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だから僕は会話をやめない

30代前半で小さな会社の管理職になった。若いころもずっとバイトリーダーみたいな立ち位置で仕事を続けていたが、自分の性質に合った立場を誰かが自然に見つけてくれるのだろうか、どの会社でも2番手ポジションに落ち着くことが多い。

いつも意識するのは、トップと社員の温度差を埋めることで、このバランス調整にはかなり注力している。社員が今どんな気持ちでいるか、どんなニーズがあるか、何が好きなのか、常にアンテナを立てていて、あの手この手で情報収集をする。それをもとにトップの意向をうまく伝えたり、提案したりする。

社長と飲んでいると「お前は人が好きだよな」と言われる。「そうですかね?」と聞くと「どう見てもそうだよ」と返事がくる。おなじことを恋人からも言われたことがある。「ひろしくんは人が好きだね」と。そのときも「そうかな?」と聞いて「そうだと思うよ」と返事をもらった。

僕は人が好きなのかもしれない。でも自分ではよくわからない。なぜこのような表現になるかと言うと、たぶんそれは、これまでの傷ついた経験やトラウマが僕を臆病にさせているからだと思う。

10代の頃は「僕、人が好きなんです」と胸を張って語っていた。それで東京に出て、色んな人とお話をさせてもらって、接し方に悩んで、勉強して、いくつも失敗して、傷つけたり、傷ついたりを繰り返した。それであるとき、もしかすると自分はとんでもない勘違いをしていたかもしれないと思ったのだった。

・人間の嫌な部分は、自分が思っているよりも、たくさんあるのかもしれない
・もしかすると、それを受け入れられない自分は人が好きじゃないのかもしれない
・ただ自分に都合の良い人を好きだと思っているだけなのかもしれない
・そして、自分に合う人は、この世界にほとんどいないのかもしれない
……なんて、思い悩む夜をいくつも過ごした。

だから、だと思う。果たして僕は本当に人が好きなんだろうか、自分ではよくわからなくなった。自分に合わない人ばかりの世の中で、人が好きだと言ってしまっていいのか、わからなくなってしまったのだ。

今、30代半ばになり、私生活で身の回りにいるのは自分に合う人が大半になった。自分に合わない人と会う機会はめっきり減った。そんな日々に思う。僕は自分を許してくれる人ばかりと関わっていて良いのだろうか。自分を甘えさせてくれる人ばかりと関わっていると、自分が弱くなるのではないか。「合う人に会う」はオードリー若林正恭の言葉だけど、合う人にもっと会えるように、僕はもがき続けないといけないのではないか。

それで僕は今、できるだけ色んな人と会話するようにしている。楽しいことでもあるけれど、相手は自分に合う人ばかりではないし、僕はできた人間じゃないから、ちゃんと誰かを傷つけることはあるし、自分も傷ついたりする。だけどそれはやめちゃいけないことだと思っている。

僕は自分が、人が好きなのかどうかよくわからない。でも、できるだけ人を好きでいたいと思う。人に関われば関わるほど、人がきらいになることもあるし、好きになることもある。だから僕は会話をやめない。今好きな人をもっと好きでいられるように。

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