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寄付やボランティアだけでは社会貢献にならない

2002年9月に外資系ソフトウェアハウスであるアイ・ツー・テクノロジーズでリストラがあった。ほんの2ヵ月前の7月にはテキサス州ダラス本社から財務担当が来日。品川のホテルに集まった180人の社員に向かって十分に資金はあると話していた。ただしキャッシュ(流動性の高い預金)の数字は具体的にあげてなかった。ひたすら社員に安心を与えていたかのようなそぶりだった。

3分の1にあたる60人がリストラされ、わたしもそのひとりになった。そのときから会社というものをちょっと信頼しなくなった。運よく10月から日系企業にいくことになった。ところがどこかお金儲けだけの生活に嫌気がさしてきていた。しばらくすると女房の紹介もありさまざまなボランティア活動をし、以後20年近く続けた。

あるオンラインイベントで20代の若い人が話題を出した。日本では他国に比べて寄付やボランティア活動をするひとが少ない。なぜだろう。ある調査によると先進国23位だという。一位はシンガポール。二位は香港。それらの国と日本の間にアメリカが位置する。これはどういうことだろうか。

イベントに参加してきたひとは6人。シニアの男性が3名。女性が2名。そして話題を提供した若い男性だった。さまざまな理由を参加者が述べた後にその若い男性が発言した。寄付やボランティア活動をする場所は教会が思いつく。宗教に関わるところはではなのか。日本ではそれほど宗教に熱心ではない。アメリカはキリスト教信者が多い。そういった理由ではないのか。

わたしはだまって聞いていた。確かにその男性の意見に対してあの場ではこう反応したのかもしれない。わたしはアメリカに住んで教会にいったことがある。そこに連れて行ってくれた友人とも交流が続いている。プロテスタントやモルモン教信者もいた。そのひとたちによると信者は平均して可処分所得(給料からさまざまな税金を引いた後に残ったお金)に対して5%ほどの寄付を教会にするという。

わたしの家系は仏教で浄土宗。ところが毎週お寺にいくことはない。お寺を掃除することもない。実家の親の仏事には参加したことはある。しかしほとんどの場合親戚に不幸があってはじめて突然あたかも仏教徒になったかの振舞をする。普段はしていないのだ。いまでもどこのお寺にお世話になるのかしらない。最近ようやく決まったくらいである。そういった事情で普段から寄付をしてボランティア活動をすることはない。

ここでいうボランティア活動はお寺に定期的にお金を寄付する。お賽銭箱にきまぐれにお金を支払うことではない。住職に支払うことを指す。お寺の周りを掃除するようなボランティア活動をする。

ではこのように日本人が寄付をしたりボランティア活動をしないのはどのような理由なのか。それを考えた。ひとつは日本の非営利組織の財務構成。次にアメリカ人がボランティア活動をする理由。最後にこれまでとは違った新しい組織形態とリーダーが必要とされていること。これらがあげられる。

まず非営利組織とは利益を追求しない組織のことをいう。つまり民間企業ではない。政府系の組織でもない。そこは形式的にお金儲けをしない。ただ追求しないといっているだけで利益は出さなければいけない。そうでなければ必要な資源を枯渇させているだけだ。例えば宗教、病院、大学、福祉。そういった人の命や教育に関わるところ。そこは人権(わたしは最近までこの人権ということをやや誤解をしていたが)を守るところでもある。

そういったところではなにかしらの活動をして人を助ける。ところが活動も大事だけどもっと大事なのはその非営利組織の財務構成を見ないといけない。

ある市民活動センターでボランティア機構に携わっているひとが話していた。日本のボランティア組織といわれる機構の財務構成はちょうど3つにわかれるという。これが3分の1づつバランスよく構成されているのが理想ともいっていた。ひとつは政府や裕福な個人による寄付。もうひとつは事業による収益。そして残りは会員から集める会費。こういった構成になっているという。

たとえばわたしが18年勤務した浅草にあるボランティアガイドの組織。東京SGGの財務を見てみるとよい。公開されているはずだ。そこは毎年900万円くらい運営資金で活動している。ならば300万円は政府、特に外務省からきているはず。そして300万円はガイドをしたことによる収益。そして残りは会員からの会費の合計。年会員ひとり4千円のため、残りの300万円に届くには750人の会員がいなければならない。実際は150人で推移。会員数が少ない。どこかにひずみが生じる。

こういったことからもボランティア活動に相応しいところを探すのは大変。また相応しいところでボランティアをするひとは少ない。財務モデルありきである。達成できていないとどこかに歪みがでてしまう。いたしかたないであろう。簡単ではない。

次にアメリカにおけるボランティア活動。かなり前になるけれどもアメリカには100万にものぼる非営利組織がある。そこは大学や病院も含まれる。ただそういったところを除いてクリスチャンのように信者として日曜学校を手伝う。またボーイスカウトやガールスカウトのように小さい子供の養育や成長を手伝う。そういった活動に目を向けがちである。

