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究極目標は「三原駅をのぞみ停車駅に」!個性をつなげる情報発信基地でにぎわいを【RING HIROSHIMA】

長い間、製造業を中心とした企業城下町として栄えてきた三原。工場で働く人たちや商用で訪れる人たちによって夜の街はにぎわいがある一方で、昼間のにぎわいが長く課題でした。ところが、事業再編などで企業の撤退が相次いだ上にコロナ禍が重なり、夜のにぎわいも失われつつあるというのです。新幹線駅の目の前に街が広がる、というアドバンテージを活かして、なんとかにぎわいを取り戻すことができないだろうか…。そんな問題意識を持ってRING HIROSHIMAに挑戦者としてやってきたのは、県外から移住してきた元サラリーマンでした。どんな挑戦なのでしょうか。

CHALLENGER 有限会社三城商会 一瀬尚志さん 

「59歳。何の起伏もないサラリーマン生活を続けていましたが、9年前に妻の実家がある三原に来まして」。ギラギラした猛者がそろうRING HIROSHIMAにしては珍しく涼しい雰囲気をまとった一瀬さんは、元銀行員。

一瀬尚志さん

「自動車部品販売会社の2代目だった妻の両親が相次いで亡くなり、立ち行かなくなりまして。銀行員経験が役に立てばと思って急遽、会社を辞めて移住したんです。知識も経験もなく、周りの環境もわからない中で着任したんですが、いろんな方と知り合う中で三原がすごく好きになりました」

ただ、気になることが。
それは、街に活気がないこと。

三原駅南口ロータリーの目の前にある創業地は現在貸しビルで家賃収入があったのですが、空き状態。昨年まで、1階に無人の餃子販売がテナントで入っていましたが、その店が退去した時、一瀬さんはモヤりました。家賃収入が得られればそれでいいのだろうか、人と人とのつながりを生む場所になり得ないかと。「テナントがつくのを待つより、自分で何かやろう」。

一瀬さんの会社が所有する駅目の前のビルの外観

そして一瀬さん、ビルの1階であるチャレンジをしようと考えました。
それは、シェアショップの開設。

「複数のお店が場所を共有する形で、飲食や物販など複数店舗が同時に営業する。地元の才能を結び付け、それぞれの個性も加味しながら、シェアショップをコミュニティショップにしたいんです」

不動産屋さんに怒られつつ、そんな構想を抱いたのです。「回り回って三原が元気になることで本業もうまく回れば」。

そんなときに、SNSでRING HIROSHIMAを知った一瀬さん。「やろうとしてることに合致するんじゃないか」。そう考え、挑戦することにしました。

SECOND 村田秀文さん

「それって不動産屋さんの仕事では?」。一瀬さんの野望に伴走することになったセコンドの村田さんは、最初そう思ったそうです。しかし、一瀬さんの熱い想いを聞き、現地を訪れ、納得しました。「駅前にあれだけのスペースがあって、定期的に何かがあって、その事務局が一瀬さんのビルってなればにぎわいになる」。

村田秀文さん

村田さんは、生まれも育ちも広島。地域の方をはじめ様々な人的ネットワークがあります。イベント業の仕事をしていて、10年ほど前、広島県の観光キャンペーン「おしい!広島県」の事務局として、県に出向しました。

そして昨年度は、実は広島県庁内でRING HIROSHIMAのサポートに従事。「セコンドの皆さんの団結力とか動き方、いろんなジャンルの方がいるのを横から見てて面白いなと思って、今度は自らがフィールドに立ち、サポートしたいと思いまして」。様々なイベントの運営や企画を行ってきた経験を生かして活動をしていきたいそうです。

「JR三原駅の乗降客数は12,000名、駅前通行量も平日21,575人、休日17,871人と実は動いている。減ったとはいえ通勤通学客は一定数いる。3年前に駅前に移転オープンした中央図書館も平日800~900名、休日は1200~1300名の来館者がある。これらの人たちが駅前でお金を落とそうにも、そもそもお店がない」と嘆きの一瀬さん。

三原駅前ロータリー側から見た、一瀬さんの会社所有のビル(大きな看板が屋上にある5階建て)

「シャッター街とまではいかないが、空き店舗が増え、元気のないエリアになってしまっている。これをなんとか反転させたい」と力を込めます。

さて、シェアショップの開設計画。

地元の建築デザイナーに依頼して図面が完成した段階での RINGへの参戦です。「スケジュールの問題と、もう一つはマネタイズ。事業として成り立ち継続できるのかをRINGから学びたい。実証実験という期間の限りがなければ、出店者の募集にかかりきりで後ろ倒しになっていた。実証実験に乗ることで、2月までにやらなきゃという意識が芽生える。理想は高く、妄想は激しく」。一瀬さんはそう言います。

