見出し画像

週末ZOOM学習で起こる様々な問題

そろそろZOOMを使った会議も終わるのだろうか。コロナにより一瞬で広まったリモート学習。その中でZOOMクライエントを使った学習がある。クライエントというのは主にPCにダウンロードするアプリケーションである。ZOOMのウェブサイトからダウンロードできる。ダウンロードをして使ってみるとなるほど会議がスクリーン上に現れるわけだ。

スマホの場合はアプリをダウンロードすればよい。参加するだけであれば学習会の主催者のサイトにいく。そこで参加ボタンを押す。するとZOOMにアクセスできるURLのリンクが表示される。時間がきたらそこをクリックするだけだ。実に手軽に参加できる。参加できるだけならばそれでよい。

ところが学習系の読書会といったものはそれほど単純ではない。わたしが10年以上前から参加している読書会。その中でも発起人が実に優れた人であって集まってくる人も彼の周りにいるエリートばかりであった。その人たちは早稲田大学大学院のファイナンス学科のひとたち。そのひとたちが入っているゼミの先生が使っていた教材を使って一般の人たちと読書会をしようということになった。

それはあの英紙エコノミストを英語で読んで英語でディベートをしようという試みだった。それが今でも行われている。ところが参加者が変わり、主催者であるホスト役が変わりを繰り返し、いろいろなひとがZOOMで入ってくる。そうすると以下のような問題が起きてくる。表面上はまともに機能しているようにも見える。しかし早稲田のひとたちがやってきたのとは違う。どういう症状が出てしまうのだろうか。それを書いてみたい。

ひとつはルールやマナーを守らない人が増えてしまう。するとまじめにやっているひとたちが損をするという状況になる。例えばどのようなルールがあるかというと発言をなるべく1分以内にしよう。そのようなガイドラインがありそれを守るように記載されている。それを守れないひとたちが出てきてしまうことだ。

この会は激しく討論をする人向けにつくられた。議論に強くなることを目的としている。そこにネイティブのアメリカ人がはいってきてしまうことだ。別にはいってきてもよい。しかし1分内では終わらない。延々と2分しゃべる。5分しゃべる。そうすると他のひとたちが発言する機会が奪われてしまう。ひとこともしゃべれないで時間が過ぎることがあるのだ。すると今度は周りからどうしてしゃべらないのかとヤジがとんでしまうのである。

するとヤジを飛ばされたひとはやめていく。

そういったことがないように1分以内で発言を終えてください。それすら守れないのだ。するとある主催者が注意をする。時間オーバーです。守れない。もうひとりの主催者が注意する。時間を過ぎています。無視をする。他の人の時間を奪い、かつ、会議を独占してしまうのである。

これは一つの例であるものの、それほど細かいルールがあるわけでもなく、それすら守ることができないひとが参加してくる。

次にそういった参加者がはいって好き勝手なことをやりまくると主催者がやる気をなくしてくる。やる気をなくした主催者はもうZOOM会議にこなくなる。複数で分業をして参加したひとたちだけで適当にやってくれとなっていく。一人の人にホスト役を押し付けるのはよくない。しかしそのホスト役が注意をしてもいうことを聞かない。ホスト役が勉強できなくなってくる。それは注意をすることに気がとられてしまうからだ。

そうなるとホスト役は参加ボタンを押しても来なくなる。なにかと理由をつけて参加しない。また参加者も参加ボタンを押しておきながら実際の会議には参加してこなくなる。するといかにも来るような人数が表示されていても実際には来ないのだ。

来ると記事のまとめをしなければならない。そして論点を提示しなければならない。そしてファシリテーションをしなければならない。たいへんな負担になる。30分間フル回転でテーブルを仕切る。そこに好き勝手なことをしでかすひとたちが何人も来るわけだ。

参加するだけでいつまでたっても運営を手伝わない人も多くいる。それだけではない。参加しても運営のためにつくったルールを守らないのだ。そうなれば主催者もどうにもこうにも腐ってくるわけだ。

参加者は運営に協力的でない。協力的でなければ運営をしたがるひとが腐る。そうすると運営に登録されたひとたちが幽霊になったままでなにもやろうとしなくなるのである。

最後にこれはたいへん残念なことではある。読もうという記事すら投稿しなくなるのである。毎週3つの記事を最低読もう。それを討議しようということではじまった。ところが記事をサイトに投稿すること自体をやりたがらなくなる。それをしたら大変な負担が待っているからだ。

すると投稿をしただけで参加しない人も出てきてしまう。そして参加してもファシリテーションをしたがらない。そうなるとくじ引きかルーレットを回してファシリテーターを決めようというなにか子供がやるようなことがはじまってしまう。それだけ不確実なことが起こっている。

始まった当初はそれは厳しい読書会だった。規律があり、遅刻することは許されない。遅刻をしたら、すぐに主催者が、われわれはすでにスタンドバイしている。1分でも遅れたらわれわれの人数分の時間がロスしたことになる。今度遅れるようだったら来なくてよい。そのようにいわれるくらい厳しい読書会だった。

すると短期間で多くのことが学べた。どうしたらこの難解な記事を読むことができるか。そして読む習慣をつくることができるか。それには3年くらいはかかる。そしてどうやったら議論に強くなることができるのか。2項対立の論点を出して賛否両論を展開できるのか。これには5年くらいかかることもある。でもそれだけやるだけの価値はある会だった。

しかし、もはやルールは守らない。遅刻多発でマナーが悪い。そのため負担が増えて主催者が運営したくなくなる。すべてボランティア活動なのである。参加者が運営に協力しない。そうなると参加ボタンを押しても欠席してしまう。ならばなんともためにはならない読書会に下落してしまったと言わざるを得ない。

最初の3年くらいは特によかっただけに残念である。