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日銀政策への正当評価

もうかれこれ40年という月日が流れている。わたしがアメリカから帰国して丸の内で働き始めた。職場はスイス銀行コーポレイションといって丸の内にあり所在地は古河電工ビルだった。隣には三菱銀行本店がありまさにバブル経済の真っ只中にいた。わたしにとっては金融の世界はなにからなにまで新しいことだらけだった。ただ銀行の中の銀行は日本銀行であることだけは知っていた。

ある時こんなエピソードをスイス銀行社内で聞いた。スイス人の副支店長が日銀の担当者と話がしたいからアポをとってくれと秘書に伝えたそうだ。秘書はでは何曜日にしますか。何時にしますか。そういったあとにこういったそうである。タクシーは何時に用意しますか。それを聞いた副支店長はあっけにとられた。なぜタクシーを用意する必要があるのか。

秘書はしばらく考えた後日本橋にある日本銀行の本店でも歩くよりはタクシーで行ったほうがいいのではないか。そのように気を利かせたつもりだった。ところが副支店長はそこで怪訝な顔をして秘書にいったそうだ。わたしが会うといっているんだ。日本橋に我々がいくのではない。彼らにわたしが会いたくて待っているのだからわたしのオフィスに来るようにいいなさいと。

多くの人にとっては日本銀行というのがなにか銀行の中の銀行であってとにかく権威があり日本の金融を動かしていると理解している人が多い。ところがスイスでは中央銀行というのは金融を動かしているとかなにか大きな権威を持っている全能の金融機関とは考えられていない。どちらかというと役割としては大したことはないという解釈をされている。

あるオンラインイベントで日銀の政策についての意見をいう機会があった。インフレが懸念されておりすでに目標である2%を大幅に上回った。そのため長期国債の利上げをして金融引き締めを決定したのである。この政策についての評価と日銀という機関についても私は意見を述べた。

まず日銀というのは二つの役割を持つ。ひとつは物価を安定させること。もうひとつは雇用を安定させること。これが前提としてある。これらの二つはなんとしても政策的に実行する機関として知られている。そして政策としては長期国債10年物の発行と利率を決めること。さらに市中のマネーサプライを制御できることがあげられる。

ただしこれらをしたところで必ずしも物価が安定をするわけではない。市場では経済理論では説明できない様々な要因があるためだ。これをやっただけですぐに効果が出るわけではない。ただ理論的には金融は引き締まる。そこは理解して評価をすべきであろう。

まず国債の金利が上がれば金融商品として利率が上がるためお金は利率の高いほうに幾分かは流れる。それは株式市場に滞留しているお金が流れ込むことがある。ということは長期国債の利上げがあれば株式市場は下がる。日経平均株やTOPIXは下がる傾向にある。上場企業はこの政策を歓迎できない。持ち金が減ってしまうからだ。

次に長期国債というのは国の借金として計上される。日銀が買い上げれば日銀のバランスシート(貸借対照表)の右上が膨れ上がるということだ。それにより国に対して借金が膨らむ。借金が増えればいつかだれかが返済をしなければいけない。

借金というのはどのくらいあるのだろうか。コロナ過に入る前ですら国民ひとりあたり1千万円の借金があった。そしてコロナに対する緊急支援策としてまず80兆円の予算がつくられた。この借金を返済するのにひとりあたり60万円くらい負担が増えた。つまり三人家族であれば200万円程度の負担増になる。

借金は返さなければならない。そして返すのは納税者。つまり多くは働いている人であって労働者から税金をとる。ここで問題なのは物価高のときにそれに連動をして労働者の賃金が上がらないこと。特に低所得者は生活がさらに苦しくなる。食費と公共料金をさらに削らなければならない。多く場合それは無理だ。

では日銀の全能ではない金融政策をどう評価するか。これはなかなか簡単ではない。そうすると問題をすり替えてこう批判したくなることもある。これは極めて下世話な批判の仕方でありあまり真似てほしくはない。しかしどうしても書かないと気が済まないことがある。

日銀のホームページを見てみよう。そこのトピックスのところに気候変動とダイバーシティへの取り組みとある。わたしはここを見ていてどうしても理解できないことがある。ひとつは物価安定と金融システムの安定ひいては雇用の安定を担う組織がどうやって気候変動に対処しようというのだろうか。

気候変動というのは脱炭素の取り組みのことをいう。当たり前ではあるけれども日本銀行は二酸化炭素などは排出していない。ということは二酸化炭素を排出している企業に対して処罰を執行するところなのか。そんなことはできない。きわめて短絡的な批判ではあるものの日銀というのは気候変動に対して直接的に働きかけることはできない。

再生可能エネルギーに取り組み企業に対して何かしらの優遇措置をとるということくらいだろう。

またダイバーシティへの取り組みについても疑問がある。というのは政策委員会といって最高意思決定機関がある。そこの9人の委員のうち女性がひとりだけという。このひとりだけというのはダイバーシティつまり男女共同参画・男女平等ということに対してどれだけ上の人が取り組んでいるのかというととても怪しい気がする。男女平等であれば少なくとも3人くらいの有能な女性がいてもいいのではないか。

自ら見本となって取り組んでいるのだろうか。そういった疑問が残る。

さらにこれはとても言いにくいことではある。政策委員会の委員の報酬が一般の国民からはとても考えられないほど高額であることだ。

日本銀行 月報 2022年5月号 12ページ

これほどの報酬をもらう必要はないであろう。というのは例を上げて申し訳ないのだが総裁の報酬は月額200万円。年にして2千4百万円である。それに半期あたりに500万円以上。ということは年間にして3千5百万円の報酬を得ている。

わたしはこの報酬についてとやかくいっているのではない。また個人に対して批判は浴びせているわけでもない。ただ国民がインフレでとても苦しんでいるあるいはとても生活を切り詰めていかなくてはいけないときにこれだけの報酬を得るというのはどういうことだろうか。そのような意見があるのではないかといっているだけだ。

日本の金融機関に勤務しているひとたちはなにか日銀を全能の神だと勘違いしているのではないだろうか。金融政策においても限界があるしそれ以外の取り組みに対してもホームページで表明しているような効果を出していないのではないか。そういった評価を下すのはどうだろう。

スイス銀行の副支店長は日本銀行の職員がわたしのオフィスに来るようにという指示を出した。それをいまでも変わっていないだろう。40年の時を経てわたしはこのエピソードを思い出す。そしていまであれば副支店長にちょっとお願いしたいもである。

気候変動とダイバーシティについて日銀の在り方はちょっと変なのではないか。副支店長は報酬については問わないだろう。わたしも問題提起をするだけだ。さて日銀の職員がほかの話題にどのように答えるか。ぜひ聞いてみたい。