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ソーシャル・ネットワークの終焉のはじまり

2007年にfacebookが日本にやって来た。サービス開始は2008年。わたしも知り合いがいろいろと騒いでいる。すぐさまアカウントを作成した。作成をしてまずプロフィールをつくる。高校、大学、そして大学院。そして職歴を続けてつくる。さて何を投稿するんだろうか。最初は様子を見ながら使って次第に日記のようになっていった。

2010年くらいまでは知り合った人とつながった。その数は順調に増えていき100人になった。ところが100人を過ぎたくらいから途端に数が伸びなくなった。それは100人のつながっている中身がどうも親しい友達とちがう。なにか弱いつながりの人たちばかりになっていった。会ってからしばらくすると全く合わなくなりネットだけのつながりになっていった。

2013年にfacebookがインスタグラムを買収。その額は10億ドルといわれた。当時の為替レートは確かではないが1ドル100円で換算したとして1千億円である。これはニューヨークタイムズ紙の時価総額(経済的価値)よりも高かった。

驚くことにインスタグラム社には社員が12名しかいなかった。しかも売り上げはほとんどなく赤字の会社でもあった。その会社に10億ドルの値がついたのである。これはどこか怪しい。

今週の英紙エコノミストにfacebookについての記事が掲載されていた。タイトルはソーシャル・ネットワークの終わりとある。記事の要旨はこうである。1月31日に設立者のマーク・ザッカーバーグ氏が上院議員から質問を受けた。そこではザッカーバーグ氏に向けてプラットフォームが引き起こした悪質で有害な影響を指摘した。それに対して罪を償わないのかという質問だった。

ある上院議員は罪を償いなさいと詰め寄った。また他の議員は子女虐待を誘発する仕組みをなぜ野放しにしているのかと質問した。

このような指摘を上院議員(日本では参議院議員)から受けたにも関わらずその時価総額は1兆ドル(日本円で148兆円)である。ちなみに日本のGDP(国内総生産)は540兆円。4分の1以上の27%である。

記事ではfacebookは変革の波が来ているという。まずこのプラットフォームはもはやソーシャルなものではなくなった。友達どおしのつながりでなくなったとある。何になろうとしているかというとユーザーの行動特性に基づき人工知能が次から次へとビデオを送り続ける。ユーザー満足度は48%から20%に低下した。そのためユーザーが投稿をしなくなった。

次に解放されたオープンな広場ではなく次第に閉ざされたグループになってきている。特定の興味をもった閉じたグループの中にしか関心を持たない。ユーザーが投稿をしなくなってきている。なので異なる意見の人たちと話さなくなったためあまり意味がなくなってきた。それよりは一方的な意見に傾き危険であろうともいえる。

そしてfacebook上に流れる情報にはユーザーが興味がわかなくなり、物事を決める時に受ける影響もそれほど大きくはなくなってしまったとある。

これらの理由からfacebookは大げさな言い方かもしれないが終焉が近づいてきているという。わたしはこの記事には概ね賛成している。

例えばアカウントと投稿。わたしは2020年の夏に一度アカウントを閉鎖した。閉鎖すると使うこともなくなった。しばらくしてからアカウントを削除した。それから去年の1月まで3年間facebookはまったく見なかった。なんのことはない。日常生活において何も変わりはしなかった。

2023年にアカウントを再度つくった。しかし友達とのつながりはしていない。しかも投稿もしなくなった。個人的な写真を投稿したり、知っていた友人のアカウントを見なくなった。あれから1年が経った。なんのことはない。何も変わりはしなかった。

facebookから影響を受けることはほとんどないのではないか。というのはまずニュースフィードを見ないからだ。一日に数回アクセスすることはあるがニュースを見ることはない。私は今後facebook上で時間を使う人は減っていくのではないかと予想している。

facebookはなくなることないであろう。ただソーシャルネットワーキングのプラットフォームではなくなる。むしろヘビーユーザーのみが使うようになり、メタバースのようなサービスにシフトするであろう。

facebookに限らずSNSというのはどちらかというと有害なサービスであろう。それほど時間を使うこともない。時間の無駄になるだけだ。