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世界一汚い男から学べることは何か

1993年にアメリカから帰国。渋谷にある日本コカ・コーラで働き始めた。始めてすぐに気づいたことは従業員の平均年齢が高いこと。でなんとなく覇気がない。暗いオフィスだと感じていた。あの代表的な製品であるやや黒味がかった砂糖水コーラの売り上げは年々減り始めていた。

アメリカではあのウォーレン・バフェットがコカ・コーラの筆頭株主になった。株主至上主義の代表格である。渋谷オフィスの上層部はアメリカ株価を上げるためになんとかせよという圧力と戦った。当時日本の売り上げは世界の30%も貢献していた。当然社内全体にそのような圧力と圧迫が流れた。

ただ市場ではコカ・コーラはおいしいけど健康志向の若者には向かない。そこで清潔なイメージを植え付けるためにあらゆる製品をペットボトル化して売り始めた。緑茶を製品化して売る。社内では緑茶というのはお茶の葉っぱを買ってきて急須(きゅうす)という茶器で飲むものではないか。そんなことを部門長は言っていたにもかかわらず。でも製品化したら売れた。それは清潔志向と便利さを求めて消費者がトレンドに乗っかったからだった。

ならば水も製品化して売ればいいのではないか。そういった考えから水を自動販売機に置くことさえした。

あるオンラインイベントで世界一汚い男について話が出た。イラン人のAmou Haji(アモウ・ハジ)は世界一汚い男として知られる。60年以上風呂に入ったことがない。石鹸やシャンプーを嫌う。食べ物は道にころがっている動物の死骸を食べていた。水は洗っていないバケツから5リットル飲んでいたという。彼はそれでも94歳まで生きた。

World's dirtiest man died at age 94

イベントに参加してきたある人はいった。そんなことがありうるのか。半世紀以上も身体を洗っていないなんて。しかも死骸を食べていた。どうやったらそんなことができるのか。生命の不思議といえるのかもしれない。確かに通常では考えられない。不衛生にしてかつ汚いといわれるものを食べて飲んでいれば内臓が侵されて死にいたるのではないか。しかし彼は94歳まで生きた。

別の人はいった。彼は生まれながらにしてそのような環境でも生きていけるだけの細胞組織があったのではないか。あるいは病に侵されることなく自然の環境に身体が適応していったのだろう。また成長の過程で生物としての適応を選択したのではないか。なるほど説明としては興味深い。

あのアフガニスタンにいき人道支援をした中村哲医師。彼は17年かけて用水路をつくりアフガンでの衛生問題にとりくんだ。飲み水がきれいになったことで65万人というひとの命が救われたという。これを聞くとほとんどの人は極度の不衛生には耐えていけない。下痢を起こしてしまう。不衛生なものを食べ続ければ短命になってしまう。

ではイランの例において長生きを説明するものはなんだろうか。きわめて異例な存在として位置づけられるのか。

このことから東京において何か科学的な説明をしなくてもちょっと学ぶことはありはしないか。わたしは二つのことを思い出した。ひとつは小さいお子さんが水を自動販売機から買って飲む必要はないこと。もうひとつは小学校でタオルを先生が用意する必要はないということ。これについて書いてみたい。

まず6歳くらいまでの小さいお子さん。親にとっては清潔にしていてなるべく健康であってほしい。だからといってそういう子たちに過度な清潔を求める必要はないであろう。関東地区にある幼稚園・小学校のことである。親の清潔好きが度を越したらしい。PTA(父兄会)で学校の廊下にタオルをおいてほしいという。自分の子供にハンカチを持たせるようなことをしなくなった。そこで学校の先生に手を拭くタオルを用意してほしいと依頼したという。

さすがにここまで要求することはなかろう。これは行き過ぎである。学校の先生がする仕事ではあるまい。親がハンカチを持たせれば済むことである。それが多少汚れていても子供が病気になるわけではないであろう。学校側が用意するものでもない。

次に小さいお子さんでさえ自動販売機から水を買って飲む必要はない。500ml1本100円するというではないか。どんな子であっても2本くらいは学校に行っている間には必要だ。

暑くなれば3本くらいは必要。熱中症を予防するために。予防として水を飲むことは大事であろう。ただ水道水はそれほど汚くはない。日本は世界でも指折りにきれいなのだ。その水を空のペットボトルをつかって飲めばいいのではないか。

おとなにしても同じことは言える。東京の水は比較的きれいである。水道の水はきれいなことで知られている。500mlのボトルが重たいならば250ml用のボトルがあるのではないか。

我が家では家族で食事をするときに浄水器を使っている。それは料理をして味が少し変わるためだ。しかしわたしは飲む水のときは浄水をしていない。この十年それでお腹を壊したことはない。下痢になったこともない。

水道代を1万円ほど払っている。それはほとんどが料理とお風呂にはいるためだ。飲料水まできれいにしすぎる必要はない。

コカ・コーラをはじめ飲料メーカーを必要以上に儲けさせなくてもいいのではないか。もともとどこか苦し紛れに製品化したのが水製品であり浄水してペットボトルにつめこんだだけである。中にはミネラル飲料というのもある。フランスから輸入したという代物まである。

それらになにかしらのプレミアムがつくわけでもない。やたらとコマーシャルをうのみにするのではなく周りがそうやっているからといって同調することもなかろう。

きれいで便利。だから水は自動販売機から買って飲もう。そういったコマーシャルに踊らされる必要はあるまい。熱中症に気をつけるために常に口が乾いたようだったら水分をとろう。そんなことが気になりそのたびにペットボトルを買うのは必要ないことだろう。熱中症はトイレにいって尿の色を見たらわかる。

大学生の読者の方々はどのような反応を持っているだろうか。ちょっとしたことだけれども清潔にしすぎてかえって自然の変化に対応する身体づくりができていないのではないか。週末はスマホなどは持たずに自然の中にいったほうがいい。大学生のときにしっかりとした身体をつくっておくことはあとで役に立つ。体裁をつくるだけのためにペットボトルの水を飲む必要はないだろう。