいかと言うと、投資家って王蟲みたいなものなんです。
全にして個、個にして全。
個々の投資家は孤立しているようでいて、全部、繋がっている。
唐突に王蟲と言われても、意味不明ですね。ご説明します。
「投資」という行為は、市場経済の中で投資マネーを回すという営みに参加することです。
ときにあなたは「この会社を応援しよう」と選択する。
ときに愛想が尽きて、別の会社に乗り換える。
でも「投資」という営みのなかには、自分のお金をとどめる。
投資家にはいろんなタイプがいます。その多様な欲望と思惑が「見えざる手」を駆動するエネルギーになる。「見えざる手」の妙技が成長の担い手にマネーがわたるよう促す。
資本主義とマーケットの本質は、この「見えざる手」がちゃんと働くことです。
そのためには投資マネーの大きな塊が不可欠です。エネルギー不足だと「手」がうまくワークしない。
投資という行為は、そのエネルギーを生み出す集団共同作業なのです。
投資家という個体は、「個にして全」として機能する。
あなたはいつか年を取り、その営みからお金を引き揚げる日がくる。
その時、投資という人類共同プロジェクトに長年貢献した報酬=リターンを受け取る。
そのリターンを使って、余生を送り、いつかこの世を去る。
でも、その後もマーケットは残り、強い企業も残り、投資という営みは次の世代に引き継がれる。
ちょっと綺麗ごと過ぎるでしょうか。
でも、そういうことだと私は思うのです。
人間は死ぬけど、企業と「バトンをつなぐ株主」は死なない。
『風の谷のナウシカ』マンガ版で王蟲はこう語ります。
「わが一族は全にして個、個にして全、時空を超えて想いを伝えゆく」
8 インデックス投資タダ乗り論と「王蟲」
よく議論になる「アクティブか、パッシブか」についても、少々。
私の結論は「どっちでもいい」です。
「投資家=王蟲」論に立つと、投資で一番大事なことは「やるか、やらないか」です。
マクロの視点でいえば「やる人=投資家≒投資マネーの厚み」が一番大事。
個別株投資と役割は違うけれど、王蟲の一頭としての任務を果たしている。だから「長期・積立・分散」で全然OK。
バブルという例外はあるけれど、マーケットに流れ込むお金が増えて売買が活発になるほど、株価は企業価値を反映したフェアバリューに近づきやすくなります。事情は債券でも為替でも似たり寄ったりです。
インデックス運用には「マーケットがちゃんと回りますよ」というレベルまで「マネーの水位」を上げる役割がある。
最近主流の「長期・積立・分散」のインデックス投資にはパニック売りの局面で買い手になって市場の安定性を高めるという機能もある。投資マネーの多様性ですね。
インデックス運用は、特定の企業を「推す」わけじゃないけど、株式市場全体がうまく機能する縁の下の力持ちみたいな役割を果たしているのだろうと私は思います。
結局、投資家はみんな王蟲なんです。個がないと全はないけど、大事なのは全であって個ではない。「アクティブか、パッシブか」は王蟲のなかの小競り合いでしかない。
同じ船に乗っている
インデックス投資には「タダ乗りだ」という批判があります。
整理すると、
・株式市場の役割は資本の配分=いわゆる「見えざる手」
・良い企業は買われ、悪い企業は売られるのが大事
・株価の差が企業・産業の新陳代謝を促す
・その結果、企業全体の収益性が上がる
・それが市場の質=株式投資のリターンを高める
・インデックス運用は基本的に「全部を買う」
・選別しないから資本配分に寄与しない
・アクティブ運用にはコストがかかる
・パッシブ運用は選ぶ手間がない分、低コスト
・つまりパッシブはアクティブの労苦にタダ乗りしている
こんなロジックです。
2024年に世界の投資信託全体でパッシブ運用が多数派になったという統計もあり、「それでいいのか」と一部で議論が盛り上がっています。
先般「インデックス投資ナイト」というイベントにお招きいただきました。
イベントが始まった2008年当時、パッシブ運用は地味かつマイナーでした。今や「長期・積立・分散」が王道で、「とりあえずビール」的にオルカンが買われる時代。隔世の感があります。
イベントでは「昔はこの集まりは地味(失礼)で退屈(さらに失礼)な野党の集まりだったかもしれない。でも、今やここにいる人たちは与党です」とご指摘したうえで、「今こそ革命勢力として『アクティブ投資ナイト』を作るべきだ」と戯言を申し上げました。
さて、この与党と野党のバランス、どこまで崩れたら、株式市場は機能不全に陥るのか。
