見出し画像

イノベーション、事業再編、そして人事課題

2年間のビジネススクール。朝から晩までビジネスのことを学び卒業。すると少しだけわかったような気がする。わかったつもりで帰国して東京にもどってきた。帰国前はアメリカ人を中心にクラスメート100人とビジネスのことを学んだ。帰国後は700人の社員を抱えるコカ・コーラに就職。そこのある部門に配属。情報システムを運営するシステム部で30人のエンジニアがいた。わたしはどうもそこで働く人たちとコミュニケーションにずれを感じていた。なんだろうこれは。

マーケティングや製造部門の人たちはシステム部は特殊部隊といっていた。振舞い方がどこか違う。会議で発言しない。会議を招集しても集まってこない。なにか独裁者におびえながら仕事をしているところだった。上の人がいうことだけをして仕事をする。下からの声を吸い上げない。困っていることを助けない。そんなことを何度か目撃した。こういうのも特殊な雰囲気であって部門の文化であろう。それに長い期間をかけて同化してしまった。そうなると自分たちが変であることに気づかない。生きていくにはしかたがないか。若い人たちは次第に辞めていった。

2月号のダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー。その特集にソニーのことがあげられている。31ページからは日本でイノベーションが起きにくい課題について書かれていた。変革が生まれない理由について早稲田大学入山教授と十時社長の対談が掲載されている。文脈としてはこうだ。

イノベーションが生まれにくい。その理由は日本企業が組織文化を大事にしすぎていること。育ってきた事業を高値で売却をすることはしない。いいときに売却をすることはネガティブな印象を持たれる。社員が事業売却により外に出されたときに恐怖にさいなまれてしまう。転職はつらく自分の相場観がわからない。

これについて私の意見を書きます。概ね賛成しておりその根拠を述べます。イノベーションを起こす、起こさない。そういったことの是非があることは承知しています。ところが多くの日本人のはこう思っているのではないでしょうか。日本企業には根強い組織文化がある。

企業はひとつひとつ異なっていて文化がある。就職でなくて就社として会社には一生仕える。朝から晩まで忠誠を尽くし、軍隊のように会社を守ること。そのためには同じ釜の飯を食べて同質化する。右を向けは右。左を向けは左をしなければならない。

社員にどんな人がいるかをすべて把握する。夜遅くまでだれが何をしているかはつぶさに観察しないといけない。裏切り行為は許されない。そんなところでしょうか。組織文化は根強い。

こういった属人的なことを考えているようではイノベーションは起こらないでしょう。なぜならイノベーションには対立が前提となっているからです。だれも同じように行動しなければならないのはイノベーションではなくオペレーションです。反対分子がいるというのがイノベーションが起こるためには必要です。現状に不満があるから何かをビジネスでよくしようというのがイノベーションでありましょう。

そうなるとわたしが33歳から勤務した日本コカ・コーラ情報システム部はオペレーション部隊であったのか。そういう質問が出ることでしょう。端的に言うとそのとおりです。イノベーションを起こすようなところではない。

日々機械とにらめっこをしてなにも創造的なことをしない。創発は著しく抑え込まれていた。30人中20人以上はすでに50歳を超えており定年退職までに10年を切っていた人たちだった。自分たちの仕事がやがてなくなるということはわかっていた。恐怖の中で仕事をしていたのです。

そういう中ではなんといわれようが現状に甘んじて振舞うしかありません。なにか反発をすることは著しく嫌われいろいろな攻撃を受けることになります。若い人たちにとってははりあいのないところでした。

外資系のコカ・コーラですらこういうことがあります。であれば日本企業であればもっとクローズアップされることでしょう。企業文化は根深く創発的なアイデアを組織として起こさせない。長期安定と安全、リスク回避です。一度そういった風土ができてしまうと変えることができない。硬直的な組織になり変化に弱いということがいえましょう。

次に事業売却。事業が順調で価値が高いときに売却をしない。それはそうでしょう。なぜいいときに売却をして他の人に渡さなければいけないのか。これまで苦労して作り上げてきた仕組みやブランド。組織を売り渡すとは何事か。そういうことはありましょう。ここでは二つあります。

ひとつはアメリカでは会社(カンパニー)を通して皆で苦しんで何かを達成しようと考えている人はいません。人生の目的を達成しよう。人々を幸せにしよう。そのように考えて働いている人はほとんどいないでしょう。労働は苦痛なのです。場合によっては病気になってしまう。

では会社というところはどういうところか。一言でいうと道具です。ペンや紙となんら変わらない。役に立つところかどうかです。その場所を使って成功するかどうかです。つまり給料を生み出してくれればいい。しかもなるべく高く買いとってくれるところならばいいでしょう。

どうしてこのような考えになるのでしょうか。それは財務諸表を見ればわかります。財務諸表には貸借対照表、損益計算書、そしてキャッシュフローがあります。貸借対照表の左側には資産があります。その資産項目を見てください。社員という資産を見つけることができるでしょうか。見つからないでしょう。社員は資産ではないのです。

