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脱獄舞台劇が中国で検閲されない

1994年、アメリカから帰国。渋谷にある日本コカ・コーラで働き始めて1年が経過した。アメリカではビジネススクールで厳しかったけどなんとか卒業して就職することもできた。働き始めると共に長男がすくすくと育っていく姿を見守る。女房もよくやく実家の近くに帰ってくることができて安心したようだ。これからいっぱい仕事をして稼ごう。そんな境遇だった。

ところが日本コカ・コーラ渋谷オフィス。そこの情報システム部への配属だった。青山学院大学のきれいなキャンパスを横切り2棟あるオフィスビルの入り口に向かう。さてシステム部の部屋はどこだろう。そこは別館の地下室にあった。そこには30人くらいのSEが静かに端末をたたいていた。はたしてここで仕事ができるのだろうか。窓がない。

そんな時に見たのが映画ショーシャンクの空にだった。成功している銀行家が美しい奥さんの浮気に腹を立てた。そこで無実の罪をきせられ長い刑期を刑務所で過ごすことになった。ところがそこの刑務官はひどい連中ばかり。しかも刑務所長はとんでもない悪党だった。しかし主人公はあきらめることなく希望を持って脱獄するのだった。最後は刑務所で知り合った親友ときれいな海岸で悠々と過ごす結末として描かれている。

今週号の英紙エコノミストに脱獄劇が中国で検閲されないという記事が載った。短い文章の中に検閲されない理由が書かれている。

ひとつは舞台劇として北京で催されている。舞台であるためそれほど広まらない。そのため検閲を受けていない。映画やネットであればたちまちに拡散されてしまう。次に中国語でのステージではあるものの舞台の設定は外国であること。しかも外国籍の役者が中国語で演じている。そのため中国の役人の目にとまらない。そういった理由によるという。

まあ、そう固いことをいわなくてもいいだろう。中国は残酷で腐敗していることはわかっている。ただそんな中でも希望を持つことはいいことだ。ショーシャンクの空に出てくる主人公が最後の場面で友人に書いた手紙でこういっている。

この手紙を読んでいるのなら無事刑務所から出れたんだね。希望を持つことはいいことだと思うよ。おそらく希望はいいことの中でもなによりもいい。いいことというのは決してなくなることはない。(希望はいい)

中国の観客にも伝わるメッセージかもしれない。

コカ・コーラ渋谷オフィスの地下室はとても暗かった。窓がない。静が過ぎる。年齢層が高い。そして他の部署からは特殊部隊だともいわれていた。牢屋とまではいかないが窓がほしかった。会議もひたすらだまっているだけの会議はつらかった。会議というのはなにかを決めるための話し合いだとばかり思っていた。アメリカの大学院でもそう教わった。しかし渋谷ではそんな会議はひとつもなかった。一方的な連絡だけだった。