半々程度ではほとんど悪影響はなく、恐らく6:4とか7:3になっても弊害はそれほどないのではないでしょうか。
エビデンスはありません。長年マーケットを見てきた直観です。
ただし、条件があります。
それはパッシブ運用の投資家も「欲=リターン」に基づいて行動することです。
我が国の株式市場では、ちょっと前までリターンを度外視して土足でマーケットに介入する中央銀行が幅を利かせていました。
下げた日に無条件でETFを買って株価を下支えすることをもって「リスクプレミアムに働きかける」と宣ったことは、金融史に燦然と残るトンチンカンな施策でしょう。イールドカーブ・コントロールも似たようなもの。
この問題になると、ふだん温厚な私、かるくキレます。
落ち着いて、息を整えて。
日銀がETFを買いあさってた頃、どこかの証券会社が「投資指標の効果が薄れている」という趣旨のリポートをまとめたことがありました。PBRやPERといった様々な軸で見て「良い株」が上がりにくく、「悪い株」が下がりにくくなっている。株価に差が付きにくくなっている。そんな分析でした。
債券市場ほどではなくても。株式市場の機能も低下していたのだろうと思います。
でも、これも頑張って分析すれば、どうやらそう言えそうだ程度のインパクトでした。あれだけ(知性と規模の両面で)バカみたいに買って、ようやくその程度だった。
なぜなら、パッシブは「薄くて遅い」からです。
定期積立のパッシブ派はあまりタイミングを気にしない。というか、タイミングを気にするのはダメとされている。
おまけに買ったら終わり。一方通行です。
対するアクティブはタイミング命で足が速い。
同じ運用資産規模(ストック)でも回転数(フロー)が違うので、個別銘柄単位でみれば影響力には雲泥の差がある。
たとえば日銀の保有するETF数十兆円は根雪のようにマーケットに残っている。大きなストックです。
でも、その分だけ日本の株価水準が「下駄を履いている」かと言えば、そうでもないと思うのです。
もちろん「1年で全部売ります」と狂ったことを言いだしたら暴落すると思います。でも、それは短期的な需給(フロー)の話であり、「毎年1000億円くらい売ります」だったら、「うっとうしいな」程度のインパクトしかないでしょう。
これがマネーの回転力の違いです。
「インデックス投資はタダ乗りだ!」と怒るアクティブ派の人は、インデックス投資のマネーが株式市場の水位をあげてくれる恩恵にあずかってます。市場心理のブレを抑え、流動性をつけて株価形成が円滑・効率的になる好影響も受けている。
「自分のファンドの成績がイマイチで手数料がもったいない」という方、誰も止めません。パッシブに乗り換えましょう。それでも、世界(株式市場)は回ります。
アクティブでも、パッシブでも、「市場を回すプロジェクトに参加する」メンバーなのです。
個別株投資か、アクティブ運用か、インデックス投資か。個々の投資家にとって違いは大きい。勝ったり負けたり、自分のお金が増えたり減ったりするわけですから。
でも、全体としてみると、成績の凸凹はならされて、それがまさに市場平均≒インデックス投資のリターンになるわけです。
9 世界が終わるまでは 投資のススメ
ひとつの不等式を掘り下げる、長いようなそうでもないような論考もようやく「締め」にたどり着きました。
ピケティの不等式を再掲します。
r>g
シンプルな数式から私が浮かべる経済のイメージが少しは伝わったでしょうか。
一言で言えば、この式は「左辺がなければ右辺もない」のです。
この文章の最初に私はこう書きました。
「人類、そんなに捨てたもんじゃない」というのは、今後も世界の経済は成長を続ける、という予想です。
そうでなければ、たとえ「r>g」が成り立っても、r=投資のリターン自体がマイナスになりかねない。
今日より明日、とまでは言いません。
今年より来年、も崩れることもあるかもしれない。
でも、5年後、10年後の世界は今より豊かになっている。
それを成し遂げる力が人間社会にはある。
そう思うなら「投資した方が良い」と私は信じます。
あるいは、逆説的に言えば、そう信じる人=投資家がマーケットを回し続ける限り、成長は持続できる。そう考えます。
なぜなら、私たちはまだ十分に豊かではないからです。
世界はもっと面白く、もっと快適で、もっと優しい場所になれるはずです。
その余地が残っている限り、イノベーションを起こす人は絶えないでしょう。
