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じゃあまたね。

これは10年前のお話です。
あの日のことは忘れるどころか、時が経つにつれてどんどん自分の中でぶくぶくと膨らんでいます。

僕は元々、名古屋吉本でコンビを組んで芸人をしていました。
マニッシュガーリーというかっこいいコンビ名で、105㎏で中卒で手癖の悪い相方と一緒に、漫才をしていました。
相方は基本的にはどうしようもない人でしたが、10年経った今でもめちゃくちゃ面白い人だったと思っています。
コンビとしてはたったの4年ぐらいしか活動していないのですが、僕にとっての人生の青春は間違いなくマニッシュガーリーでした。

名古屋で少しずつ仕事も増えてきて、ちょっとだけ人気も出てきて、単独ライブも大きな会場でできるようになって、そろそろ東京へ行こうと思っていた矢先の出来事でした。

2014年6月8日。

相方失踪。

若手芸人が飛ぶなんてことは珍しいことではありませんが、相方の飛び方はとてもドラマチックだったのでお話させてください。

相方が飛んだ日、ぼくたちは毎週日曜日にやっていた生放送のバラエティ番組の前説の仕事がありました。
いつもと何も変わらず前説をし、スタジオで番組を見て、後説をしました。
相方も飛ぶ気配などは一切なく、楽しく仕事を終え、昼過ぎにテレビ局を後にしました。
同じ地下鉄に乗り、お互い少し離れた空いてる席に座りました。
その日は夕方に打ち合わせがあり、それまで少しの空き時間があったので、僕は時間をつぶそうと矢場町駅で降りました。
相方も同じ駅で降りましたが、毎日のように一緒にいたので特に会話もせず行こうとしたら、珍しく相方が僕の名前を呼び、声をかけてきました。
振り返り返事をすると、打ち合わせの前に集合してから一緒に行こうと言われました。
今思えば、相方からこんな提案をしてくることはほとんどなく少し様子がおかしいのですが、その時の僕は特に何も思わず軽く返事をしました。
そして相方は僕に向かってこう言いました。

「じゃあまたね」

そしてぼくたちは、別々の方へ歩いて行きました。

僕は適当に時間をつぶし、約束した時間に、集合場所にしていたビルの前で相方を待っていました。
しかし、集合時間になっても相方が来ません。
電話をかけてみても出ません。
だらしのない人だったので、こんなことは日常茶飯事でした。
どうせ家に帰って寝てしまったか何かだろうと思いながら、僕は一人で打ち合わせへ行きました。
相方にも伝えておきますと謝り、打ち合わせを終えました。
スマホを確認すると、相方からの連絡は無いままです。
少し腹を立てながら、呆れながら、家へと帰りました。

家に帰ってしばらくすると、名古屋吉本の先輩芸人から電話がかかってきました。
電話に出ると、先輩は開口一番
「お前、今どこにおるんや!!!」
とキレ散らかした様子で怒鳴りました。
僕は戸惑いながら、家にいる事を伝えました。
「ほんで、相方はどこや!!!連絡つかへんぞ!!!」
僕は、昼過ぎに別れたきり、夕方の打ち合わせに来なくて、僕も連絡が返ってきてない事を伝えました。
それを聞いた先輩は少し落ち着いた声で
「お前、何も聞いてへんのか?」
と言いました。僕は何のことを言っているのかさっぱりわかりません。
何の話か聞くと、先輩はこう言いました。
「店の金が○○○万無くなっとんねん。ミーティングやるってみんな集まって、来てへんのお前ら2人だけや。お前の相方に18時に店に集合で、ひろたにも伝えとけよって言ったの、お前何も聞いてへんのか?」
僕は目の前がぐにゃぐにゃになりながら、何も聞いてないことを伝えました。
「このタイミングで連絡つかんってことは、お前の相方やな。とりあえず、ひろたもすぐに来い」
先輩からの電話を切り、あわてて店へ行きました。

〜解説〜
店とは、先輩芸人が名古屋でやっていたBARのことです。
名古屋の若手芸人たちがバイトをさせもらっていました。
数年前にお店は畳まれ、今はありません。
れんとのタカさん、元気かなー?
ラルク兄さんが歌うミスチル、また聞きたいなー。
一杯で朝までねばってたあかり姉、生活できてるかなー?