上の方から流動性の高い有形資産が載せられいます。流動性というのはすぐに使えるお金に換えやすいという意味です。現金にしやすい方が上にある。不動産というのはすぐには現金にできないため下の方にあります。土地や工場、工場内の機械はすぐには売れません。つまり会社を清算したときにどのくらいの価値があるのかを表したものが資産です。

さらに下にいくと無形資産という分類があわわれます。そこに人材というのが含まれているのか。それを掘り起こしたところで見当たりません。そうです。資産としては計算されていないのです。

では損益計算書にはどう載っているのか。あれだけ働いているのに1年間の活動をした結果としてお金を稼いでいるではないか。そこではどう見られているのか。計算書の上に売上という科目がある。少し下の方に移すと営業利益とある。なんだこれは。さらに下には経常利益、そして純利益と続いて数字が減っていく。どこに社員の価値が計算されているんだろう。

社員というのは計算されています。しかし価値ではなくコストとして表れている。社員は費用なのです。ふたつあります。ひとつは時間給で働くアルバイトを対象にした直接費。直接費というのは製造原価に近い。つまり材料や原料と同じ扱いです。もうひとつはマネージャーのひとたち、つまり管理職に支払う間接費。

ここで間接費とあるのは社員という兵隊がさぼることなくオペレーションをして働くための費用です。監督者のことをいいます。なので監督のいうことは聞かなければいけません。聞いて問題なくやっていれば普通の評価であるBというのがつくはずです。特別によくやったという評価というのはなかなかつくかない。創発行為は会計上は計上されないのです。わかりやすくいうと工場内での動き方とオフィスと変わらなくてもよい。

こういった前提があるかぎりはサラリーマンはオペレーションができればいいことになります。会社の命令であったとしても事業をつくることはしなくてよい。つくって売却をするというとんでもない考えを持つわけはないのです。したところで財務諸表には計算されません。

しかしながらそうもいってられない。社長がやらないので下が事業をつくりだすこともやってほしいといわれます。しかしここで注意すべきことがあります。

それは大変残念なのですが手柄を横取りされる場合があるということです。下の社員を相当こき使い、恐怖におびえさせながら仕事を命令する。なぜできないんだという威圧を強いる。そしてできないと鞭を打つ。人は傷つきぼろぼろになっていく。

おれたちができたんだ。なぜおまえたちができないんだ。そうやってつくっていった事業の成功をやがて独り占めにしてしまうことがある。横取りです。これはほんとうにあるんです。大手の会社によくあるとも聞きます。

では運悪く会社の外に追い出されることになったとしましょう。はたして別の会社でうまくいくのか。給料はどうなるのか。そういったことが気になるでしょう。これは読者の方であれば当然のことです。わたしの経験や人の話を聞いたうえでの意見です。

40歳を過ぎて外に出されてもうまくいくはずはありません。45歳以上であればなおのことです。たとえそれなりの仕事や会社があったとしましょう。しかしながら給料はほとんどの場合下がります。似たような会社で似たような仕事をしたとしても給料は下がると思っていいでしょう。

しかも40歳を過ぎたら新しい職場に慣れるのに大変です。45歳は変化には対応できないと思って間違いないでしょう。ですので45歳以上はイノベーションとは無関係と思っていいでしょう。

40歳を過ぎてイノベーションを起こすと本気で言っている人は怪しい。45歳を過ぎたならば変人でありましょう。まともにお付き合いしないほうがいいです。イノベーションというのは大変ですが若い時に失敗を糧にしながら事業を起こすというのが前提です。年齢とともにパワーは薄れる。

新しいことというのは面白そうに見えるだけです。なにも自分からやろうなどと思わないことです。なにもそのように教育も受けていなければ財務諸表で登場してこない。

わたしが30年前にコカ・コーラで感じた違和感はなんだったんだろうと振り返ります。あのとき働く前提をもう少し理解しておけばよかった。あそこはイノベーションを起こすところではなかった。オペレーションをひたすらするだけでよかった。なにも夜遅くまでシニアの人たちにお付き合いすることもなかったのです。50歳を超えた人たちと30代の若手がうまくいくはずもなかった。

やがて7年後には大きなリストラがありほとんどのシステム部門のひとたちは会社を去ったとききます。しかしながらそのとき会社が用意したパッケージには相当な特典がついており悠々自適な生活ができるだけのものが含まれていたとも聞いています。その中身がどうであれわたしはこうも意見をします。

イノベーションということばにまどわされないほうがいい。自分の状況をしっかりと理解して振舞う。学者や経営者のいうことは一理あります。しかし彼らは紙の上でアイデアを出せば給料はもらえる。経営者はたまたまうまくいっただけで都合のいいことを並べているだけかもしれない。すべてがうまくいくとは限らない。企業実務は大学や役員のいうことだけですまない。

