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【ま】 満足ってなんだろう

僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴はもうすぐ6年になる。40代の半ばでこちらに赴任してきて、いまは51歳になっている。

最近どうも「満足した!!」という経験をしていないような気がして、その理由を探るべく「満足」について考えてみたいと思う。

「満足」をコトバンクで調べてみたら、「心にかなって不平不満のないこと。心が満ち足りること。また、そのさま。十分であること。申し分のないこと。また、そのさま。」とある。

不平不満がないかというと、まあない。ゴルフの飛距離を伸ばしたいとか美味しいマグロの刺し身で旨い日本酒をキュッと飲りたいとかそういう欲求はあるけれど、飛距離は努力してないからだし、マレーシアで美味しいマグロの刺身が手に入るかというとそれなりに難しいから、前者は自分のせいだし、後者は住んでいる場所のせいなので、不満を持っても仕方がない。

十分かどうか、って言われるととても抽象的だけれども、まあ十分な気がする。ご飯はちゃんと食べられてるし毎晩の晩酌も欠かしていない。たまに旅行に行くぐらいのお金はあるし、いっしょに飲みに行く友達もたくさん出来たし、いまのところ健康だし。

このように、のほほんと人生を過ごしている人にはもう「満足感」を味わうことが出来ないのだろうか。

子供の頃は部活の後とかにどうしようもないぐらいの空腹感を常に感じていて、晩御飯をたらふく食べたあとには確かに満足感はあった。
ギターの難しいフレーズを弾きこなすことが出来るようになったときにも、この満足感はあった。
九州ラーメン屋の月に一度の替え玉無料デーに行って3玉おかわりして食べきった後にも、なんとなくこの満足感を得ていたような気もする。

この歳になると、どうしようもないぐらいの空腹感を感じることもなくなったし、これから人様の前でギターを弾くような予定もないからそんなに難しいフレーズを弾く必要もないし、ラーメン屋で「大盛り無料ですがいかがしましょ?」って言われても「いいえ、普通で」と答えることも増えてきた。

こう考えると、歳をとるごとに人生の残り時間が計算出来るようになるし、体力も徐々に無くなってくるから、強い欲求を持ちづらくなって、なんとなく特に不自由もない生活に慣れて、満足感を忘れてしまっている自分がいるような気がする。

大丈夫か??俺!!!!!このまま余生を送っていいのか??俺!!!!

お前はまだわかっていないようじゃの。これが「満足」というものじゃ。日々安寧に過ごせるのであればそれでいいではないか。

僕の中に潜む変なおじいちゃんの声が聞こえる。そんなに無理して頑張る必要はないんじゃないか...。

このおじいちゃんの正体は未来の俺か??

いや、否!!

51歳というのは微妙なお年頃で、頭の中では60歳になるときのことをイメージしたり、自分の体力の低下に対して用心して階段の昇り降りをゆっくりにしたりしているんだけれども、それを他人に気づかれたくはない。

60歳を超えてまだまだ元気な人に会うと、心のなかでは俺もまだまだ大丈夫!っていう嬉しい気持ちになったりするけど、そういう人たちには「いやー63歳には見えない!お若いですね!」と、ちょっと年下ぶった言い方で若い自分を演出したりもしてしまう難しいお年頃なのである。

こんな感じなので、残りの人生で満足感を得るためには、自分で何か目標を決めてそれを達成するという行為を繰り返さなければならない気がする。

それも達成がわかりやすいものでないとやる気が出ない。マレー語が話せるようになるっていう目標を立てたとしても、ネイティブのように話せるようになるにはそれなりに大変で、こういう類のものは「よし、これで達成!」というゴールが見えづらかったりするから評価が他人に委ねられてしまう。

ゴルフで80台を出す。こういうのは数字なのでわかりやすいといえばその通りなんだが、自分の周りにバンバン出してる人がいるから、達成したとしてもなんだか喜びが薄いような気もする。
誰のためにもなってないし。

前から日本酒の利酒師の資格を取ろうと思っていたけれど、マレーシア生活が長すぎて繊細な日本酒の味覚を取り戻すには時間がかかりそうだし、そもそも海外に在住していては不可能な話だ。

ダメだ...。こんな言い訳だらけの思考回路では目標の設定すらままならない。ということは残った人生で体が打ち震えるような満足感を得るには、根本から人生を考え直さなければいけないような気がしてきた。

絶滅寸前の海洋生物の保護に人生を捧げるとか、貧困で教育もままならない人たちへの援助活動に没頭するとかそういうことかな。

そういう活動に対する敬意はすごくあるけれど、僕がいま置かれている環境では、寄付をするのが精一杯な気がする。仕事もあるし家族もあるし。

ここまで書いてきて思うことは、僕の人生はちょうど過渡期にあるんじゃないかということだ。
若い頃は女性にモテるということがひとつの大きなモチベーションの源泉になっていたけれど、そういう欲もだんだん無くなってきたし、お金をもっとたくさん稼いでいろんな経験をしたいという欲も、ある程度稼げるようになっていろんな経験をしてきたら、徐々に消え去ってしまった。

次の満足はなんなのか、という問いに答えを出していく年齢に差し掛かってきているんだろう。

きっともっと歳をとったら「健康」とかそういうものになっていくんだろうけれど、まだまだ悪あがきをしたい。

とりあえず今年中に万馬券をゲットすることを当面の目標とします。

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