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闘牛を規制することを考える

半世紀も前の今頃、わたしはバレーボールに明け暮れていた。中学校の授業が終わるとコートに集まる。当時は外でバレーボールをすることもあった。バレーを選んだのはあまりスポーツに選択肢がないこともあった。バレーボール、ソフトテニス、そして卓球だった。文化部というのは記憶にない。中学生というのは放課後は外で運動することと決められていた。

高校に行くようになって初めて室内の体育館でバレーボールをした。そこでも練習に明け暮れていた。身体を動かすことは日課だった。そのため中学と高校は一度も休んだことがない。けがをしても通った。バレーは大学にいってからは背が足りないこともあってテニスにした。競技としてではなく同好会という趣味のものだった。

イギリスの雑誌The Economistに闘牛の規制について記事が掲載された。スペインでは今でも伝統行事としてこのスポーツを観戦する人が多い。しかしながら動物愛護の観点から規制をかけようという動きが広がっているという。

動物愛護支援側からはこの闘牛というのは虐待行為に当たるという。これが文化であってはならない。この行為によって牛は死ぬ。また危険であるために闘牛士も死ぬという。

このスポーツはスペインを含め世界8か国で行われている。メキシコでも盛んであったものの32の州のうち5つで禁止をされた。しかしこの動物愛護に観点に対して反対の立場をとる人たちもいる。

その理由はこれは認知された文化であり、伝統行事であるということ。規制をかける必要はない。そういう立場を主張する。さて読者の皆さんはどうだろうか。

私の考えを述べよう。わたしは闘牛に対して規制をかけるべきではないという立場をとる。確かに死者は出る。牛は死ぬ。危険なスポーツだ。しかし危険であるということは闘牛士がわかってやっていることである。

闘牛場で牛に向かって赤いマントをひるがえす。この行為をすることは闘牛が自分に向かってとびかかってくる危険は大いにある。これを承知の上でやるわけである。死というものととなりあわせで観客に見せること。これはわかっていてやっていることであるから事前に了解が得られているはずである。これを死なないというように変えることはできない。スポーツには死亡確率があるものが多いことも事実だ。

そしてこれは産業としてもスペインで成立しているものである。闘牛場があって大会があればチケットを販売する。観衆が押し寄せる。旅行客も来場する。そこで食事をとったり宿泊をしたいるする。この経済効果というのを無視することはできない。お金がかかっているのである。これを規制することは経済にためによくない。

そしてあらゆるスポーツに死というものはつきものであること。闘牛がかなり死亡確率が高いというのはうなずける。ではボクシングはどうなのか。人間同士が筋肉隆々になってリングでなぐりあうではないか。これを禁止することはないであろう。であれば外で闘牛士と牛がなんらかの実演をすることは規制すべきではないだろう。

わたしは比較的格闘するようなスポーツは選ばなかった。ラグビーやサッカーといった陣取りゲームをするようなコンタクト・スポーツを好まなかったこともある。どちらかというとボールをつかう。ネットを挟んで片方のコートでプレイをするというのが好きだった。

ボクシングはしたことがない。ラグビーやサッカーは敵味方いりまじってなにかしら身体同士がぶつかるのがあまり受け入れられなかった。唯一、アメリカンフットボールはよく見に行った。

さて読者の大学生の皆さんはどうだろうか。闘牛規制に賛成しますか。反対しますか。クラスメートとカフェで話をしてみてください。