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父と映画とブラキオサウルスと僕

物心がつくまで、僕の田舎には複合映画館が無かった。その代わりにいくつかの単館が、各々契約している配給会社の作品を上映したり、人気がある洋画の放映枠を取り合っていた。東宝のスクリーンは、アーケード街にあったダイエーの上階にあって、ジブリ作品も扱っていたのでそれなりに賑わっていたと記憶している。そのほかにはホール型の独立したシアターもあり、県内でもっとも老舗だった"徳島ホール"は主に洋画のヒット作を上映することで知られていた。

"徳島ホール"は、僕の父がやたらと愛着を持っている単館劇場でもあった。どうやら学生時代にそこでアルバイトをしていたとかで、いつも語っていた「スターウォーズ」も「ブレードランナー」もおそらくここで観たのであろう。父の青春が詰まっている場所、だったのだと思う。それで、幼い僕がなんとか読み書きを覚えた時分に、いそいそと父に手を引かれ、当時最新作だった「ジュラシックパーク」の字幕版をそこで鑑賞した。父子で大興奮して、家に帰ってからもずうっと恐竜の話をしていた記憶がある。どういう経緯だったかは忘れたが、ブラキオサウルスのぬいぐるみも買ってもらった。

それから数年が経って西暦2000年を過ぎたころ、シネコンを含む大型ショッピングセンターが郊外に開業した。シネマサンシャインの系列で、スクリーンが8つも入っている巨大な映画館だった。新しい商業施設ができると地方民はこぞって出向くもので、僕の家族も「ハリーポッターと賢者の石」を観にそこへ行ったけど、そのときの父はすこし複雑な表情で、多くの感想を語らなかった。

町の小劇場たちはおかげで採算が取れなくなり、何年か耐えたあとで軒並み閉館した。僕は新聞で"徳島ホール"が閉館するのを知り、父に伝えると、かすれたような声で「そうかぁ」とつぶやいて、それ以上なにも言わなかった。あのときの父の、寂しそうで、今にも泣きだしそうな横顔を、僕はいまでも時々思い出す。

あれから20年ほどが経ち、数年ぶりに実家へ帰ると、リビングの片隅にあのときのブラキオサウルスが座っていた。首を支えていた支柱の部分が弱くなってしまい、不格好にこうべを垂れている。懐かしいな、まだ取ってあるんだね、と言うと母はそうねと微笑んで、それ以上は言葉にしなかった。映画は家族を繋げる大事な娯楽であったし、僕らの歴史でもあった。くたびれた恐竜の頭をひと撫でして、僕はそんなことを考えていた。

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