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都内でパートナーと幸せに暮らす

ここまで都内で健やかに暮らす。お金に困らないで暮らす。そんな方法について書いてみました。これらはわたしの経験と知識に基づくもの。うまくいくとは限らないし、運も味方してくれないとなかなか手に入れられない。ただしちょっと意識するだけで大きく踏み外すことはなくなります。さて今回はパートナーと暮らすという題で書いてみます。これら3つがそろって始めて都内で暮らすには最低の条件がそろったといえます。

さてではパートナーと幸せに暮らすにはどうしたらいいか。それはいまの東京都内で実現するには大変難しくなってきました。ひとつには経済が不確実であること。どんなビジネスが安定して雇用を守るのかはだれもわからない。また社会が若い人たちに調子のいい嘘のようなことをいっており、大人に向かって信用をしなくなったこと。そのためSNSの情報しか頼りにしなくなり、SNS上の嘘をうのみにしてしまうこと。そういったことによりシニア世代が若い人との溝を深め面倒を見なくなってしまった。そんなことがいえます。ではどうしたらいいか。

パートナーと暮らすには、見つけること。暮らしを観察すること。そしてけんかの仕方を心得ておくこと。これらに対してお互いによく理解をしないといけないでしょう。

簡単ではありません。

しかしお互いが健康であって、金銭感覚が似てくればあとは相互理解でしょう。ただコミュニケーションには誤解がつきもので、そういうときにどうするです。ここに書いたことだけではないでしょう。都内で暮らすにはこれらは避けられないというのはいえます。


見つける


まずパートナーを見つけること。これはとても難しい。就職してから探すとなると不可能に近い。職場以外のところになるでしょう。それはどこでも転職をする人が増えていること。コンピューターの導入が進み、机の上にあるパソコンばかりを見て仕事をするようになった。疎遠になり対面で話をする機会がなくなった。飲み会やパーティーが減っていること。前のように部下を面倒みる世話役がいなくなっていること。

世話役は会社からお金をもらってマッチングをしていない。

40年前はこの人とこの人ならばお互いに惹かれるだろう。そういう見立てをつける。そうして紹介をしてくれる。自分で探す必要はありませんでした。お互いのいいところをほめあって、デートの設定までしてくれるというのもありました。そこからお互いに話し合いを進めてゴールインというのがあった。お膳立てをしてくれたのです。

経験豊富なひとがきっかけをお世話してくれて、最初に芽がはえるところまで丁寧に引っ張ってくれる。お互いを友達を含めて家に招く。そこでBBQを主催してくれるというのがありました。ほんとうにあったのです。ところがそういうナイスなひとたちがいなくなりました。あまりにも偶然性が高いこと。うまくいくかどうかわからないため、逆に面倒なことになったらいけない。善意でお世話したつもりなのにかえって損をするのではないか。

手順は専門家でないとわからない。結婚紹介業をやっているわけでもなく、素人が昔のしきたりを思い出しながら手順を教えてくれるのです。どこか根拠のない話まで出てくる。そうなると自分で見つけるしかない。そこでいつ、どこで見つければいいか。

都内の大学に通学している4年間で将来のパートナーを見つけるというものです。4年間ですることは専門性を磨くこと。もうひとつはパートナーを見つけること。部活や大学のイベントに参加してみる。そこでちょっと気になる人を見つけておくというのがいいのではないか。たとえうまくいかなくても連絡先だけはお互いに交換しておく。都内では卒業後にふとしたことで再開するチャンスはあるものです。

そんなときに授業ではなく、部活や大学祭といったイベントでなにかを一緒にやった。その経験がいきてくるようです。そういった大学時代の知り合いとゴールインするのは悪いことではないでしょう。わたしの知っている仲間ではそういう例が4組あり、それぞれが家庭をもち幸せに暮らしています。

ところが22歳までにこの人が運命の人かどうかを見極めるのは難しい。男性であれば中学くらいから好きな人は何人もいる。そのうち振られた経験もありますから、大体こういう人であれば現実的というのはわかるはずです。お茶に誘うとか映画に誘うとかして見ればよいでしょう。

ボーイフレンド、ガールフレンドというのはちょっと親しい間柄とうだけでそれ以上は何もない状態です。

観察


さてめでたくゴールインをしたとしましょう。それで終わりというわけではありません。むしろそこからがはじまりであって、他人とこれから一緒に暮らしていく。これまで何も知らなかった人と同じ空間と時間を共有するわけですから当然理解を深めていかないといけない。それには時間がかなりかかります。

