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2021-5-27 日記. ベンチャー企業の研究者: 『クララとお日さま』、能力主義をロボットは癒せるか。

ネタバレなしの感想。

本書はなんとも不思議な作品である。

カズオ・イシグロの作品には、解説のようなきちんとした説明はでてこない。唐突に会話が始まって、読者が推測するのみになる。そして、終盤にかけて一気に物語が収束する。

クララというAFを購入したジョジーやその親、友人を取り巻く世界の話である。平易な言葉で表現された作品だが、その真意を汲み取るにはそれなりの背景知識が必要に思われる。

本書ででてくるAF(人工親友)といった設定も、なんなのか明確に語られることはない。

抽象的に言えば、本書のテーマは「能力主義で荒んだ人々をAIは癒すことができるか?」という問いかけになっている。また、「AIに魂はあるか」ということと対の話になっているようにみえる。

能力主義 (=メリトクラシー)といえば、マイケル・サンデルの「実力も運のうち」でも恵まれた人間による傲慢さに世界が満ちていることを指摘している。世帯収入の上位5分の1の家庭の子供たちがほぼアメリカ名門大学の入学者になっているが、彼らは「我々はこの入学に値する」という自負をもっている。この問題は、日本においても同様に存在するだろうし、私もまたその只中にいる。

しかし、コロナによって改めて露呈したのは、生活必需品や運搬、介護、医療などの生活のインフラを支えているエッセンシャルワーカーが抱える大きなリスクである。彼らは大抵の場合、ホワイトカラーよりも低賃金であり、必ずしも社会的な重要度とその地位は対応しておらず、人との接触率の高さからコロナの感染リスクが高いことも明らかにしている。

そのような問題とも共鳴することをイシグロは、「縦の旅行」欠如として語っている。

俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。『カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ』

縦とは、階級の比喩であり、異なる階級の人のまったく異なる世界や文化に暮らしている人たちとの対話が必要ではないかと訴えかけている。これは一種のイシグロなりの能力主義への対抗になっている。これがうまく行くかはわからないが、異なる背景を持っている人との交流が私と私のパートナーも必要だと感じている。

一方で、この縦の旅行というすでにあるというヒエラルキーを前提とした議論そのものに違和感があるのだが、まだ言語化できていない。

またイシグロが提案するのは『AIを能力主義を癒せるか』という思考実験となっている。しかし、AIは通常持てるものをますます豊かにし、持たざる者がどんどん相対的に貧しくなるという論調が中心的であるし、本作でも実際そのような導入のされ方をしている。

このような同時的な背景も相まって、『AIに魂はあるか』というテーマだけでなく『AIは人を癒せるか』という不思議なテーマになっている。

クララからみた抑制の効いた世界観だが、いかにクララが家族に受け入れられ、そして最後を迎えるのか。そして『AIに魂はあるか』についてカズオイシグロなりの思考実験を感じてほしい。


付記:

イシグロが、DeepMind (ロンドン)のデミスハサビスと強化学習について議論したという話があり、最新の研究についてもかなり仕入れていたのだろうと推測される。


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