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「表現の不自由展」中止に思うこと

愛知で2019年8月1日から10月14日までの間、開催されている「あいちトリエンナーレ 2019」。開催前から話題になっていた、「表現の不自由展」が開始直後に中止に追い込まれた。

中止に追い込まれたのは数多くの脅迫電話が事務局に殺到したからだという。中には、先の京都アニメーションの事件を想起させる「ガソリン携行缶を持ってお邪魔します」というものもあったというから極めて悪質だ。

ヘイトクライムに通ずる今回の動き

中止の知らせを聞いた時、まず思ったのは「見たくないモノを排除する」という動きがここでも起きたか、ということ。もともとインターネット自体が「見たいモノだけを見る」ように最適化されてしまう性質があるわけだが、それは政治的なイデオロギーなどをめぐっては、持論に沿うものばかりが情報として集まってくることと同義である。そしてそのことが持論をますます強化し、正当化することにつながる。

こうした特性をもとにした過激な行動が近年、あとを経たない。海を越えて頻発する「ヘイトクライム」も根本にあるのは同じ。そして、ネトウヨだのパヨクだのどちらを見てもそういった行動が起きている。

昨年の徴用工問題、レーダー照射問題などへの不誠実な韓国政府の対応を受け、日本国民の中では韓国に対する不信感が募っている。そうした背景もあり、今回の不自由展中止に対しては概ね賛同の意見が多いように感じる。しかし、この中止が意味することは結構重たいということまで思いが至っているようには思えない。

アートとは「美しい」だけではない

そもそも、アートとは多種多様な表現がなされるものである。美術館に飾られている展示された絵や彫刻の数々の裏にはさまざまなメッセージが込められている。特に「現代芸術」などは特にメッセージありきのものが多い。その中には当然ながら、政治に対するアンチテーゼのようなものも多々存在する。行政として予算を計上している美術館にもそうしたものは多数ある。

行政の予算で行政の意思にそぐわない展示はやるべきでない、という意見もあるが、そのロジックだと美術館全般も閉めざるを得なくなる。もちろん、意にそぐわないものは全て「排除」するという選択もあるが、そうなると完全に思想統制になってしまう。加えていえば、行政の予算とは元を辿れば国民から集めた税金が源泉である。税金を納めたものがすべて行政の意思に賛同しているわけではない。

そして、中止に追い込まれたという結果はある思想を持つ者たちには「成功」を意味することになる。一度成功体験を得た者たちは当然ながら二度、三度と成功を求めるようになる。彼らの意に沿わない展示や主張に対し、今後も同様のことが起き続けるだろう。その糸口を作ってしまったのだ。

中止への賛同は過激な思想の人々を後押ししかねない

こうした動きは先の大戦前夜と同じ流れになりかねない危険性を含んでいる。ある対象に対しての憎悪感を煽り、攻撃を正当化していく空気感が醸成されていく。先の大戦も過激な思想の一部の国民の意見が増幅され世論となり、それをメディアが輪をかけて増強したことで開戦に至った、ということを忘れてはならない。まさかと思うかもしれないが、戦争をおこないたい、見てみたいという人たちが一部ながら確実に存在するのだ。今回の中止に賛同するということは、結果的にそうした過激な思考の人たちの背中を押すことになる。表現の自由という側面からも重要な出来事ではあるが、それと同じくらい、危険思想の肯定という側面があることも忘れてはならない。

偏りがある展示内容が中止を後押ししたともいえる

一方で、今回の中止に追い込む理由を作り出した津田大介氏はその展示について猛省をすべきだろう。韓国の従軍慰安婦問題の象徴ともいえる少女像や天皇の写真を焼く、という展示だけでなく、異なる思想も取り込むべきだった。それこそ、韓国ではタブーとされる旭日旗やライダイハンといった展示まで組み込み、思想に偏りがないように配慮すべきだっただろう。先の内容では「津田氏の思想に対する不自由」展ではなかったか。

結果的にいえば、今回の電凸による中止によって、「表現の不自由展」という企画自体はまさにその意図を達成してしまったことになる。しかし、それも一方的な思想のみを掲示したことによって、「本当に不自由だったのか?」という根拠が浅いものとなってしまった。今回の中止に至った結果がただ表現の自由という観点だけでなく、危険思想を持つ者に成功体験を与えてしまった、という点に津田氏は考えが及んでいただろうか。

最後に、一連の結果として愛知の大村知事の責任を問う意見もあるが、断じて間違っている。都道府県という行政区分の長として、アートの多様性と公共性を重要視したことについてはむしろ賛辞の声を送りたい。ただ、展示内容をしっかりと精査しなかったことについては悔やまれるところだ。

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