事業再編は簡単ではない


さて多くの会社がうまくいっているときにビジネスを安易に考えてしまう傾向があります。1980年代バブル経済の絶頂期にあってソニーもそのひとつでした。テープレコーダー、トランジスタラジオ、ウォークマンと次々にヒット商品を生み出し業界の風雲児でした。そうなるとビジネスの中心地にその存在感をアピールしたくなる。

銀座の交差点にビルを構えてソニービルとした。あのビルは銀座のシンボルともいわれます。ビジネスの中心街のことであり成功でした。

ソニーは次々にいろいろな業界に打って出た。いわゆる多角経営というものでソニーというブランドを武器にあらゆる業界でスケールアップしようというものだった。しかしそれがうまくいくとは限らない。特にエレクトロニクス部門ではとても痛い目にあった。

この部門は半導体を扱う部門である。半導体というのは当たれば大きいが外れも多い。いわゆる需要がなかなか読めない分野でもある。

メーカーにとって半導体をにぎるというのはとても大事なことであった。というのは21世紀のお米ともたとえられ食品業界でいえばコシヒカリだのササニシキだの新潟県のブランド米にも匹敵する存在。ただ半導体工場への投資は半端ではない。資本集約的な産業であった。

資本集約というのはやたらお金ばかりがかかるという意味です。コロナによって半導体不足がささやかれた。これまで国内企業は一気に半導体製造から手を引いたために台湾のTSMCを熊本県に誘致しようということになった。その投資額は半端な数字ではない。ちょっと見ただけでも気が遠くなる数字で3兆円ともいわれる。こんな借金を一企業が背負うことができるのか。

一つの企業が3兆円の投資をする。それがうまくいかなかったときにはとんでもない負債を抱えます。負債はお金ばかりがかかるところでなにも売り上げを生み出さない。赤字部門として企業内に残り血が止まらないままになってしまう。赤字部門を抱えたらどうしたらいいか。

ソニーにとってもエレクトロニクス部門の赤字はとても頭の痛い問題であった。結局選択したのは部門の切り離しと売却であったと記憶している。そしてエレクトロニクス部門にいた人はソニーの外に出ていった。

例えばいまは業績好調な村田製作所へエンジニアが移ったとも聞く。業績は好調であるもののソニーではない。止血ができても人の流れまではなかなかうまく制御できない。このように自社で抱える赤字部門を売却したり償却したりするにはとても大きな痛手を伴う。サラリーマンであったらたまったものではない。

他の例でいうと東芝がある。東芝の半導体部門はメモリー工場であってメモリーというのはほとんど利益を生まなかった。やがてアメリカの原子力発電の会社ウエスチングハウスへの投資失敗がとんでもない事態を引き起こす。7千億円以上の投資がほとんど無駄になってしまった。そこから東芝が立ち直るのは容易ではなかった。

東芝では2007年から8年間に渡り組織的な粉飾決算が行われてしまった。組織的なというのは組織の外から役員をひっぱってきて意識的な粉飾決算を指導したという。社内には粉飾をするための会議まであったと聞く。この組織の外から一体だれがきたのか。それはどこにも記されていない。おそらくは経済産業省から官僚の肩書を持った人がきて東芝の決算会議に入ってきた可能性がある。

その役人が粉飾決算を指導した。あるいは社内の会計に詳しい人たちが粉飾決算をすることを見て見ぬふりをしたということもいえる。その額は1500億円ともいわれる。つまり赤字がかなりひどいにもかかわらず累計1500億円の利益があたかも出ているような決算報告をしていたことになる。

このことを知らされていない投資家はとても憤慨したことであろう。そのひとつにシンガポールにある投資家がいたともきく。

これだけが原因ではなかろう。しかし東芝はあの投資失敗でブランドイメージにも傷がついたといえる。あの国民にとって庶民のイメージ番組だったサザエさんのスポンサーを降りなくてはいけなくなった。あれだけ親しまれたサザエさん。そのイメージはなにかほのぼのとして先行きを明るくしてくれるものだった。その会社が粉飾決算とは受け入れがたい。

事業再編は簡単ではない。止血しようにも止めることができない場合もあろう。いいときにはだれもがうまくいくだろうと考え始める。そこでなにかをしようとするととんでもないことが起きる。うまくいくことは少ないと考えた方がよいであろう。

原子力発電などというものはその最たるものであってあれほど難しいものはない。原子炉の設計をする技師にたずねてみればよい。どれだけ複雑なことをしているか説明してくれるだろう。であれば半導体というのも原子炉ほどではないにしてもまだ新しい技術だと理解しておいた方がいい。

その半導体をいくつも装備してできているものはうまくは動かないことが多い。例えば自動車、飛行機、電車といった動力を必要とするもの。またありとあらゆるコンピューターも複雑な機械といえよう。