物価高になったらすること
2年半前の2月からはじまったコロナ過。出口はいまだによくわからない。わからないまま、来年の今頃になっても話題としては残るであろう。コロナに加えてウクライナ情勢が加わった。解決の糸口をさぐっているもののロシアに撤退の意思はない。これら二つに重なって、人々の関心は物価高(インフレ)に移ってきた。
アメリカはすでに8%越え。ヨーロッパでも高い水準。反してこれまで日本はインフレは起きておらず、なんとか持ちこたえてきたかに見える。しかしながら、10月からは消費者物価指数は上昇することは目に見えている。あきらかに物価高の兆しが見えてきた。
さて、先日ある集まりで、お隣の韓国の人たちが多く集まる会に参加した。日本人はわたしひとりだった。そこで韓国の人たちと物価高になったときにどうするのかという話題を話した。ひとつは、個人としてできることななにかというもの。もうひとつは中央銀行に期待することはなにかというトピックだった。
この文章では、韓国の人たちの対策とわたしが日本人の一人として提起したことを書いてみます。要点としては、多くの韓国の人たちは投資をするという。わたしには、投資をするという考えはなく給与の高いところへ転職をしたほうがいいのではないか。
韓国の人の中で投資をするという人が結構いた。物価高になると手持ちの金銭価値が減る。同じものをいつもより高く買わなければならない。そうなるとより高い収益を求めてなにをしなければいけない。そういうときは投資をするという。一体、どんな投資をするというというのだろう。
自国の韓国には投資をしないという。それよりもアジアの中で投資対象になるのは日本だという。これには驚いた。ただ、イベント中には反論しなかった。もし株式投資というのなら、危険な行為になるであろう。というのは、日本の会社は株価を上げるようには努力をしていない。配当金もそれほど分配しない。株主になってもそれほどメリットがないはずだ。
それに加えて株式上場をしている会社に相変わらず不正が多い。いまだに不正を隠しているところもある。企業統治(ガバナンス)が機能していないのが現実だ。それなのに株式に投資をするのだろうか。
国債は、相変わらず金利が低い。1%以下がかなり長い間続いている。一般投資家がそんな国債(利回り確定)を買っても何の魅力もないであろう。であれば、株式市場、債券市場で魅力的な商品はないはずだ。では、日本に投資をするというのはどういうことなのだろう。この日本のどこに投資をする魅力があるのだろうか。
わたしがイベントの参加者に提示をしたのは、転職をするというものだった。コロナ過でだいぶ働き方が変わってきた。さすがにオンラインで仕事をすることにも慣れてきたことだろう。リモートで仕事をしながらできる仕事も増えてきた。
その中でも金融や経営コンサルティングは人気が高い。金融の中でもM&Aアドバイザリーは年収が高いことでよく知られている。東洋経済が発表した30歳の平均年収の高いところにはトップ10に4社がM&Aアドバイザリーとして名を連ねている。
この考えを韓国のひとにぶつけるとこんな反応が返ってきた。だれでも高い年収にありつけるわけではない。転職をすることなく、いまの会社で働く。そうしながら投資先を探したほうがいいということだった。その反応があった後にシンガポールのひとたちが割り込んできた。そのひとたちも投資先を探しているという。物価高には投資をするというのが韓国やシンガポールのひとたちの考え方にありそうだ。
わたしは、日本に住む一般市民である。投資をして失敗はしないのだろうか。どのくらいの投資をするのが適切なのだろうか。そんなことを考えてしまった。
そんなことを考えているとアメリカから発言があった。物価高は苦しい。特にどうしても買わなければならない食品やガソリンは節約することがなかなかできない。そうなれば見たい映画をがまんするしかない。そんな声が聞こえてきた。映画を見に行かなくてもなんとかなるというものだった。価格弾力性を使って説明していた。
食品の価格弾力性は低い。食品の価格が10%上がっても需要が10%下がるということはない。というのは、食品はどうしても買わなければならないものだから。ところが映画鑑賞をするのに価格が10%上がれば、見に行きたいという人はかなり減るであろう。2000円したものが2200円になったとき、どうしても映画を見たいという人はそれほどいない。ストリーミングサービスでがまんすることができる。
物価高が懸念されている。さてあなたならどうする。投資か、転職か。見たい映画をがまんすることができるか。