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大学生がセクハラから身を守るには

2010年に企業勤務を辞めて翌年から大学講師になった。商社の先輩にお願いして何とか講師として登壇できないか。そう相談を持ちかけた。先輩の出版本に触発されたこともある。運よく教壇に立つ機会に恵まれた。数年してようやく授業に慣れてきた頃にちょっと気付いたことがあった。

セクシャルハラスメントがあってはならない。講師室に掲示されてあるポスターが目に付く。出入口のところのパンフレットにはセクハラ防止のためにとある。自宅に送られてくる封書を開けるといろいろな大学の事件が載っている。教員を集めて注意喚起のための講習まであった。

わたしは都内にある大学と千葉県、埼玉県、そして神奈川県の各県にある小さな私立大学を担当していた。関西の方にもときどきでかけて講義をしていた。すべての大学でセクハラ防止のための注意喚起が行われていた。

4月1日付の読売新聞にセクシャルハラスメントの記事が載っていた。読売が調査を実施した。過去5年間、セクハラ教授らの処分が78人にのぼったという。処分のうち停職が最も多く(どちらかといえば軽い)、文科省は懲戒解雇を求めているという。調査は国公立185校で87%の回収率。文科省はセクハラやわいせつ行為には厳正な処分を行うように通知した。

ここではハラスメントいう定義から始め学生になりきってみて身を守る手段を述べてみたい。オープンな場を選び二人きりにならないこと。次に泣き寝入りしないために被害を記録できるデバイスを持ち歩くこと。定期的に注意喚起すること。

ハラスメントとは何か。セクシャルハラスメントとは何だろう。これはわいせつ行為よりも悪質な行為である。教授が優位な立場を利用して相手が嫌がっているのに繰り返し身体を触るなどの苦痛を与えることをいう。定義を分解してみるとどうなるか。立場を利用してということからはじまる。

男性教授という力が強く高い立場の人が指導を受ける学生側、つまり弱く低い立場にいる学生に対して行うことをいう。上下・強弱がはっきりとしている関係。そのためなかなか嫌ということがいえない事情がある。しかしながら嫌ということをはっきりと表明している場合にも強要してくるとハラスメントになる。断っているのに男性側があきらめることをせず繰り返し苦痛を与える。身体的・精神的苦痛により学生が被害を受けてダメージを受ける。警察署の被害届に記入できる項目が出てくる。

これに対して異論はそれほどないであろう。ではこれから身を守るにはどうしたらいいか。

大学の先生と研究室で二人きりにならないこと。指導を受けるときは夜は避けて日中を選ぶ。長い時間かけないこと。部屋のドアが開いている研究室の先生を選ぶこと。そういったことが必要になろう。指導をする側もドアを開けておく。実際6年くらい勤務した千葉市にある私立大学では教授は研究室のドアを常時開けていた。冬場は結構寒いのではないかと懸念したが常時開けて学生が入りやすく、いつでも退出しやすいようにしていた。

一対一で指導を受けるようなことはせずなるべく複数の友人学生と研究室を訪れるようにする。日中にドアが開いていれば警備員も見ていることが多い。警備員は定期的に研究棟を巡回している。

次にもし事件が起きてしまったときのこと。大学に設置された相談室を利用する。納得いかない場合は泣き寝入りせずに弁護士に相談すること。法テラスを利用すれば紹介してくれる。最初の30分は無料で相談に乗ってくれよう。弁護士に相談するときは証拠があって証明できるかどうか。代理調停できるかどうかの判断材料になる。

証拠はスマホや小型の録音できるデバイスを使う。これを常に持ち歩き身に着けておく。バックの中にいれておいてもよい。証拠がはっきりとしていれば弁護士も動く。その際には弁護費用について費用がかかる前に問い合わせをしておく。通常は着手金、弁護の準備、実費といった報酬になろう。着手金10万円、準備のために1時間2~3万円、そして実費を請求してくる。それらをまとめていくら弁護にはいくらかかるのか。その旨問い合わせてもよい。

大学側もいまは学生が指導に不満を持っていて常にスマホで録音していることを知っている。それを大学教員に伝えている。セクシャルハラスメントという悪質行為がおこるはずもない。注意喚起して起きるのであればこれは何かが相当おかしいということだろう。泣き寝入りすることはない。

教授と学生。指導者と研究生。その間にある信頼関係というのは脆い。昔のドラマにあるような関係はもう成立しない。十分に理解しておこう。研究だけしてもうまくいかない。教育自体にリスクがあるという研究背景があってどんなに頑張ってもうまくいかない。指導してもそのとおりには研究生の研究が進まない可能性は十分にある。研究という不確実なところで脆い関係しか成立していない。そこを心得ておきたい。

お互いに人間という完全体ではない生物であること。常に危険はある。

大学で講義をして最初の数年間は一生懸命だった。ただ途中からセクハラに注意喚起がこれほどまでに多いのか。やや圧倒され気味になりその数や頻度には閉口いたことを覚えている。学生は常に証拠を提出できるように用意しておく。教える側もそのことを理解しオープンなところで複数の学生に対して教鞭・指導をとること。わいせつな行為は慎むこと。指導側と研究側で誤解は十分に起こりうる。そういったことを授業の前後に繰り返したことを覚えている。

これは決して冗談でも口に出してもいけない。他で被害者がいるのだから。なにかしらのいたずらっぽいことも慎まなければならなくなってくる。

大学生が身を守りながら学べる環境。大学側は注意喚起をしている。大学生も自ら身を守る工夫をしておく。