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バイト代の交渉と新規事業という学生時代の小さな成功体験

学生時代にどんなバイトをしていたか、という話をしてて、思い出したことがあった。すっかり忘れていたのだけど。よく考えたら、学生の時代、小さいながら、新規事業の体験と自分の価値を上げるということをやっていたな、という話。


バイト代の交渉の弾力性がある塾を選んだ


それは塾講師のバイト。当時時給5000円を頂いていたのだけど、最初からこの金額ではなくて、どうやって増やしていったのか、というと。

そこは地域のトップ校(都立、県立)に合格させる中学生向けの塾で。最初は中学生に数学を教える形でバイトがスタート。時給2500円。

大手よりも地域に根ざした塾の方がバイト代も柔軟な交渉が可能だろうと考えて、そういう塾を選んで、バイトをスタート。

やっていくうちに、塾長の悩みを知るわけです。悩みというか関心事。せっかく地域の学力の高い子を高校に送り出しても、その後、この子達と関わる術を塾長として持っていない。しかも、みんな、部活に一生懸命になり過ぎて、高校を卒業する時に学力が思うほど、伸びていない。

駿台、河合塾に行くにしても、それまでの繋ぎの勉強を我が塾として提供できないだろうか。当時、その塾は中学生だけを対象にした塾だった。

画像は東京郊外のイメージです。本文とは関係ありません。

塾の経営者に提案した新しいマーケットの取り込み


で、僕が「高1、高2向けの数学と物理、化学の講座作りませんか?」と提案して。カリキュラムは僕が作ります、と。

バイト代は2500円のままで。まずは最初の夏、夏期講習を高1向けにやりましょう、と。そこでどれだけ集まるか、また満足度を得られるか。価値を提供することを優先したから、価格交渉はしなかった。

そこで講習だけでなく、日常のクラスを作れるか判断しましょう、と提案して、カリキュラムは僕が作るから、実際に発生するコストは僕の人件費だけ。

だから、人数が集まったら、時給を5000円にして下さい、と提案したら、これが受け入れられて、それで時給が5000円に。夏期講習で早速結果を出せたのが大きかった。

数学はすぐに生徒が集まって、そのうち物理も化学もクラスが編成されて、少なくとも僕が大学院を修了するまでは高校生クラスがあって、その恩恵に預かった^_^

今考えれば,小さな新規事業の立ち上げだった

ポイントは大学受験のため、ではなく、大手予備校に行くまでの繋ぎ、という位置付け。基礎をしっかりと身につけ、応用の手前くらいまで理解できている状態を作ることを目的に。それくらいで、学校の実力テストでも上位には入れるわけで。少なくとも当時は。

と、思って、久しぶりに調べてみたら、まだ大学受験コースが残ってた。懐かしい思い出。すっかり、忘れていた。当時作った講座が今でも残っているというのは、嬉しい。


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