店に着くとそこには、バイトメンバーの芸人が全員いました。
いなかったのは、僕と相方だけ。
ミーティングをやると決まった時点では、まさか誰かが盗みを働くとは考えられず、バイトメンバーの無実を晴らすために集まることになったようです。
そしたら、僕の相方がミーティング当日に飛ぶという事態が起きてしまいました。
なんなら僕もミーティングに来なかったので、コンビそろって容疑者になっていました。
満場一致で僕の相方がホシだということになり、できる限りみんなで探すことになったのでした。
ミーティングが終わると、僕はすっかりこの世の終わりです。
のほほんと生きていた24歳の僕には、あまりにもショックが大きく、しばらく店で絶望していました。
お店が開店して、明らかに絶望している僕を見た常連さんたちが
「ひろちゃん、まぁ飲みなよ」
とお酒をたくさん飲ませてくれました。
すっかり泥酔してしまったところに、たまたま今朝前説をした番組のプロデューサーさんが来ました。
泥酔している僕はプロデューサーさんを見るや否や、号泣しながら相方の話をして、謝罪をし、来週から一人で前説をやらせて下さいとお願いしました。
プロデューサーさんは引いていました。
それを見かねた先輩が
「ひろた、今日はもう帰りな」
と外まで送ってくれて、その日は幕を閉じました。

捜索1日目。
絶望&二日酔いの中、相方に連絡をしまくりました。
しかし、連絡はつきません。
ひとまず連絡を待つことにします。
相方からの連絡来ませんが、いろんな人から心配の連絡が来ます。
そんな中、昨日引いていたプロデューサーさんからご飯を誘ってもらいました。
高そうなカウンターのお寿司屋さんです。
絶対に美味しいはずなのに、絶望中の僕は味がまったくわかりません。
トロもイクラもウニも、何を食べても絶望の味がします。
捜索1日目は結局なんの成果も得られないまま、プロデューサーさんの優しさのおかげで、何とか1日を終えることができました。

捜索2日目。
相方から連絡が返ってくる気配がなかったので、僕と先輩芸人の2人で、相方の実家へ行くことにしました。
先輩が車を運転してくれて、僕は助手席で絶滅しながら向かいました。
相方の実家に着き、インターホンを押すとドアが開き、相方のお母さんが出てきました。
お母さんは僕の顔を見て全てを察したようで
「息子のことですよね。入ってください」
と言いました。
家の中に入り、お母さんの話を聞きました。
お母さんが家に帰ると相方の置き手紙があったそうで、そこにお店のお金に手をつけたことや、親にあてた謝罪が書いてあったとのことでした。
わかってはいましたが、相方が黒で間違いありませんでした。
僕も絶望中ですが、お母さんも涙を浮かべながら相方の話をしていました。
今でも忘れられないお母さんの言葉があります。
お母さんは涙をこらえながら、

「息子のこと、みんな応援してくれてたんだけどね。。。同級生のお母さんたちも、近所の人たちも、あとパチンコの仲間たちも」

僕は心の中で「パチンコの仲間たち?」と思いました。
これは今でもたまに思い出して笑います。
しかしあの場では少しも笑えませんでした。
お母さんも、相方がどこへ行ったのかは知りませんでした。
しかもスマホも実家に置いて出て行ってしまっていたので、どうすることもできませんでした。
相方の捜索はこれにて終了。

こうして、ぼくたちはあの日から一度も会うことなく、今日でちょうど10年が経ってしまいました。
もう10年も経つのかー。
ここ数日、種類のわからない感情がダバダバと溢れてしまって、何も手につかなくなってしまいました。
10年越しにこんな気持ちにさせられるなんて。
今日をどうやって過ごせばいいのかも謎すぎて、とりあえず名古屋にきました。
相方といつもネタ作りをしてたコメダへ行ったり。
ネタ合わせをしてた公園に行ったり。
ライブやってた劇場に行ったり。
事件現場のBARのビルに行ったり。
思い出に浸って、懐かしく思ったり、思い出して笑ったり、寂しくなったりしてました。
散らかりまくっていた気持ちの整理もできたような気がします。
そして、この文章を書くことも、気持ちのお片づけになりました。
こんな10年も前の話を聞いてくださり、どうもありがとうございました。
やさしいですね。
この先またどこかで会えるのか、会えないのか。
また逢う日まで。

じゃあまたね。

実話を元に作った絵本がこちらです。


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