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イベントを学習型へ変える

オンラインはいまでも続いている。コロナ過からはじまったリモートワーク。そのリモートもいずれはもとの姿にもどるであろう。それがどのくらい時間がかかるのかはよくわからない。

すべてがリモートで行われていたころに数多くのオンラインイベントができた。5年続いているものがある。中にはすっかりオンラインだけになってしまったものもあろう。ここでは具体的にどのイベントかということは書かない。

わたしはイベントの中でも学習系のイベントに参加してきた。その中で数々の問題に気づいたのではあるが、そのどれもが共通の要素を含んでいた。であればこれからはどうしたらいいか。オンラインから対面に移行するといった思い切った転換ではなく、オンラインであってももう少し問題を最小化するにはどうしたらいいか。そんな文章を書いてみます。

わたしが参加してきたイベントというのは10年以上続いているものから、できてから5年くらいのものまであった。その中でまず第一にあげられる特徴としてはオープンであるということだった。ソーシャルメディア上で告知されているものばかりだった。facebook、Meetup、Peatixといった交流サイトからはいっていきイベントを探すことができる。そういったイベントは一般の人であればだれでも参加できるというものばかりだった。

このオープンという要素はだれでも参加ができるというものだ。年齢、性別、国籍、人種、宗教を問われることはない。イベントには多様性ということがうたわれていないかもしれない。ただオープンということは多様性になることを必然としている。それは結構なことであろう。しかしこのだれでもいいというオープンというのが時に悪質ないたずらや悪ふざけによって品質を落としてしまうことがある。

次にこれらの特徴としてなんらかの交流をしようという試みがある。なにか気づいたところ、聞いてみたいところ、そしてわからないがこういった意見があるというところ。そのような疑問を素性のわからない不特定多数のひとたちに話してみようということだ。このよく知らない人との意見交換によってさまざまな摩擦が生じることがある。それは必要もない摩擦であって原因は誤解からはじまる。

よく知らない人どおしてオンライン上で10人集まればなにかが行われることだろう。しかし20人になれば収拾がつかなくなることがある。それはせっかくなにかを持ち寄ったものの、一方的に話をしてしまう人がいることもある。その逆になんの意見も持たずにとりあえず面白そうだから参加してみようという見学気分のひともいる。すると何も起こらない。

最後に無料であることだ。そのためお金を払う必要がない。主催者はオンラインアプリに対してわずかなお金を支払っている。しかし参加者には無料にしている。この無料というのは学習というものには向かない。なんら学ぶということを約束しておらず、雑談でもよし。問題がなければよしとしているところが多い。しかしイベント案内にはあたかも学習できそうなことを掲げている。

それは読書会、交流イベント、そして発表会といったものに見出すことができる。しかしながら発表者、運営者、そして時間管理、記録係には負担がかかっている。間接的にお金も負担している。

無料というところが怪しい。価値を約束できないために無料にしているという背景がある。あるいは学習効果を期待できない。あるいは参加者にさせようという意図があるのかもしれない。主催者がたまたま時間が空いているので暇つぶしをしようということもある。その時間に何もすることがない。からば知っている人を集めてなにかやろうということなのかもしれない。

無料は学習効果を約束しない。するとどんなことに向いているかというと広告か警告ということだろう。モノやサービスを売ること。危険を知らせること。その中には命にかかわること。お金を損失しかねないことが含まれる。それを専門家が不特定多数参加者に呼びかけるというものはあろう。テレビやラジオ、ネットでは不特定多数のひとに向けて広告が絶えず流れている。

ではどうしたらいいか。

閉ざす


ひとつには窓口を小さくすることである。これはマーケティング用語ではターゲット層を絞るともいう。多様性は追求してもよい。どのような人でも参加はできるという表看板を下げる必要はないだろう。しかしなんらかの意見交換をするところではある程度の幅を持たせた目的というものがあるはずだろう。もう少し言えば問題意識が同じようなひとがあつまるはずだ。

そのためには閉じたイベントにする方がいい。表向きはオープンにして構わない。ただし次第に1年をかけ、2年をかけて閉じた形にしていくのがいいだろう。2年もかければどのような人が向いているのかがわかる。5年をかけてもそういった人たちが集まってこないのであればそのイベントというのはどこか問題を抱えているといえる。

ではどうやって閉じるのか。それは常連というかレギュラーメンバーといっていつもイベントにやってくる人が出てくる。そのイベントの趣旨に賛同しているもの。主催者のことが気に入っているもの。そして参加者の中に気にいているものがいること。そういった人たちがいるために時間を使うことを苦にしないひとたちがよく参加するというものがある。

そしてイベントとしては成立する一方で常連だけでなにか別のことをするということもあり得る。ご飯を一緒に食べる。どこかに出かける。あるいは何か別のことを始める。そういった特別の人たちが見えない閉じた世界で活動を始めるということはありえる。すると閉じた世界ができあがる。

小さく


そうやっていくとやがて集団規模としては小さくなっていく。7人くらいがいいのではないか。15人というのは多すぎる。7人の中で主催者ひとり、そして強く賛同しているものが2人いるというのがいいであろう。大きすぎず、小さすぎずというものだ。

多すぎると意見をまとめるのに時間がかかりすぎるデメリットがある。少なすぎると今度は運営の負担がかかりすぎてしまう。主催者ひとりというのもよくないだろう。だれかが手伝うという体制がないといけない。やがてそうやって試行錯誤していくうちに小さな集団となっていくことだろう。

課金する


さて問題は最後の有料化ということだ。この課金をいくらにしたらいいかというのは最大の問題であろう。高すぎてはいけない。低すぎてもいけない。市場価格をやや下回る程度の課金設定をすべきであろう。さきほどもいったけど無料というのはありえない。オンラインといえども無料というのは真剣にやらない。それは罰則を与えることができないからだ。損失が生じた時点で負担や損傷は参加者自身で保証しなければならない。

するといくらがいいのだろうか。2時間という単位であれば千円というのがひとつの目安としてある。このくらいは課金してもいいのではないか。2千円というのは主催者や発表者がそれなりに価値のあるものを提供しなければならず高すぎるともいえる。5百円ともなると手ごろな値段とはいえようが学習系をややばかにしてはいないだろうか。いまどき5百円の情報価値しかないというのは無料に近いものといえよう。

参加者の負担も5百円であれば週1回、一か月4回として2千円で済むだろう。

問題は運営側が入出金管理をしなければならないということだろう。その手間も計算にいれなければならない。

閉ざして、小さく、課金する。これが学習効果を高める対策とはいえないか。そうでないところではなんら学習効果が上がらず、問題意識の低い人が集まってくる。するとさまざまな損失が生じることになるだろう。

もともと大学というところは物理的に教室を閉ざしている。入り口には警備員がいてどんな人が入ってくるのかを監視している。ふさわしくない人はそこで呼び止められて中にはいることはできない。入ったにしても門から玄関にいくところでまたチェックが入る。すると玄関のところで立ち止まることになる。物理的に閉ざしている。

中に入るには試験を通った人しかいけない。そうやって合格者を選ぶことによって人数を制限している。誰でも教室にはいれるわけではない。ふるいにかけれてはじめて入室ができる。しばらくするとふさわしくない人たちは去っていく。

当然お金は支払わなければならない。

オンラインもなんら教室で行われていることと変わらないようにすればいいのではないか。