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ESGはどこかがおかしい

約20年前に自家用車を買い替えた。トヨタの人が勧めてくれたクラウンである。このクラウンにしたのは訳がある。販売員の適切なアドバイスがあったからである。静かにゆったりと乗りたい。長い距離を乗っても疲れない車が理想だった。

ただ燃費がよいわけではない。六気筒のガソリン車であるためそれほどいい燃費ではない。今はやりのハイブリッド車でもなく、EVでもない。しかしこの車は20年乗っているけど、乗れば乗るほど味の出る車である。

イギリスの雑誌The Economistに石油会社と投資家による戦いを描いた記事が掲載されていた。石油会社というのはエクソンモービル。経営方針にクレームをつけたのは比較的小さい投資家グループでArjuna CapitalとFollow Thisという。

クレームはもちろんのことエクソンに対して地球温暖化対策のために公益性のある事業をせよということだ。それはESGともいう。ESGとは、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス(企業統治))を考慮した投資活動や経営・事業活動を指す。

それに対してエクソンの代表取締役社長であるウッズ氏は怒りをあらわにした。ESGは現実的ではないこと。また実践的ではないというのが理由だ。それを盾に投資家グループに対して訴えを起こしたという。

読者の皆さんはどう受け止めるだろうか。わたしはESGはどこかがおかしいと考えている。

まずこれはWoke Capitalismといって自意識過剰の資本主義であるということ。日本では意識高い系と揶揄されることもある。それは投資家として経営陣に対して圧力をかけるという行為のことをいう。行為としては違法ではない。ただその訴えている内容がどこかおかしいというものだ。

どういうことかというとひとつは一般の投資家からお金を集めているということ。そして取締役会で圧力をかけるというものだ。お金で地球温暖化を解決しようとしているところが筋が通らないということだ。お金で地球温暖化が収束するというものではない。経済活動は経済活動であってそれに対してお金任せに圧力をかけるのはおかしい。これはむしろ議会で法案を通すことのほうが先決であろう。その法案が通過してないではないか。

ということは政治家や官僚、そして経済界のトップが温暖化に対して冷ややかな目線でいるということだ。ただ悩ましいのは温暖化で一番被害を受けるのは貧困層であるというのは間違いがない。

そしていくら足取りが遅いからと言って温暖化に対してひとつの企業に対して圧力をかけるのは公平ではないだろう。温暖化は手遅れというものある。この75年間において二酸化炭素の排出は急速に進んでしまった。そして排出量はなんと5倍に膨れ上がった。これを抑えるというのは経済活動を抑えるということに他ならない。そのようにはならない。

このESGというのはSDGsに続いてよく言われるようになった。SDGsというのは2015年に国際連合が発表した地球規模の取り組みのことを言う。確かにこの声明にはアイデアとしては正しいことをいっている。しかし行動の伴わない。行動をしないことによる罰則が何もないことが問題である。

行動をしないと、二酸化炭素の排出を抑えるような経済活動をしないと罰則が与えれれる。そういうことをいっているのではないことが残念だった。これでは抑止効果がない。

わたしはガソリン車である自家用車では遠いところにいかないようにすること以外にやれることがない。コロナになる前は自宅から片道100キロまでと決めて週末にドライブをしていた。東は水戸市まで。北は前橋市まで。東方面では御殿場までとしていた。

コロナがはじまるとショッピングセンターばかりにいくようになった。南になるイクスピアリ。北に位置する越谷レイクタウン。そして東方面にはららぽーと柏の葉くらいにした。幕張にあるショッピングセンターにもでかけた。遠くに行くといっても50キロ圏内のつくばくらいにした。

これくらいしか温暖化対策ができないという現実がある。

大学生の読者の皆さんもこの機会にESGについて考えてみてください。