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富山の「地域文化資本」と「Creative Class」の親和性

quodの一連の活動で得た知見を活かして、地域の文化資本を研究・分析する「地域文化資本ラボ」。今回のnoteでは、僕が富山に移住して感じた「地域文化資本」の価値について、「Creative Class(クリエイティブクラス)」の話を絡めながら書いてみようと思います。

大きな力に生かされているという感覚

僕は2020年に富山に移住し、東京との2拠点生活を送っている。
 
以前のnoteで「小学校までに47都道府県をほぼ回った」と書いたけど、これまで実際に地方に住んだことはなかった。quodを立ち上げてからも、東京に住みながらプロジェクト毎に地方に赴くという生活を送っていたが、東京の生活で蓄積していたモヤモヤや閉塞感がコロナ禍で浮き彫りになった。
 
日々情報ばかりつくっていて、地に足のついていない感覚。自分は何のために仕事をしているんだろうと悩んで、山形に山伏修行(これも以前noteに詳しく書いたので、興味のある方は読んでみてください)に行った。そこで自然の恵みに生かされていることを体感し、何かの役に立っているとダイレクトに感じられることが僕にとっての幸せなんだと気づいて、ちょっと救われた気がした。
 
そこから本格的に地方移住を考え始めた。僕の祖父母の出身地で、quodのプロジェクトで関わりのある長野も候補に挙がったが、妻が出産を控えていたこともあり、まずは里帰りも兼ねて義実家のある富山に行ってみようということになった。
 
もともと富山には定期的に通っていて、めちゃくちゃいい場所だと思っていた。北欧も好きでよく行くけど、フィンランドやノルウェーのような世界レベルの自然と、立山連峰の美しさは遜色ないと思う。立山連峰が毎日見られたら幸せだろうなと思ったのも、富山を選んだ理由の一つだ。また、立山は北陸の修験の聖地でもある。山形での山伏修行も富山という地へ導いてくれたのかもしれない。

トライアルのような気持ちで移住したけど、住んでみてすぐに水が合うと思った。出会う人の人柄が素敵なのはもちろん、哲学的な精神風土があり、暮らしにおける“当たり前”のレベルがすごく高い。その背景には、この地域に根づく浄土真宗の信仰がある。自己を超越する大きな力をよりどころにしているため、他人に優しくしたり、自然の恵みに感謝したりすることが当たり前なのだ。今の時代、宗教というと「〇〇を信仰しています」みたいな捉え方になるけど、本来はもっと生き方のベースとなるような、生活に溶け込んだ存在だったのではないだろうか。
 
富山に来て最初に驚いたのが、ゴミが落ちていないこと。市街地から田んぼの畦にいたるまで、すごくきれいに保たれている。そして極めつけが、お店の駐車場に車を停める時。みんな必ずお店の正面に車の頭が来るように停めるので、不思議に思って理由を聞くと、「その方がお店がきれいに見えるじゃん」とのこと。大きな力に生かされている、見られているという感覚が、ここまで生活の質に関わるのかと感銘を受けた。
 
富山は地形的にも興味深く、立山連峰をはじめとする3000メートル級の山々が水深1000メートル超の富山湾まで連なっている。この4000メートルもの高低差が豊かな海の恵みをもたらす。

また文化度も高く、江戸時代に加賀藩前田家が文化政策を推進したことにより、自然から抽出したクラフトや伝統技術などが多く蓄積されている。
 
さらに重要なのは、富山ではこうした魅力が昔のまま残されている割合が高いということ。今は北陸新幹線で東京から2時間で行けるけど、開通前は妻の実家に行くのに6時間くらいかかった。ある種、“閉ざされた地域”だったことがプラスに働いて、自然の恵みから生まれる営みや文化が都市化されずに残ったんだと思う。これこそが「地域文化資本」だと僕は捉えている。

クリエイティブ産業の素材は日々の刺激

富山で暮らす中で、この地域と「Creative Class(クリエイティブクラス)」との親和性が見えてきた。
 
クリエイティブクラスとは、経済学者のリチャード・フロリダが提唱する概念で、僕の大学時代の研究テーマでもある。クリエイターやナレッジワーカーなど、自らの創造性を通じて経済的な価値を見出す仕事をする人々を指し、第三次産業の一部であるクリエイティブ産業を牽引している。
 