真の起業家精神とは「こんな世界を私は容認しない」と変革しようとする衝動だろうと私は考えます。「起業してお金持ちになりたい」程度ではない覚悟と狂気の持ち主が、世界を変えてベキ分布の覇者となる。
そんな志を持つ人のところに、ちゃんとお金が届くようにする。
それが王蟲=投資家の役割です。
その過程で不可避的に貧富の格差は起こるでしょう。
ビジネスやイノベーションは本質的にベキ分布的世界を招き寄せる傾向があるからです。成長と富の偏りは常にセットで起きると私は考えます。
税などによる再分配で極端な偏りを是正する必要はあります。実際にそうした試みが各国でとられようとしています。
でも、格差を和らげることはできても、無くすことはできないし、それを目指すべきでもない。やりすぎれば金の卵を産むガチョウを絞め殺すことになりかねない。
私たちの住む世界は完璧からはほど遠い場所です。この数年は完璧から遠ざかっている感すらある。
それでも、世界が終わったわけでも、もうすぐ終わるわけでもない。
少しでもマシな世界に変えて、それを子どもや孫の世代につなぐ。
そのために私たちは時に汗をかいて働き、時に投資を通じてお金に働いてもらう。
このふたつは矛盾も対立もしない。
むしろ、両者がそろってこそ、人間社会の歩みは確かなものになるのだと思います。
20年後、30年後、あるいは50年後。
「人類、そんなに捨てたもんじゃない」という前提は間違っていなかった、ということになれば、投資を続けた人の手元には人類共同プロジェクトに協力したご褒美=リターンが残る。
「投資しよう」と決めたあなたは、胸を張って、晴れ晴れとした気持ちで投資をすればいい。
最後にもう1度、ピケティの不等式を見てみましょう。
r>g
左辺と右辺、両方に貢献できて、リターンも得られる。
投資って、悪くないと思うのですが、いかがでしょうか。
(おわり)
========================
ご愛読ありがとうございました。
マガジン購読者の皆さんには最終回まで間が空いたことをお詫びします。
番外編のリンクも貼っておきます。
メンバーシップ開始!
さて冒頭で予告したメンバーシップのお知らせです。
「高井宏章のよみかきそろばんクラブ」でございます。
よみ=注目ニュースの解説や講評、ブックレビュー
かき=文章術
そろばん=経済・投資
と、あれこれと書いてまいります。記事は月3~5本くらいのペースのつもり。時間があればもうちょっと、バカみたいに忙しいと少し滞るかも、です。
「そろばん」のサンプルはこのnoteそのものや、こちらのマガジン。
こちらのマガジン、メンバーシップの会員には開放します。
『おカネの教室』の続編も会員は読めます。月内には第1話を公開すべく準備中です。
一作目と同様に、プロットなし、キャラクター任せで書き進める方式ですので、筆者にもどこに向かうか、いつ終わるか、分かりません。
「かき」について。
以前連載していたこちらをリライトして順次、投入する予定(現在は旧連載分は非公開になっています)です。
我が家の三姉妹を都立中高一貫校に送り込んだ、伝説の(笑)小論文プログラムです。chatGPTなどAIを利用すると、かなり添削の負担が減りそうなので、そのあたりも加筆したいと考えています。
ベーシック・コア・学割
プランは通常の「ベーシック会員」と「コア会員」の2つです。
ベーシックは月500円、コアは月2000円です。
ベーシックには学割プランも作りました。月250円で特典はベーシックと同じです。社会人の方は利用をご遠慮ください。
ベーシックとコアの違いは交流会です。まずはzoom交流会を月1回程度開く予定。様子を見ながら、できそうだったらリアル交流会も検討したいと考えています。
こちらはコミュニティ的に運営したいので、予想以上に人数が増えちゃった場合は人数制限するかも、です。ま、取り越し苦労だと思います(笑)
ということで、ご参加、お待ちしております!
====================
ご愛読ありがとうございます。
経済青春小説「おカネの教室」、新潮文庫になりました。
YouTube「高井宏章のおカネの教室」、有料級動画がザクザクです。
投稿はツイッターでお知らせします。フォローはこちらから。
ここから先は
無料投稿へのサポートは右から左に「国境なき医師団」に寄付いたします。著者本人への一番のサポートは「スキ」と「拡散」でございます。著書を読んでいただけたら、もっと嬉しゅうございます。