シェアショップにしたいという1階の内部

「三原駅南口の方に降りて、図書館の方を向いて右側の方は、店がたくさんあるので、人は今そっちに流れてるんですね。駅を降りて左側、一瀬さんのビルがある方は、イオンに向かって歩いて行く高齢者が多い。もっと人の流れを作らないと意味がない」とは、村田さんの見立て。

シェアショップに入るテナントが、それぞれどんな客層をターゲットとするか。「子どもたちを狙うのか、OLとかサラリーマンを狙うのか、もしくはおじいちゃんおばあちゃんか。店舗それぞれ別々。いろいろなものがそこのビルを拠点に動き出す形を作れたら」。

とにもかくにも、人の流れを作ること。

Marche IN THE ROOM のイメージスケッチ

「Marche IN THE ROOM」と銘打った今回のプロジェクト。座談会や説明会を開催して、地元の人たちの意見を聞いたりしてきた中、一瀬さんは11月23日、着工前の何にもない状態で、初のポップアップイベントの開催を試験的に開いてみました。村田さんのアドバイスを受けての挑戦。スイーツやカレー、アクセサリーや雑貨など、地元三原を中心に様々な出店者が商品を並べました。親子連れなど100人以上が訪れたそうです。

「実証実験の目的は、何回かマルシェをやって、ここに情報発信基地ができるというのを、市民の方に知ってもらうこと」。村田さんはそう説明します。商店街に設置されている、人流測定のAIカメラの使用許可を取り、普段の人の流れと、一瀬さんがイベントを行ったときの人の流れの計測データを取ることも目的の一つでした。

「出店者をたくさん集めることも大事だけど、あくまでも来てくれるお客さんを増やさないと出店者も安心できないし、その視点が欠けてるというアドバイスを村田さんからいただいた」と一瀬さんは言います。12月16日には、タフティング技法を使ったラグ製作やアクセサリー作りなどのワークショップを開催、1月20日には室内マルシェを計画しており、イベントやワークショップを細かく繰り返していく予定です。

「人が集まる場所とか普段から密度が高い場所になると、そこに新たな街ができる」。村田さんは今回のチャレンジの意義についてそう語ります。

挑戦者の一瀬さんとセコンドの村田さん

大きなことを言うと、人の流れが変わることで新幹線ののぞみが止まるぐらいになったらすごい。各地にある駅前のモデルケースになれば、日本全体が盛り上がって楽しい。それが三原発広島発だったら最高。同じようなことを考えてるところは全国にある」。

三原のアドバンテージって?

村田さん「三原にはすごい面白い個性を持った方がめちゃめちゃいるのに、その情報が広島市内まで届いてない。要は情報の出し方の問題。こないだ聞いたんですけど、『メタばあちゃん』。

フォローしてる方も日本全国にいるのに知らない。実はメタばあちゃんをフォローしてるのは若い子だったりするので、世代間交流が生まれるような何かをやるとか。個性を持った面白い方がタッグを組むと、広島市に負けないとんでもないことができる」。

改めて、一瀬さんの決意は。

「三原って保守的なところ。その意識をちょっとだけ変えたい。現状維持だと、どんどん衰退していく。もしかしたら街がなくなるかもしれない危機感を私は持ってる」。そうなっては困る。だから自分ができる何かをやる。「自分だけの力だけじゃなくて広がって、三原の人のウェルビーイングが良い方向に変わればそれが本望。なので、のぞみが止まるかどうかわかりませんが、微々たる力だけど少しずつ広げていきたいです」。


EDITOR'S VOICE 取材を終えて

最近、三原づいている筆者。社会起業家出身の市長が登壇するイベントを取材したり、三原在住の元女子プロ野球選手にインタビューしたり、三原のデザイナー集団に共著の装丁でお世話になったり、「個性的人々遭遇確率」は、広島のまちの中でトップレベルなのではないか、と感じていました(加えてメタばあちゃん!)。人が元気だったら、まちにもやはり活気があってほしい。まちづくりには「よそ者、若者、バカ者」が必要だとずっと言われてきているけど、よそから移住してきた一瀬さんの問題意識と三原愛が、いい形で結実してほしいですね。のぞみが止まらなくても遊びに行きます!(text by宮崎園子)


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