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芸術家的世界とは、エントロピー最大の宇宙が始まる前の世界かもしれない。

タイトルが中二のように壮大すぎて我ながら笑ってしまうけど、もしよかったらお付き合いくださいませ。

前回こちらの投稿で

考えた二つの世界を深く突き詰めてみると、考えがつながってきた。

最後の項目に、芸術家的世界はエントロピー最大、実業家的世界はエントロピー最小という分け方をした。きっと専門家の人からみたら笑われるような勘違いをしているかもしれないのだけど、僕なりの解釈として。

エントロピーとは何かについてはこれとか面白いけど、やっぱり難しい。。

シンプルに考えるために、エントロピーの概念における、”世界は統制の取れた状態から乱雑な方向にしか向かわない”、という性質に話を絞ると

実業家的世界はまさに統制の取れた状態を理想とする。すべては計算可能で、すべては理論的、そうでないと人々がわかりあうのも難しいし、協業も難しい。

それに対して芸術家的世界は乱雑さでしかない。いや、整然とした緻密な作品とかアートもあるよ、と思うだろうけど、芸術家的世界というのはほぼ純粋な精神世界なので、精神世界から生まれる何かを実業家的世界であるこの物理空間に産み落とすためには必ずなんらかの実業家的世界の手法が必要になる。

だから、結果として生み出される物理的な何かはあくまで実業家的世界の産物でないと何も伝えられないし、むしろその実業家的世界での作品の生み出し方が巧みであればあるほど、その本質は伝わりやすい。

ここに、いわゆる芸術表現、芸術作品を生み出す難しさがある。

つまり、芸術家的世界でのアーティストの精神性は結局実業家的世界における技量、物量、費やせた時間、コスト、等によって図られがちになるということだ。

そうするとわかりやすい例でいえば、精神には共感するけど、作品はいまいちだね。。ということになったりする。

エントロピーは熱力学用語だけど、そこもこの二つの世界に当てはめて考えると面白い(正しいエントロピーに対する認識かどうかは知らないけど)

熱は高い方から低い方にしか伝わらない。というのは感覚的にわかる。
そしてその熱は二つの温度が均衡したところで移動が止まる。それもわかる。

熱がいろいろなエネルギーに変換されて今日の文明が成り立っていることも。

この世界が存在するということは、熱が高い状態、低い状態が繰り返されて、絶えず何らかの均衡状態に落ち着いていくことでほぼ同じ状態を保っている。

それがどこかの熱のバランスが変わって、新しいものに生まれ変わったり、消えてしまうものがあったり。そういうことを繰り返しているのだけど

最初に何かを作ろう!とするその心の熱は芸術家的世界からくるものではないか。今日のような社会が生まれるに至る紀元をたどるのは僕には難しいけれども、何か最初に"この世界は生きづらいな!変えてやろう!"という芸術家的世界からの強烈な熱から、様々なものが生み出されていったであろうことは想像に難くない。

それはまさに乱雑さのエネルギーだけをもった衝動、熱量のようなもので、そのエネルギーがこの物理空間に落とし込まれる中で何らかの形に変わっていく。

そうやって様々なものが生まれてきたのがこの世界かもしれない。

つまり、最初は乱雑さの極みでしかない、何の筋道も正解も不正解もないところから何らかの筋道が生まれ、その世界がまるですべてのように感じられて生きづらさを感じたりするけれども、

その乱雑さの世界は常に表裏一体にこの世界に存在していて、いつでもそのエネルギーを借りて何かを変えていくことができる。それこそが芸術の力ではないかと。

芸術家的世界、という言葉を使っているけれど、これはいわゆる芸術と今日言われている分野だけの話ではもちろんなくて、あらゆる創造的行為にそのエネルギーは使われている。

先に、” 芸術家的世界でのアーティストの精神性は結局実業家的世界における技量、物量、費やせた時間、コスト、等によって図られがちになる ”といったけども、それを乗り越えていくのはこの”熱量”をどれだけ芸術家的世界からもらい続け、実業家的世界で発揮させつづけるかということにかかっているのかもしれません。

おそらくそのエネルギー量は、こんなちっぽけな地球の片隅で使い果たすほど貧弱なものではなく、この宇宙を生み出せるほど莫大なものなんだろうなあとか。

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