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助け合い社会がやってくる

今までも「助け合い」というのは大事な要素だったと思います。大震災が起こった時、大きな自然災害が起こった時、人々は助け合いの精神で、被災された地域の人々を助け合いながらここまできました。しかし現在はどうでしょう。世界中が新コロナウイルスと戦っています。つまり、今は自分たちの国、自分たちの会社、自分たちの家族を守るのに精いっぱいです。今はこころに余裕を持つことは難しい気がします。

数年後の世界も想像してみたいと思います。仮に数年後、ウイルスの抗体が世界中の人々に行きわたったとしても、いったん落ち込んでしまった経済を立て直すのはそう簡単なことではありません。また今までの常識がガタガタと崩れ始めている今、これまでどおりのやり方では通用しない世の中になっているのではないでしょうか。

経済状況とも紐づくと思いますが、これからケアする必要が最もでてきそうなのが一度落ち込んだ気持ちを立て直すことです。日常が一瞬で奪われて、いつ収束するか先行きも見えてきません。そんな気持ちを少しでも引き上げる要素として大切だと思っているのはお金よりも「助け合い」のこころ。

苦しいときに助けられるのって嬉しいじゃないですか。相手も苦しいのが分かっているけど、それでも助けてくれるって。

10万円の給付金がもうすぐ配られるわけですが、そこで出てきているのがお金はもらうけど、困っている人たちに寄付したいという声。お金の蓄えがある方だけではなく、本人も苦しいのではないかと思う人であっても、最前線で戦っている医師や看護婦さん、生活必需品を生産して届ける工程の中で関わっている人にお金を渡したいという声。

私の趣味の話で恐縮ですが、ライブハウスも今、営業ができないのでかなり厳しい状況です。そこに同じように苦しい状況に追い込まれているはずのアーティやバンドマンがそれぞれ支援の手を差し伸べている。東日本大震災の時ももちろんありましたが、あの時と状況が違うのは助ける側も同じように苦しい状況に追い込まれているにも関わらず支援を差し伸べています。

ここまでnoteを書いていて、ある言葉がふと頭に浮かびました。「共存」。恐らく昔を遡れば人類が「共存」して生きてきた時代があったと思います。しかし、いつの日かそこに争いが生まれ、競争が起こりました。世界が成長していく中では必要な過程だったと思います。しかし、今、世界全体が疲弊して、目に見えない敵と戦っている段階では争いは無力に思えてきます。少なくてもこれから10年くらいは。

自分自身が苦しいときに、同じように苦しいはずの人から助けられたら、あなたならどう思いますか?

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