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ロシア崩壊後のシナリオ

2017年と記憶している。わたしは法政大学でマーケティングの授業を担当していた。2013年からはじめてコロナ過になる前年まで8回続けた。わたしはこの授業を毎年楽しみにしていた。というのは大学の講師というのはずっとやりたかった仕事であった。大学というところで影響を受けてきたこと。周りも教育に適しているといってくれた。

大学は自身の成長と変化にとってはなくてはならないものだった。特に大学の関係者の中でも教授には尊敬を持っていた。そんな中での話である。

2017年の4月。いつものように飯田橋にあるキャンパスの3号館504号室に入った。時間は15:10分。ざっと学生を見渡す。40人用の教室はいつも満員だった。30人しか授業をとれないはずなのに。

ほとんどの学生は海外からの交換留学生だった。欧州、アメリカ、アジア。日本国籍の学生は5人までと決められていた。どんな授業をしようかと考えていた。結局、ほとんどの学生が知っている題材を使うことにした。ユニクロのマーケティングだった。

さっそく本題にはいった。皆さんはユニクロをご存知でしょう。このクラスではファースト・ファッションについてとりあげます。皆さん、知ってますよね。いつものように皆、手をあげた。

すると2人の女子学生は手をあげなかった。えっ、ユニクロのことを聞いたことがない。海外から来ているとはいえ、20歳になる大学生であればユニクロは知っているだろう。一体、どこの国の学生なんだろうか。

その二人は答えた。わたしたちはウクライナから来ました。

エコノミストを読む会という読書会でウクライナ情勢とロシアについての記事がとりあげられた。わたしは記事を読み、この先どうなるんだろうということを考えていた。記事はこうである。

ロシアのプーチン大統領(71歳)が再選した。これから少なくとも6年間は独裁政権が続く。西側諸国はどうすればいいか。ひとつはウクライナを防衛すること。もう一つは経済制裁を続けること。制裁はそれほど効果がない模様である。効いていればもうとっくに戦争は終結しるはずだ。

そこでエコノミスト誌は二つの案を出している。ひとつはNATOの防衛費をあげること。2%から3%へと増額し、増強することでロシアを封じ込める作戦をとる。これは威嚇的な正義の防衛手段としてあげられている。

もうひとつはリベラルで進歩的な人権擁護をする。まずロシア内での偽情報を抑える。正確な情報を流す。もうひとつは傷ついたウクライナ兵に対して人道的支援をすること。その中には医療行為や教育支援が含まれる。

確かにそのような手段をとる必要はあるだろう。ここまでは賛成である。自分から戦争をしかけて相手をやっつけることをしない。外側から支援することに異議はない。

ところがある人が以前こういっていたことを思い出した。ロシアはこのままいけばいずれ国として崩壊する。国として自治することができなくなる。つまりだれも国を治めることができない。そういうところになっていく。なるほどその説はかなりの確率でありうることだ。

ただどうであろう。ロシアが崩壊したあとにどのようなシナリオが待っているのであろうか。わたしは2つの段階があるとして参加してきた人たちに話をした。

その2つを話す前に崩壊がいつ起こるのかというものがある。これはだれにもわからない。10年後なのか20年後なのか。しかしアメリカのとの冷戦を100年続けたロシア。戦争の渦中にあってこれからも100年間このままでいくとは考えられない。

これがまずひとつ考えておくこと。さて崩壊するとどうなるか。おそらくは内戦が起きる。国内は施政者を失う。暴動が起きて人々が戦う。ひょっとしたら殺し合いが始まるかもしれない。国としてはもう政権がなくなる。司法・立法・行政は機能しなくなる。

すると残るのは兵隊と警察しかない。やがてその人たちもどうしようもなくなっていく。国が貧乏になるからだ。内乱後にはどんなことが起きるだろうか。内乱が起きるかどうかは著名な歴史家、例えば英国のアンデリュー・ロバーツに聞く必要がある。また政治学者による確かな理論というものも参考にはなろう。

わたしは内乱後には多くのロシア市民が難民になるのではないか。1億4千3百万人をかかえたロシア。そのひとたちが崩壊と内乱の後には国を後にするしかない。ロシアを離れ、国境を越えてどこかの国を求めてさまよう。その数は日に日に増していくであろう。

さて日本はどうするか。なにもしない。放っておく。そんなことはできない。なぜなら日本は国際連合(国連)の加盟国である。人道的な支援は行わなければならない。たとえロシアのひとたちであってもだ。するとロシアからの難民を日本国内で保護する必要が出てくる。これが人道支援というものだ。

例えば北海道に難民キャンプをつくる。そこで居住区として保護する。その人たちが生き延びていくために生活に必要な物資を供給する。病気にならないように医療行為を施す。犯罪を犯さないように教育する。そういったことに税金を使うことになる。

北海道の人が反対すれば他のところで保護する。この関東圏にそんなところがあるのか。都内、神奈川、埼玉、千葉。ひょっとしたらロシア人たちが来るかもしれない。場合によってはお隣さんとして向かい入れることになるだろう。

心の準備はできているのだろうか。それが参加していた人たちへのわたしからの問題提起だった。もう一度、書いておく。

ひとつ、このままいったらロシアが崩壊する。ひとつ、崩壊したとしたら、その後に内戦が起きる。ひとつ、そうなったら人道支援として日本は難民を受け入れる。何人、どこに受け入れるのか。これらを歴史家や政治学者に問う。こういう質問は大学生であれば、してもいいであろう。悪い質問ではないはずだ。わたしなら聞いてみる。

わたしはウクライナから来た二人の学生の顔をいまでもはっきりと覚えている。4月の第2週。木曜日、午後3時過ぎ。そうか20歳になってユニクロのことを聞いたことがない学生がいるのか。

そのときの私の反応はこうだった。よし、日本国籍の学生にちょっとたのんでみよう。ウクライナからの学生二人をユニクロの店舗に連れて行ってください。飯田橋駅付近にある。どんな商品が置いてあるのか。どこの国で生産されているか。値段はどうか。陳列はどうか。そういったところを説明してほしい。

そうでなければ、わたしが二人を連れて行って案内しよう。授業が終わる4時40分。パソコンをかたづけてちょっと休憩すれば5時にはユニクロに迎える。しかも帰宅途中。30分程度店舗内を案内するだけだ。たが、わたしはそうしなかった。しかなったことをいまでも後悔している。

2017年当時、まさかウクライナがロシアと戦争をするとは思いもしなかったからである。それだけが理由ではない。確実に思い出すあのウクライナからのふたりの女子学生。あの子たちの目は輝いていた。小さい教室の講師から見て後方左側に座っていた。

あの目は希望に満ちていた。目を30度くらい上方に向けてわたしを見ていた。20歳。これからいろいろな国のひとたちと語り合える機会があった。戦争だけはあってはならない。希望から絶望にしてはならない。3年後にわたしの講師生活は終止符を打った。