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9歳の子供たちが自然に触れない現実

大学講師として赴任をしてしばらくたった10年くらい前のこと。実際には2015年と記憶している。わたしにとってはこの上ない機会をもらった。ちょうど長男と同じくらいの年齢の大学生と対話できる。彼らはどんなことを考えてどのような育ち方をしてきたのだろうか。そんな興味もあった。でも期待とは裏腹に勘違いだったことがわかった。

だれもがスマートフォンを片手に授業に参加してきた。そして紙で資料を配布するのをやめてすべて電子化し学校のシステムを使って連絡をした。途中で出題する課題もシステムを使った。しばらくは順調に授業が進むかに見えた。

ある時ひとりの学生がこんなことを言い出した。動物愛護をテーマに企業研究をしたい。それを発表してクラスメートの意見を聞きたい。こういうような内容だった。わたしは感心をしてどんな研究成果になるか半年間楽しみにしていた。ところがクラスメートのほとんどがそのテーマ設定に関心を示さない。動物に対してあまり関心がないのかな。

あるオンラインイベントでこんな話があった。イギリスのとある郊外。9歳の子供たちが通う学校がある。そこの先生が驚いたことがあるという。子供たちがほとんど自然に触れる機会がない。自然にいったことがない。海や山に行く機会がない。子供たちが動物に近づいたときこんなことをたずねるという。あれは何? 指さした先にいる動物は何か。馬なのか牛なのか。その区別がつかないという。

ちょっとした池にいってよちよち歩きをしている鳥を見ている。しかしそれがアヒルだということを知らないという。9歳まで実際にアヒルを見たことがない。また海に行く機会がない。向こうの方から自分に押し寄せてくるものが何か。それが波であることを認識できない。

あれは何。そんなことが9歳の子たちが先生にたずねるという。そういうことが起きる背景はなにか。親たちが車を持っていない。公共機関を使うこともできないために発生している現象のようだ。そこで先生たちが公共プロジェクトを通じて子供たちを自然に触れさせることにした。そこから自然の中にいくことをはじめた。驚くばかりである。

これでオンラインイベントに参加してきたひとたちはどんな反応をするか。わたしは興味深く聞き入っていた。

あるひとはいった。別に悪いことではないだろう。コロナ過で家にいるばかりで3年間過ごした。そういうことが起きても不思議ではない。おそらく3年間スマホばかりをいじっていたのだろう。親はそれを放置していた。

またあるひとはいった。これはイギリスだけに起きていることではなかろう。世界的な現象になっておりおそらくこの東京でさえ起こっていよう。都内にある小学校に通う9歳の子供たちにも起きているのではないか。また9歳前後の子供たちはマナーを学ぶ機会がない。親がしつけをしないからだ。人との関わりにおいて礼儀がなくなってきている。そんな指摘もあった。

なんとかならないか。知る機会がなければ本や映像を通して学校の先生がまず紹介するしかないのではないか。そういった反応があった。

わたしは怪訝な顔つきになった。馬か牛かの区別がつかない9歳の子供たち。どっちが馬でどっちが牛であるか。それを本からはいって知るのだろうか。また映像で知らせるしかないのか。馬にどのくらいの種別があってどこに生息しているか。そういうのは本や映像で調べるのはいいだろう。

しかしここでは馬ということだけがわかればいいのだ。牛にどのような学名がついていてどの地域に多く生息しているか。詳しいことは本や映像を使うであろう。

動物園にさえいく機会がないのだろうか。

わたしは物事を深刻に捉えることはしないようにしている。またこのような事象があることになんらかの感情を通して解釈をしようとはしない。ただこのニュースに驚いている。

私自身は愛知県の豊田市で生まれ育った。クルマの町ということだけあってどこにいってもクルマがあった。しかし周りを見渡せば田んぼや畑がいたるところにある。山と川が身近にあって昆虫とよく遊んだ。クワガタやカブトムシはどこにでもいた。これらを本から入って学んだことはない。どこにでもいるものであり学校から帰ると触って遊んでいた。スイカをいれて飼っていたこともある。詳しいことは図鑑で調べた。

そうやって実際の動物を見てきた。なるべく近くに行ってできれば触れた。小さいときはなにかを知るのは直に触れて覚えた。決して活字で覚えたりしない。印刷されている写真から入ってイメージすることはなかった。実際に動く姿を接して知った。

わたしは2015年の大学で起きたことが何だったのかが少しわかるような気がしている。あの女子学生が動物愛護をテーマに企業研究をしたい。そういったときに動物実験の現実ということをすぐさま頭に描いていた。薬物の開発や化粧品の開発には猿が使われている。それが倫理的にどうなのか。SDGsといわれはじめたときどのように企業と向き合うのか。そういった流れを想像した。

しかしながらあの40人くらいいた大学生にはそのようなストーリーが浮かばなかった。おそらく動物を意識できなかったのではないか。馬や牛あるいはアヒルは聞いたことがあっても見たことがない。動物が想像の中だけで生きていたのではないか。

彼らは千葉県で生まれて18歳まで育った。ひょっとしたら9歳までに馬や牛を見たことがない。そう質問しなければいけなかった。知ってはいただろうが感覚的に頭の中に入ってこなかったのであろう。

それは彼らの行動から察してみた。なんでもスマホで調べようとしていた。何が馬で何が牛なのかをスマホを使って調べなければならなかったのかもしれない。であれば動物愛護のテーマどころではないだろう。

残念なことだった。あのやる気にあふれた女子学生は授業の途中から途方に暮れ始めてクラスでもややだらけるようになってしまった。ちょっとだけ周りが動物に興味を持って意見だけでもいってあげればよかったのに。わたしはなんとかしてやりたかった。しかし周りの反応があまりにも無関心であったために断念した。その学生には独学で学習するように勧めた。周りを期待しても仕方なかった。

9歳の時に馬と牛の区別がつかない。そのまま区別がつかないまま18歳の大学生になったとしてもおかしくはないだろう。