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堀江君の海賊旗

小学生の頃、堀江君という友達がいた。
痩せ体型で"ホネホネロック"と同級生から呼ばれて、からかわれていた。
僕も低学年の時に堀江君のこめかみを拳でグリグリ攻撃したことがある。
それでも彼は明るい人柄であまり気にしている様子もなく、男子たちの輪の中で楽しく過ごしているように見えた。

高学年になって、僕は放課後のクラブ活動でイラストを描いていた。彼もそこに居た。
堀江君は皆と仲良くドッヂボールクラブに入るだろうと思っていたから少し意外だった。
そんな僕の気持ちを察したのか、彼は「俺、絵好きなんだよ」と言っていた。
「好きなことはやっておかないと損だから」とも。

そして卒業文集に堀江君はドクロの絵がついた海賊旗を描いた。
当時漫画の"ONE PIECE"が連載を始めた頃だったのもあるけど、僕には"ホネホネロック"に対する"反骨精神"のように見えた。

中学に上がると、堀江君とは疎遠になった。
クラスが別になり、別の友達ができて、やがて廊下ですれ違ったら挨拶する程度の関係になった。放課後に一緒に遊ぶことは確か1度も無かったと思う。
そして別々の高校に進学して、ついに顔を見ることも無くなってしまった。

19歳の夏、僕は映画撮影のADとしてロケに出掛けていた。恐怖と死を題材にしたB級スプラッタ映画だった。
ロケ地は関東近郊の林の中で、星空が綺麗な夜だった。

電話が鳴った。田舎の母からだった。
「堀江君って知ってる?同級生の。今朝の新聞に載ってて」
それが彼の訃報だった。

「体弱かったんでしょ?知ってた?」
知らなかった。これっぽっちも知らない。
「生まれつき骨が弱くて15歳までしか生きられないって言われてたのよ」
思わず無言になる。
「19歳まで生きられたのは奇跡だってね」

僕は天を仰いだ。星が綺麗だ。
そんなことってあるのか。
これまでのことがフラッシュバックする。
堀江君が早く死ぬのを知っていたら、もっと優しくできただろうか。
でも誰もそれを求めなかったかもしれない。

堀江君は知っていたのだろうか、あの時、自分の命があとわずかしかないことを。
どんな気持ちで学生生活を過ごしたのだろうか。本当のところは、もう誰もわからない。

電話を切った。夜の撮影はまだ続く。
売れない役者が「まだ死にたくない、助けて」と命乞いをする。
血糊の飛沫が舞って、カットの声がかかる。

奇跡って何だろう。
悲しいのに腹が減る。こういうことだろうか。

今週も彼の代わりに”ONE PIECE“を読む。
僕の心の中でずっと折れないまま突っ立ってる、堀江君の海賊旗。
あれから15年経つけど、今でも時々思い出す。

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