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われにとり花見とはただ一隅の桜に寄りて愛でることなり

今年も桜の季節になった。一気に花を咲かせ、ほんの一旬ほどの後には、花吹雪となって散ってしまう桜。名所には多くの人が訪れ、満開の花を愛でる。本居宣長を待つまでもなく、桜花は日本人の美意識に深く根づいていると改めて感じる。

ただ、ふと思う。何百本もの桜がいっせいに花をつけている光景は、壮観でもあり、華麗でもある。だが、その桜樹の下、何万もの人々が押すな、押すなの行列を作っている風景。そこに、何とも言えぬ、居心地の悪さを感じるのは、僕だけだろうか。

『長屋の花見』でなくてもよい。友人や家族と連れ立っていなくてもよい。わが家(マンション)の前にある小さな公園に、僕のお気に入りの一本がある。その一本の桜に足を止め、しばし物思いにふける。これが、僕の花見なのだ。

2019(令和元)年 春

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