スマホを断つこと
今日、都内で生活をする上でスマホは欠かせないものになった。欠かさず使うために生活必需品とまで考えられている。そのため誰もがスマホを身に着けていなければならない。
これほど間違った考えはない。スマホはむしろ身に着けておくものではなく、机の引き出しにしまったままにしておくか、どこかにかたずけておいてもよい。身に着ける必要もなければ、使う必要もない。生活必需品ではなく、誰もが欲しがるものであっても、その欲求を抑えることはできる。むしろないほうがいいであろう。
小学生であれば6年生になったときにスマホを持つかどうかは迷うであろう。5年生まではスマホは持つべきではない。全く必要ないどころか害である。
中学になったらどうか。持つのはいいであろうが機能はかなり抑えたものだけでいいだろう。必要な情報というのは天気予報と交通情報くらいだ。それすらもいらない場合が多い。
高校生になったならばクラスメートといるか外で運動をしていることが主体であろう。サッカーや野球をする。そうやって体づくりをすることに時間を使う。サッカーをしながらスマホを使う人はいないだろう。
そうやって大学生になっていく。ところが大学生になればスマホはもっといらない。大学生がすることは二つだけである。専門性を磨くことと将来のパートナーを探すことである。それ以外のことをする必要はない。アルバイトなどはするだけで時間の無駄であろう。
10月号のダイヤモンド社発行のハーバード・ビジネス・レビューにこんな記事が載っていた。記事の寄稿者はエイミー・ギャロ。タイトルは仕事に集中できない時はどうすればよいかである。その中で集中できない理由がいろいろと書かれている。また集中するにはどうするかも書かれている。
その中で集中をするにはスマホを断つことと諭されている。これは重要な一文であろう。数年前にある調査結果があった。アメリカ人の中にはfacebookを毎日1時間使う社会人がいたという。またTikTokにはまって毎日2時間費やしてしまうともいわれた。これほど無駄なことはない。両方とも不要なサービスである。
また電子メールを頻繁に見てしまうというひともいた。仕事をしている最中、勉強をしている最中、もっといえば何か創作をしている最中についメールを見てしまうという。見てしまって何か不快になったことはないだろうか。あるいは何か全く仕事とは関係のないことに時間を使ってしまうことはないか。
この著者の調査にひとつでメール閲覧で集中がとぎれ、もとの集中の状態にもどるまでに10~18分かかるという結果が掲載されている。つまり18分が失われるという計算だ。これは平均的な数字である。
NYUのアダム・オルター著、「僕たちはそれに抵抗できない」によるとメールを閲覧することで25分失うという調査結果も報告されている。こういったことからスマホを断つことの方がメリットが高い。ではわたしはなぜスマホを断つことに賛成しているか。その理由を書いてみます。大学生の読者に向けてです。
身体への影響、集中を失う、そしてボーイフレンドを失う。これら3点です。
まず身体への影響が考えられます。どうでしょうか視力が落ちてきてはいないでしょうか。10代というのは視力検査で1.5はあるはずです。2.0というのはなかなかないにしても1.5というのはどのような生活をしていたとしても測定されます。大学生になっても同じでしょう。30歳くらいまでは1.5の視力があったほうがいい。スマホはスクリーンから発する色が目によくありません。それにより目をやられてしまいます。
目をやられるとそれが肩こりにつながります。常に肩が凝っているという症状はないでしょうか。大学時代には肩こりというものは発生するわけがありません。授業を受けて勉強をする。外で運動をする。それだけをするわけでそうしているのに肩が凝るというのはよほど目を酷使しているからです。この酷使をする理由がスマホにあるのでしょう。
そしてスワイプです。たかがスワイプと考えるかもしれません。しかしやりすぎれば支障がでます。どうでしょうか。いくつもアプリをダウンロードしてはいないでしょうか。例えばスポーツ用品店のアプリ。それをダウンロードするとマイルが貯まるというキャンペーンに参加したとします。10%のマイルが追加でもらえる。得をしたような気分になります。
ところが実際に使ってみるとアプリはうまく動かない。そのためイライラする経験はないでしょうか。このイライラがよくないのです。神経をすり減らしている。そのため同じ時間をそれ以上の時間をぼんやりしていなければいけません。それは損をすることなのです。アプリ提供側はそれによりあなたの情報を収集して次のキャンペーンを打つことだけを考えています。そういったマーケティング戦略に乗っかる必要はありません。
次にあげるのが集中できないという理由があります。スマホは集中力を低下させる原因になっています。さきほど書いたことをもう一度繰り返してみましょう。
仕事をしているときはスマホを見る必要はないものです。見れることができるとすれば机で作業をしているとき。そのときに周りに気づかれないようにスマホを見る。facebookやTikTokをついつい見てしまう。これが作業にはじゃまになるのです。全く仕事とは関係ないことをしてしまう。それにより1時間でできる作業に1時間半かかったりします。
DHBRの記事の中に1日の仕事の中で集中して仕事ができるのは2時間ということが書かれています。ということは働く人はオフィスの中で最低でも1日1回、2時間集中をして作業をする時間がないといけないともいっています。この時間をつくるのは大変なことであり、意識して作らなければならないものです。
また意識して毎日作ったならば、10年間でその道の専門家になることでしょう。大学時代から始めて30歳の社会人になったころにはそうなっているはずです。
メールチェックはそれほどする必要はありません。おそらく1日1回でいいのではないでしょうか。たとえば午後4時に一日1回だけメール閲覧をする。そうすればどんなメールが来ているかというのがわかります。何通届いているでしょうか。おそらく整理されていないメールが次から次へと来ていたのであれば要注意でしょう。
メールはすべてのメールを読む必要は本来ないのです。重要なメールさえ読めばよい。ほとんどが連絡、報告、そして相談依頼といったものでしょう。連絡は飛ばしてもよい。報告は読む。そして相談はメールではできません。対面で話す。それも1時間は話さないとなんの問題解決にはならないでしょう。
そもそもこのメールというものが画期的である反面、集中を奪うツールになってしまっているのです。どうでしょうか。メールに反応をして何か得になるようなことがあるのでしょうか。
さて最後にこれが大学生にとっては痛烈に響くことかもしれません。それはボーイフレンド、あるいはガールフレンドを失うことになるのかもしれません。
あるおしゃべり会でこんな話を聞きました。話題はSNSはソーシャルなのかという話でした。そこから話がいろいろな方向にいってではスマホは生活必需品なのかという流れになったのです。
そこで若い女性がこういいました。スマホなしで生活できますか。わたしは朝起きた時からスマホをさわっている。そしてときにはスマホでボーイフレンドとやりとりをしている。時には動きを操作している。
これを聞いたとき、ちょっとびっくりしました。なにかボーイフレンドを遠隔操作しているようにも聞こえました。おそらくこの女性はスマホでボーイフレンドの携帯アドレスを知っている。それによりつながっていると勘違いしているのではないか。
確かにつながっているようには感じられます。しかしながらこれは弱いつながりであっていつもどこかでつながっているように錯覚している。こうなると錯覚であって仮想の世界の中にいるようです。
そういった弱いつながりというのは時として消滅してしまう可能性も大きいものです。そうなるとボーイフレンドを失ってしまうかもしれません。あくまでも連絡を取り合うだけでいいでしょう。しかも毎日会う必要はない。週1度、都内でデートするだけでいいでしょう。
これは男性側が女性に対して行うのにもいえることでしょう。
スマホと断ってみる。2週間やってみること。そうすればわかるでしょう。いらないって。都内に住んで都内の大学に通っているんですよ。