ところがわたしが観察し聞いた限りではアメリカ人がボランティア活動をするのはそういった理由ではない。弱い関係やつながりといったものでもない。なにかというと知り合っておくと困ったときに助けてくれるからだ。どういう助けがあるかというと失業をしたときに仕事を紹介してくれる。知り合いから仕事をもらうのが一番よい。ネットよりも信頼性が高い。

また上司の暴力や家庭の不和により逃げてきた人を助ける。ハラスメントで消失してしまう金銭的損失は年収の1割だという。そういったところのセーフティネットになっている。仕事と暴力からの回復。そういった金銭的な安定をあたえるところが非営利組織の役割でありボランティアをするひとたちの密かな理由がある。

なにも神父や牧師になるためではない。また日曜日に2時間をつかって教会の活動を手助けするためではない。弱者としてよりよく生きていくためのそろばん勘定がある。あたりまえのことだし悪いことではない。むしろ必要なことである。

最後にこれは新しい組織形態とリーダーを必要とする。組織の形は従来型の命令系統ではうまくいなかい。形式上はそのような組織図を掲げていたとしてもよい。外部に向けてのメッセージでなければならないし意思決定者である代表がだれであるのかは広告としてまた責任者として見せる必要はある。しかし運営はピラミッド型やリーダー専権ではうまくいかない。

ボランティア活動は中央集権型のマネジメントではない。各ボランティアがあたかも代表になったがごとくに活動をしなければならない。つまり組織の目標は何か。ボランティアガイドであれば外国人旅行客におもてなしをすることだ。ひと月に1回。2時間。浅草でそういう心構えで活動すること。参加は強制的ではない。自分の生活にあった無理をしない程度でできる。加減が必要だ。いうのは簡単だけれども実行は簡単ではない。

そうなるとボランティア活動を難しくしているのは何か。それは自発的であり民主的でなければならないことだろう。これまで会社の中で上の役職をめざしたり、より多くのお金をめざそうとがんばってきたひとが非営利組織に入ってもうまくいなかない。ネットワーク型組織にきてもうまくいかない。

サラリーマンは自発的ではないのだ。お金をもらわないとやらない。ところが非営利組織ではむしろ最初はお金は出ていく。そして労力も相当かかる。急な出費もある。ひとも出入りがあるため流動的である。またいろいろなひとが出入りするため妨害、悪さ、あきれることも起る。不快なことがたびたび発生する。そうったことをがまんできるかどうかだろう。

そこには新たな(といってももう何十年もいわれていることだが)リーダーが必要とされる。非営利組織のリーダーになるのは簡単ではない。お金のために集まってくるひとたちではないのだ。そうではなくて人を助けるという難しい活動をする。もっと大事なのは自らも変わる必要がある。当然時間がかかる。いつまでもいつまでも時間がかかる。コンセンサスを前提をした組織であるからだ。

日本の非営利組織でそのような理想形で運営されているのはまだ少ない。そのような形を十分に理解して貢献できるひとがそれほほどいるわけではない。普段の生活に困っているわけでもなく高い資質を要求する。経営コンサルタントや非営利組織を十年以上率いてきたひと。東京にごろごろいるわけでもなさそうだ。(ただ、わたしは知人で何人かは知っている)

フローレンスの駒崎さんやLiving in Peaceを立ち上げた慎泰俊は才能をもった極めて優秀なひとたちだ。おそらくここに書かれていることに賛成してくれるだろう。もっと大事なことですら知っているはずだ。

わたしが20年続けたボランティア活動にはさまざまなものがあった。2003年からの浅草にある東京SGGは18年続けた。三菱商事の知り合いが2010年からはじめた海外のMBAを増やすという活動も8年続けた。しんどかった。そこを辞めて2018年から島根県益田市で地方創生もした。それは総務省の支援がなければできなかった。いずれもうまくいかなかった。

そのほかにも関東と関西の5つの大学で8年間講義をした。大学での講義でありわずかな謝金もあったけれどもボランティア活動のようなものだった。1200人の日本人・外国人に対して600回講義した。英語と日本語を使い経営学と国際経営を講じた。わたしはボランティア活動をしてよかったと振り返っている。ただ理想と現実はかけなはれていた。

社会貢献活動を誤解していた。寄付やボランティアが社会貢献活動のすべてかと勘違いしていた。多くの人は非営利組織で何かひとのためになにかをすると貢献したという思いがあってやろうとしている。しかし組織としてはじめ運営していくには財務モデルという原理原則から逸脱しないほうがよい。これははるかに難しい。また本業に近い活動。仕事を失った時にボランティア活動をしていてよかった。知人が仕事を紹介してくれたと振り返る組織がよい。

そしてなによりもこれが一番大事なことであるが金銭的な側面があるにしてもリーダーとその新しいネットワーク型の組織を学ぶ。ここがポイントであろう。非営利組織は単なる社会貢献よりもはるかに難しいことを要求する。でもそれがなければひとはやがてすぐに離れていってしまうだろう。

はじめるのもやりぬくのも簡単ではない。寄付やボランティア活動以上のことが要求される。政府の補完機関以上でなければならない。そのため日本にはそれほどなく、おそらく東京都で5万くらいであろう。しかしそれらは意義があることであり長く続けれることで必ずやっていてよかったと振り返れる。