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ペット500㎖と900㎖の値段に差がない理由

冬の朝は散歩に出かける。朝起きてしばらくはほとんど身体が動かない。寒さで固くなっていて頭もボーっとしている。そのため起きてから30分くらいは歩く。家の周りを歩くことが多いけどそればかりだと飽きてくる。それは景色が同じだからだ。そうするといつもとは逆回りをしたり、わき道を使ったりする。

こんなところもあったのかと気づくことがある。そうやって楽しんで9時くらいになるとこうやって文章を書く。月曜日から金曜日までの楽しみである。

週末の日曜日になるとたまに都内に出かけて散歩をする。日曜日だけは都内に向かう一般道路は空いている。クルマで30分。墨田区にある駐車場にクルマをとめて散歩をはじめる。決まって1時間半。向島の川沿いから白髭橋に向かう。橋から見る東京スカイツリーは見事だ。橋を越えてさらに歩く。45分で折り返す。そうやって駐車場に帰ってくる。

すぐ近くにコンビニがある。何か飲み物がほしい。そうやって中に入りペットボトルが並べられている棚をしばらくながめる。わたしは散歩のあとはスポーツ飲料を飲むことにしている。どれがいいか。ポカリスエット・イオンウォーターというのを買うことにしている。じゃあ、これにしよう。

あれ、ちょっとなんか変だな。それに気づいた。足元のあるペットボトル900mlの値段は179円。ちょっと高いかな。じゃあ500mlにしよう。どこにある。上の方に目線を移す。するとちょうど立った位置からとりやすいところに500が置いてあるではないか。これはコンビニが売れ筋商品を置くときの陳列のやり方だ。マーチャンダイジングのひとつで客がとりやすいところに売れ筋を置く。値段を見てみる。

あれ、500が172円。量が2倍近いペットとたった7円しか違わない。これはなぜだろう。この理由をしばらく考えていた。コカ・コーラに勤務していたからそのようなことが気になることは不思議ではない。

量が違っても製造原価はほとんど変わらない。また飲料は配送コストもそれほど変わらない。でも客からしたらこの差であれば900を買うのではないか。そのように考えていたのである。ほんとうにそうなのかな。

平日のある朝。家の周りを散歩をしてコンビニにはいる。近くだからペットボトルを買うことはない。ぶらぶらしているとポカリスエットが見えるところにたまたま立ってしまった。しかもコンビニの中には店員ではなく商品の棚を調べているエリア・マネージャーがいるではないか。そこでこの二つのペットボトルの値段に差がない理由を聞いてみた。

どうして2倍くらいの差があるのに7円しか違わないのですか。

エリア・マネージャーの説明はこうだった。500mlはもともと150円前後で販売をしていた。ところが昨今の物価上昇で値段を上げざるをえなくなった。500mlは自動販売機に入れる商品として主流だ。その値段が上がっていき、コンビニ内でも税込み価格172円まで上昇したという。

一方で900mlは自動販売機では売らない。もともとコンビニでも販売していたもので値段はずっと据え置きだという。なるほどそういうことだったのか。

昨今の物価上昇で500の値段が900に追いついてきたんです。そういう説明だった。

でも900の方がお得でしょう。わたしは散歩の後にお得感のある900を買います。そういう客が多いのではないですか。するとエリア・マネージャーはこう答えた。

それでも500の方が売れる。

なぜですか。それは持ちやすいからです。持ちやすい?

それにしてもこのコンビニ。セブンイレブンのエリア・マネージャーというのはしっかりしている。年間3000品目も入れ変わる商品の特徴をよく知っている。しかも突然、見も知らぬ客から質問されても答えることができる。商品知識もすばらしいものがある。

なにげなく質問をしたんだけど現場のことがよくわかっている。わたしは4年間渋谷のコカ・コーラに勤務中には商品開発でいろいろなプロジェクトに関わった。ペットボトルのデザインや価格設定。製造原価についてもいろいろと調べたことがある。

それでも30年が経過するとこういった違いを説明するのは現場の人のほうがうまいし説得力がある。

帰路につくとき、このような会話を文章にしてみたくなった。いつもの散歩とは違い、何かモヤモヤとしたものがすっきりと晴れた気がした。何か視界が開けたということなのか。

それにしても何かずっと意識の中に気になることを存在させておく。それになんらかの説明が加わったときにモヤモヤとしていたものが晴れるという経験はないだろうか。ああ、そういうことなのか。これはたとえそうでなくても納得することがある。

日常のちょっとしたことに目を向けて意識しておく。そしてある時何かに気づく。そうやって散歩を続けると楽しくなる時がある。

その朝はいつもよりも晴れている気がした。