クリエイティブ産業に従事する人の割合を見てみると、スウェーデンやノルウェーなどの北欧諸国では労働人口の約半数にのぼる。対して日本は15%程度と低いが、今後伸びていくことが予想できる。


鉄をつくるために鉄鉱石などの素材を集めて加工するように、クリエイティブ産業では日々の暮らしで得る情報や感性への刺激が素材となる。音楽家が人との会話や風景にインスパイアされて楽曲を生み出すようなイメージだ。つまり、どんなライフスタイルを送るかがクリエイティブクラスの創造性を左右すると言える。

冒頭で僕は2拠点生活をしていると書いたけど、各プロジェクトでその他の地方都市にも足繁く通うため、厳密には3拠点生活だ。経験してみてわかったのは、適度な集積のある地方都市に生活基盤を置き、最新の情報が得られる大都市と、自然・文化資本が豊かな郊外を行ったり来たりできるライフスタイルは、クリエイティブクラスにとってすごく有益だということ。

僕がメインで住んでいる富山市は人口40万人で、そんなに都会じゃないけど普通に便利。東京まで2時間、氷見や南砺などの自然豊かな場所にも1時間足らずでアクセスでき、地理的にも前述したライフスタイルを実現しやすい。

さらにクリエイティブクラスの拠点としてポイントとなるのが、その土地が持っている「正当性=オーセンティシティ」。いいクリエーションのためには良質な素材が必要で、その素材は時代を超えて受け継がれる確かな資本であることが重要だ。例えば、オーセンティシティは世界遺産登録の審査基準の一つでもあるが、南砺には世界遺産の五箇山がある。前半に書いた浄土真宗の信仰や、歴史に裏打ちされた文化度の高さなども、同様にオーセンティシティと言えると思う。このように、富山にはオーセンティシティを備えた文化的な資本、すなわち「地域文化資本」が豊富にあるのだ。

それぞれのプロセスに適した場所がある

実業家のジェームス・W・ヤングは、クリエイティブ産業における知的生産には一定のプロセスがあると提唱する。情報を集め、咀嚼し、その組み合わせがうまくハマることでひらめく瞬間があり、そこから世の中に価値として提供できるように磨き込むといったものだ。

僕たちquodはクリエイティブクラスのギルドとしてさまざまなプロジェクトに取り組んでいるが、例えばJINSと手がけたThink Labのプロジェクトなら「情報集め」と「咀嚼」、白樺湖のレイクリゾートプロジェクトなら「組み合わせ」と「ひらめき」というように、プロジェクトの特性によって各プロセスの比重が異なる。それぞれのプロセスに応じて「大都市」「地方都市」「自然」など必要な場を分けて考えることで、プロジェクトの効率と有効性が増す。
 
ちょっと余談になるが、富山は子育ての環境としても優れていると思う。東京などの大都市はコミュニティがクラスター化しがちだけど、富山では漁師さんやガラス作家さん、お茶の先生などが“隣の人”感覚で近い距離に存在している。親の職業が子どもに与える影響は意外と大きい。僕も父が金融関係で、少なからず影響を受けたと感じている。子どもの頃からさまざまなジャンルの人たちと垣根なく交流できれば、将来の選択肢が大きく広がるのではないだろうか。

これは大人である僕も同じで、人生で今が一番若い時。富山に住むようになって深い学びを得たし、土地を読み解く力も格段に上がったと思う。日々の生活の中でありがたさを感じる場面が増え、東京で感じていたモヤモヤも解くことができた。同時に、まだまだ学ばせてもらっている途中でもある。
 
色々と書いてきたけれど、僕は全クリエイティブクラスに富山移住を勧めているわけではない。富山はあくまで一つの好例であり、それぞれのプロセスに適した場所があるように、合う・合わないは人によって違う。僕自身も20代の時に富山に住んでいたら今と同じ感覚にはならなかったかもしれない。自分の感性や仕事のスタイルに一番フィットする環境を見つけて、可能性を広げていくことが重要だ。

次回noteでは、クリエイティブクラスとともにつくり上げた富山のプロジェクト「杜人舎」の事例を紹介したいと思う。また読んでいただけると嬉しいです。

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