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美術館の入館料

40年前に東京に引っ越した。生まれ育った愛知県には適当な仕事がない。都内での仕事は何とか見つかった。仕事をし始めて3年過ぎると結婚をして子供ができた。28歳だった。それ以来ほとんどが千葉県東葛地区の家と職場を往復するだけだった。そんな生活を続けていると週末には家で疲れて寝ている。あるいは、子育てのためにどこか遊園地にいくくらいだった。

美術館にいく習慣などできるはずもない。わたしはどちらかというとスポーツ系であってアメフト、野球、バレーボール、テニスといったさまざまなスポーツを観戦するのが好きだった。

最近、エコノミスト誌に美術館についての記事が掲載されていた。その記事によると美術館の入館料が上がっているという。アメリカの話である。ニューヨークにある近代美術館では最近になって値上げが行われ30ドル、1ドル150円として4500円になった。どうだろう。旅行でいったとしてもこの入館料はちょっと高くないだろうか。

この近代美術館に続き、メトロポリタン美術館。そこでも30ドルになった。続々と値上げが続き、アメリカのほとんどの美術館で値上げが行われているという。

一般の見学者にとってはこの値上げはたまらない。また近くの大学に通う大学生にとっても高いと言わざるをえないのではないか。お金持ちしかいけない。

値上げの背景にはいろいろとある。どうも運営費がかさみなかなか収支があわないという。そのため損失が発生している。赤字経営のため愛好家による年会費だけではまかなえない。そんなところがあるらしい。

しかし入館料は平均で経費の7%程度しか計上できないという。年会費でさえ費用のカバー率は7%にしかならない。あとは政府からの支援金や個人の寄付によるものだ。最近は若い世代が美術館離れをしている。さてどうしたらいいものか。

美術館の入館料についての考え方である。ひとつは利用者層。次に入館の目的。最後に適度な入館料。これらについて考えてみる。

美術館を入館料を払ってみる人たち。一般の旅行者。学生、社会人。さまざまなひとたちが一般客として来館するであろう。しかしわたしはこれからの美術館は芸術愛好家のための美術館であると思う。その中でも画家や彫刻家、建築家といった芸術に通じている人たち。そういったクリエーターが訪れるところと理解している。キューレーター(収集家)のための施設でもある。

もはや旅行客が気楽にはいって短い時間を過ごすところではない。また、一般客がめずらしい作品や話題の作品を展示されてあるといってそれらを見たいがためにいくところではない。ますます芸術家のためだけの施設に代わっていく。

入館の目的は何だろうか。もちろん、一般のひとが鑑賞をするところと勘違いしやすい。一般の入館者はなにかしら話題を求めるものだ。偶然にも気持ちを高めてくれるところということもあろう。また気持ちを静めてくれるところともいえる。どのような珍しい創造物があるのか。そういった役割はあるのかもしれない。しかしもはやそのような目的で行くところではない。

どちらかというと芸術家になろうとするひとたちが半日以上そこにゆっくり滞在をしてじっくりと鑑賞するためだけにある。芸術家が時間を過ごす空間になっていく。そのため来館するひとの人数は少なくてもよい。そこからの収益は期待できない。

最後に適度な入館料というのはいくらだろうか。いえることは無料ということはありえない。いくばくかのお金は徴収すべきであろう。では30ドルというのはどうなのか。ニューヨークならばそのくらいの値段になってもいいのではないか。そうともいえる。ただ確かにこの値段は高い。

そうなるとあまりお金をかけれない芸術家は入館する回数を減らすしかない。1年に何回もいっていたところを数回に減らす。年2回くらいにしてもいいのかもしれない。そのかわりに滞在時間を増やす。朝早くから入館して夕方、あるいは夜まで滞在する。1日券であれば入館、退館を繰り返すことはできる。そうするしかないのではないか。

さてどうだろうか。ニューヨークにある美術館。4千5百円。どうも一般の旅行客が利用するところとは思えない。芸術家が1日がかりで滞在するところであろう。