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イベントの期待値を下げる

つい数時間前にオンラインイベントの問題と解決策について書きました。オンラインはコロナ前の対面授業とは違います。オンラインイベントは様々な欠点があるため従来の対面学習に戻したらいいのではないか。もしできなければオープンでなく閉ざす、集団の規模を小さくする、そして課金をするという解決策を提示しました。それにより学習効果を高める。

ではどうしてもオンラインにでしか参加できない。いろいろな悪ふざけがあるにしてもオンラインしか方法がないという人もいることでしょう。これは都内にはいないひとがあてはまる。例えば関東圏でも東京からは離れている人。群馬県や栃木県、茨木県や福島県、あるいは静岡県や山梨県に住む人はどうしたらいいか。都内にいって学習するには距離がありすぎる。そうしたひとたちはオンラインイベントに入らざるをえない。となればそのときにどのようなことをあらかじめ心得ておいた方がいいか。

その注意点と期待値を書いてみます。こういうふうに参加すれば比較的長く継続できるのではないか。あまり学習効果を期待せずにロスを最小限にしながら参加できるのかもしれません。

注意点


まずは主催者が掲げているグループの概要とイベント案内についてです。あのとおりにはだれも運営していません。あれはあくまでも主催者の思惑であって実際にはあのとおりにいかない。なので読書会と掲げられてあっても参加者の中には読んこない人がいる。書籍を買ってくることもしない。オンラインで書籍を見せることもなく、買っても読んでいない人が多数いるということです。

なにかしらの気づきや論点を提示するようにファシリテーターからいわれます。本を読んでいない人はそういったことを提示できない。またしたとしても文章の一部を切りとって意見を述べるだけになってしまう。つまり読み込みをしていないのです。話題を提供できない。しなくてもいいくらいの安易な態度で参加しているということです。

もっとひどいのは聞き専といって聞いているだけの人がいます。読書会でしゃべらないというのは価値を提供していないので存在意義がないのです。そういう人すら参加が許可されてしまうのです。そこが第一の注意点です。

次に討議がはじまるものの熱くなってしまい、意見を強く言いすぎてしまうひとがいます。わたしはこの傾向があるとある読書会でいわれたことがあります。一方でいわれた瞬間にもっと言いすぎている人を諭してほしいともいわれました。この判断のさじ加減は難しい。いつどのタイミングでひとは興奮しはじめるのかが読めない。また次第に弛緩していきだらけてくる。そのタイミングが不確定だからです。そのことをいつも注目しているわけではありません。なので注意した方がいいということです。

また内容がとても難解なものが多い。書いた人はわかるでしょう。しかし読者は書いたわけではない。難しい研究の一般向け解説本を読んだとしても理解することはとても困難です。というのは一般の人たちというのは知的な素人であって学者でもなければ専門家でもない。そういった学者が書いた研究の紹介記事を読んですぐにわかるはずもないでしょう。研究にはその研究者が設定した状況があります。独自の仮定があり、解決に向けてのアプローチがある。そういったことを意識して理解して読むのは難しい。それが本になっているのです。

となると参加者にとっては理解ができないためあまり居心地の良いところではなくなる。だまっているしかない。だれかが独善的にひとりで語り始めてしまうとなにか窮屈な雰囲気になりえます。理解をしようとしている参加者の中でだれかが自説を唱えて一方的に解釈を加えたり批判をしたりすると居心地が悪くなります。するとソーシャルメディアで告知されたイベントとしてはどうなっているんだという誤解をもたらすことになるでしょう。

そうなると大学の授業のように論理だてて説明を受けずに参加者が好き勝手なことをいいだします。いわゆる雑談になってしまい、各人の説が次々と語られて混乱するだけの学習イベントになってしまう。そうなると話題とは遠いところの関係のない出来事がではじめる。

それは雑談のいいところでもあり、悪いところです。筋道が経っていないところで関係のないことをいいはじめるひとがいる。するとまったくの無駄になってしまう。それが雑談の悪いところです。しかし雑談はいいところもあってわかりやすいというところ。そしてときにはユーモアの効いたことをいうひともいます。

期待値


ではどういう期待値で参加したらいいか。ひとことでいうと学習をあてにしない。無駄な時間を過ごす。あえて期待しないことです。

まずゆるい態度で参加することです。運営側がルールを定めてもルール通りには運営していない。たとえマナー違反があっても罰則がないということです。例えば読んでこなくてもなにもとがめられない。それがゆるいということであって、案内に読んでくるようにとありながら読んでこなくてもいいのです。ルールが決まっているようでそのとおりにはされていません。

ルールをきっちりしてしまうと人が集まってこないという事情があります。もともと交流を目的としたソーシャルメディアのイベントではルールに縛られるのがいやで自由に参加したいひとが集まってきます。そういったことから身勝手な言動をする。しても主催者がそれを放置してしまう状態になっていきます。気楽なイベントであってなにをしてもとがめられない。注意を受けないのです。

例えば話題を提供した人に向かって面白くないということも平気でいうひとがいます。それがまかりとおる。退屈な話題だと反応してもまわりはそれに対して黙っているだけです。さらにはイベント中に寝ていようがなにか食べていようがなにもいわれません。それがゆるいという運営方針の期待値です。そこまで期待を下げることです。なにも注意されません。

次に楽しくやろうということを主催者が願っています。嫌で不快になることを望んで主催していない。ということは多少はちゃらけていても許されるということです。おちゃらけていると複数の人が思っていてもそれが許されてしまうのがオンラインイベントによくあることです。ジョークも多い。

そうなると学習ではなくてエンターテインメントになっていくということです。オンラインイベントに参加してくるのは若いひとがいます。その人たちはある程度容姿には自信を持っている人たちが多い。しっかりとお化粧をして髪の毛をとかして参加してきます。それをすることで参加してくるひとたちにアピールすることができます。容姿をよく見せることで自身のプロモーションになるのです。

後は楽しいということは居心地がいいということで気分がよくなることが次から次へと発せられる。性格のいい人たちばかりが集まるということがあげられます。しかし性格がいいだけで努力しない。そういうイベントになっていきます。そういったところまで期待を下げておく。

ゆるく、楽しくのあとには雑談ということで締めてみましょう。雑談であり学校の授業ではないのです。頭を鍛えるところではない。考えることをしなくてもいいイベントです。読書会といいながらも茶話会のようなものであり雑談なのだと割きりましょう。

雑談なので無駄話が延々と語られることがあります。90分のイベントであれば有益な話がどのくらい話されたのか。その数は極めて少ない。なぜかというとなんの問題解決にもならない無駄話であることが多い。例えば調べればわかる程度の話であったり、いつまで経っても延々に解決の目をみない話題であること。そういった見極めができない無駄話になってしまうことが多い。

それは主催者が目的がない。参加者の関心と興味がどこにあるのかがいつまでたってもわからないというものです。そうするととてつもないことが起きます。それは時間の無駄ということです。時間を浪費してしまう。これが一番のロスになります。

そういった内容として何の解決にもならない話題。自分にとって関心がないことに時間を使うと無駄な労力が発生します。意味もないことに2時間を使うと疲れるのではないでしょうか。時間の無駄になりうると期待を下げる。

話題、時間、労力を無駄に使ってしまうと二度ととりもどせない。こういったことを理解して参加するしかないでしょう。

つまりはオンラインイベントに参加するにはゆるく、楽しく、そして雑談で終わる。そうしておけばなんら期待外れになることはないでしょう。