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シャーロック・ホームズの文学的側面

45年前といえばほとんどの読者の方はまだこの世に生まれていなかった。わたしはすでに生まれていてひたすら大学受験の準備をしていた。科目数の多い国立大学よりも3科目で受験ができる私立大学にしぼっていた。それでもしんどい。朝から晩まで受験のことばかりだった。当時の受験は普通では考えられいような競争倍率だった。

わたしが通った大学の競争倍率は入学してからわかった。入学希望者に対して合格者は10人に1人。合格率10分の1だった。中でもお隣の文学部というのは極めて狭き門だった。一体そんな厳しいところに入学して将来何になるのか。わたしにはちょっと不可解な学部でもあった。ほとんどの文学部の学生は高校の先生になった。それだけ安定した公務員指向だったが、いまではそういうひとはいないだろう。

さて45年の時を経てあるイベントでシャーロック・ホームズについての読書会があった。この読書会では課題図書が指定されている。NHK出版によるNHKテキストで「100分de名著シャーロック・ホームズ」というものだった。著者は廣野由美子先生。京都大学大学院の教授。英文学者。2023年の9月にEテレで4回に渡って放送され、指南役として廣野先生による解説があった。

オンラインイベントは2時間。各部屋にファシリテーターがいて参加してきた人を順番に指名する。テキストにある各回での気づきと話してみたいこと、つまり疑問点を出し合う。わたしの入った部屋では4人の男性がいた。女性はいなかった。

わたしは4回のところで何を聞きたいのかをあらかじめ準備しておいた。第一回は名探偵の誕生。ここではこう質問した。名探偵が誕生し、人々の圧倒的な支持を受けたと書かれてある。その理由が書かれてある。賛成しますか。参加して来た人はほとんどがシャーロック・ホームズについて知っており廣野先生の見立てに賛成していた。

わたしはこの本の中でどうやって名探偵が誕生したのかが導入部としてきれいにまとめられていた。参加者も概ねそんな意見だった。

第二回では事件の表層と真相という表題がある。わたしはここでホームズの中に表層と真相が反転するところ。そこを指摘してその描き方が現代にも通用するのか。物語の複雑化の技術(スキル)はどうかという質問をした。参加者の中には内容面で多少の違和感を覚えるという指摘はあった。ただ概ね形式面でストーリーの描写は見事であって、内容面でも味わいのある探偵小説という意見が多かった。

ところが第三回、ホームズと女性という表題のところで参加者が冷静さを失い、言いたい放題になってしまった。この回ではホームズがほとんど女性関係を持たなかったこと。女性嫌いの名探偵として登場している。しかもヴィクトリア朝では女性に社会進出の機会はない。財産を相続する権利もなければ選挙権もない時代という指摘があった。

そうすると女性の幸せは結婚するしかなかった。そしてそうでない身分の低い多くの女性はお手伝いさんになるしかなかった。お手伝いさんは多少いい言い方ではあるものの、実際は召使いといった言い方もある。

わたしが最初に東京で勤務したスイス銀行東京支店。現在はUBS東京支店。1980年代そこにいた証券部の支店長はグレッグ・シェイクマン氏。ケンブリッジ大学卒業であった。霞が関のオフィスから少し離れた神谷町に自宅を構えた。わたしはなぜかある週末にパーティに招待された。

神谷町の自宅には3人の英語をしゃべる日本人のお手伝いさんがいた。ホームズの著者ドイルが130年前に対して女性に対して持っていた何かしらのフェミニズムといえる尊敬はあるのか。そんなものはかけらもなかった。こんな話になり読書会がくしゃくしゃになってしまった。

しかし4回になるとまた不思議に話はもとの路線にもどった。ここでは人間性の闇と光というテーマでテキストが書かれている。ここで廣野先生はイギリスの探偵小説を他国と比較している。アメリカ、フランスを例にあげる。アメリカは感傷的に扱う。フランスはメロドラマのように主情的だという。そしてイギリスは人間性の探求をするという。ここからが面白いところだ。

それは探偵小説が人間の弱みと暗部を探求する物語であること。そしてこのシャーロック・ホームズの人気の秘密は作者アーサー・コナン・ドイルが自分を飾らない人だったという仮説をたてている。この主張を裏付けるものとしてドイルはアウトドア派であったこと。一方、探偵ホームズはインドア派。ロマンチストな既婚者ドイルに対してホームズは女性嫌いの独身者だった。実は作者のドイルを光と見なし、探偵ホームズを闇としている。

シャーロック・ホームズは闇の英雄(ヒーロー)だということだ。

ドイルはホームズの同居者で医者であるワトソンだったのである。だからワトソンが物語を語っている。一方、ホームズはドイルの先生だったベル教授。教授はエディンバラ大学医学部の恩師だった。そのことから医者になり切れなかったドイルが物書きとして才能を開花させたことがわかる。

こういった流れで読書会は終わった。わたしは著者である廣野先生は圧巻であると読書会で発言した。4回で見事にまとめている。これは文学という文章に通じている人たちが書く文章としてとてもすぐれている。ぜひ文章を学ぶ学生として廣野先生の授業を受けてみるのがいい。できれば一方的な講義でなく、演習で先生から文章を学ぶのがいいであろう。

わたしはここで文学についても学んだ。ひとつは文学というのは人間の深みを理解するものであること。よくいわれるのは人間の弱みと暗部といったところ。なので犯罪行為をしてしまう。もうひとつは物語という文章を書くにあたり文学から学ぶものが多いであろうということだ。

45年前にわたしは文学には興味がなかった。どちらかというとアメリカの政治、経済、社会ということを幅広く学びたかった。政治と経済はよく学んだ。そこから経済を選び、やがてビジネス=経営学へと進んだ。アメリカのビジネスを学びにビジネススクールにまでいった。そこではビジネスを科学的・論理的に分析するというものだった。

どちらかというと社会、心理、哲学、文学といった分野は知らない。たまたま知った読書会で文学者が探偵小説を解説するというものだった。この不滅の作品、シャーロック・ホームズというのは学問かどうかというよりはミステリーとして味わいながら学ぶこともあろう。