わたしの場合は36年経過したにもかかわらず、いまだに女房のことがよくわからない部分がある。お互いに完全に理解できるということはないのかもしれない。感覚でしかわからず言葉では説明つかないものがある。価値観の違いというのが平行線でいつまでも合致はしないというのがあります。

ただ男性であるわたしが女性を観察した経験からすると女性を理解するには本人とその周りにいる友達を観察するのが参考になります。東京に住む女性というのは友達付き合いが広い。幼なじみにはじまり、会社の同僚、そして趣味で知り合ったひとと連絡先を交換しています。メールで連絡をとり、おしゃべり友達になり、飲み会をします。

そういったひとたちとおしゃべりをするのが女性の楽しみで、そういうところからどんな人と会ったのか。どんな話をしたのか。それに対してどんな反応をしたのかという話を家でする。そうするとパートナー自身の感情の移り変わりや価値観というものが理解できます。

どちらかというと女性は好きか嫌いで行動するパターンがある。また感情をうまくコントロールできる人が多い。嫌なことがあっても、友達と悪口をいいあうことで気分がよくなることがあるようです。このおしゃべりというのが女性にはなくてはならないもの。いろいろな人の話を聞いてドラマ化することが得意なようです。

実際のところ、見るテレビ番組やストリーミングサービスもドラマが多い。スポーツや音楽はそれほどない。もともと私のために買ったブルーレイ・レコーダーはいまや女房のもの。そのハードディスクの中身は90%が女房の録画したドラマです。ストリーミングで見逃し配信をやっているということはいってはいけない。レコーダーで録画した番組を大画面で見ることが気に入っている。

そしてなにか不具合があったら、そこで電気機器の専門家になったふりをする。取説を読みすぐさま修理できないといけない。それは民生用電子機器すべてにあてはまる。テレビ、レコーダー、タブレット、スマホ、そのような電子機器はサービス係としてすぐにでも助けをするわけです。実のところ、男というのはそれくらいしか役に立たない。

ただこういった縁の下のことも親戚や友達との会話のもとになる。そこは男性側がアシストする。そうやって後で会話内容を聞き出すというのがあります。

けんか


夫婦喧嘩というのは必ずあります。お互いに理解しあえたと誤解する。一緒にいる空間と時間が長くなる。そうするとお互いに遠慮をしなくなり、ちょっとしたことに違和感を持ってしまうということがあります。たのんでおいたことができていない。度忘れをした。役に立たなかったためになにかをロスした。そんなことは山ほどあります。

そんなときに率直に話すパートナーどうしほど喧嘩になりやすい。わたしは一時期女房と違和感を持つ項目が増えていき、3日に1回くらいは口喧嘩をしていました。すると年間100回くらいは喧嘩をする。これだけ頻繁になると前になんのことで喧嘩したのかを忘れる。

ところがいつまでたっても、あの時にどうした、ああしたということをお互いにウジウジと言いあうことが出てくる。楽しい旅行先でちょっとケチったことや買い物をしなかったこと。楽しいライドには乗らなかったことなどが悔しい。思い出としてはよくない。しかしそういうことほど覚えていて何かの拍子で思い出してお互いのことを責めることがある。

そうやっていつのまにかお互いによく覚えている。喧嘩になることはあります。ところがこれは他の家庭ではあまりないことかもしれません。どれだけ喧嘩をしても喧嘩に勝ったことがない。負けた経験は山ほどある。引き分けというのもあまり記憶がない。するとおかしなもので明らかに相手が悪いときでも負ける。それがいつの間にか最後には私の方が正しくても謝っていることが起きる。

するとなんで俺が謝らなければならないんだとなる。それが起きてくる。まあ、喧嘩はほどほどにして後に尾を引かないようにすることでしょう。

パートナーと幸せに暮らす。これは最低条件ではあるものの、いろいろな問題が発生し解決策が山ほどあります。問題によっては特効薬が見つからないこともあります。もともと他人であったふたりが同じ空間と時間をいっしょにいるようにすることには覚悟が必要です。

ただこれが都内で暮らすには必要不可欠。それは間違いはありません。一人暮らしと比較すればはるかにメリットの方が上回るといえるでしょう。