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授業後の気分転換はランニング

約10年前の2014年。わたしは国際社会貢献センターからの連絡を機に新たに教えるところができた。千葉県千葉市稲毛区にある小さな私立大学だった。教えるといっても相手は大学生。わたしの息子よりも5歳くらい若い学生である。どちらかというと息子と同じような目線で接しようとした。同じような関心事があるだろうという想定をしていた。

15回ある授業の最初に学生に聞いた。どんなことを学びたいか。なにも反応がない。

わたしが担当したのは経営学入門というタイトルだった。やることは企業研究と就職支援というのが表向きの目標だった。まず形式的に大学生に興味のある会社を自由に3つ選んでアンケート用紙に書いてもらう。アンケートを集計して人気順にランキングする。経営用語を説明してから後半には大学生に面白い会社を発表してもらう。

ほとんど毎年ディズニー、スターバックス、そしてユニクロだった。

このように書くとさも授業らしいことをしているように印象を受ける。ところがこの小さい私立大学では学生の学習態度が最悪。講師控室に集まる講師仲間はほとんど手を焼いている。そういった学生にほとほと呆れている人たちが多かった。わたしもまともには付き合っていられない。適度な距離と時間をおくようにした。授業が終わったらなにかしらの気分転換をする。そんなことを繰り返し6年が過ぎ去った。

2020年にはコロナ過にはいった。ズームというのをつかってリモート授業をする。対面授業は当面禁止。そういった条件になった。わたしは対面でも数多くのいたずらやふざけた行為を目にしてきた。そのためズームになったらさらに多くの悪さが起きるのではないか。遅刻、途中退出、居眠り、そして裏側でのチャット。ありえることだった。教科書、配布資料は読んでこない。

学生はあまやかされており授業で話したことを聞き逃すとなんども聞いてくる。画面に投影し2度、3度と説明をしても説明しなければならないことがある。すると次第に呆れから、ちょっとした怒りになる。怒りは抑えなければいけないので距離をさらにおく。いっしょに同じ時間をなるべく過ごしたくない。そんなことを考えていた。

そんな状況を講師仲間では共有していた。授業が終わるとどっと疲れる。ただし、だらっとしているとさらに疲れる。そこでなにかしらの気分転換をした方がいい。そこでわたしは講師仲間にたずねた。

どんな気分転換をされているのですか。

国語の先生はこう答えた。音量をかなりあげてロックを3時間聞く。そうするとストレスが減るとのことだった。そんなことをして大丈夫ですか。大丈夫です。むしろこれがないとやってられない。どうしてですか。それは教職課程の学生に呆れたということだった。

授業中にスマホでゲームをして遊んでいる。しかもイヤホンをしたまま。先生が近寄って注意をする。注意をしてもその学生はスマホに釘付け。しかもイヤホンをしているため先生の注意喚起をする声が聞こえない。先生は呆れ、ますます怒りが増す。しかし怒ってはいけない。やりすごす。

するとその学生が期末試験で落ちる。単位をあげることができない。再履修をしてくる。それもやっかいだ。そこで試験が終わったあとに再試験をする。キャンパスにくる必要のない2月にわざわざくる。そうやって救済をしようとする。しかしその再試験の当日でさえも遅刻をしてきて試験の妨害をするというのである。それではやってられない。

どうやって気分転換しているんですか。ロックをがんがんに聞く。そうでないとやってられない。そんな話だった。

わたしは話の途中からこうも考えた。この学生は教職課程にいるという。ほんとうに卒業後には学校の先生になるのか。千葉県千葉市というところは一体どういう学校があるんだろう。そんなところを覗いてみたくもなった。

ある社会科学の先生はいった。授業では毎回何を学んだかを書いてもらうようにしている。どうしてそんなことをするんですか。先生は答えた。これで追試をせずに救済するようにしている。たとえ試験で悪い点数をとったとしても9割には単位を与えなければならない。そうでないと再履修してくる。再履修はごめんだ。どう気分転換されているんですか。

気分転換などない。先生はいった。学生が少しだけがんばっている姿を見たいだけだ。講師仲間ではそのようにいう先生が多い。最初はできなくても毎回少しづつ課題図書を読むことによってできるようになる。それが大学の勉強というものだ。はじめからできてしまう人などいない。

そうこうしているうちに逆に質問を受けた。どうされているんですか。気分転換は。わたしは答えた。家に帰って着替える。そして家の周りを5キロほど走る。これが気分転換です。はやく忘れたい。学生の行儀の悪いところははやく忘れたいためだ。わたしの大学、大学院では遅刻すら許されなかった。大学の先生のいうことはノートに書き留めた。それだけまじめに授業は受けた。必死だったしよく質問もした。

やる気のないところなど見せれば大学院は追い出しをくらうようなところだった。わざわざアメリカにきて家族までつれてきているのに追い出されたらどこにいくこともできない。帰国しても就職はできない。転校もできない。そういう中でも授業だった。

課題図書を読んでいないなど言語道断だった。そういう大学院生もいたことはいたが教授はすぐに見下した。相手にしたくないということだった。それは大学の先生というのは学びや授業態度というのはよく見えるのである。わたしも教壇に立ってしばらくしてから学習態度がこれほどはっきり手に取るようにわかるのかということに驚いた。だらけた学生は学ぶことができない。その傾向ははっきりとしていた。

すると大学生の中には1年よりも2年、2年よりも3年。進むにつれて成績が落ちてしまう学生が見られた。1年の時の方がやる気があって学ぶ力が強いのである。

わたしはこの傾向を目のあたりにしてなんとしても授業中に起きたことは早いうちに忘れたいということで必死になった。いつまでも悪い気分を引きずるわけにはいかない。そこでやっていたのが授業後のランニングだった。

ランニングは最初ちょっと苦しい。しかし20分くらいした途中から呼吸がしやすくなりランニングハイに近くなる。すると走ることだけに集中できる。頭の中に入ってしまったごみを取り除く効果も少しありそうだ。1時間くらいゆっくりと時間をかけて頭の中を掃除する。そのあとにビールを一杯。そんなことを途中からやりはじめた。

講師仲間からは聞かれた。先生、そんなことをしてほんとうにいやなことが忘れられますか。ロックを聞いた方がいいんじゃないですか。いやいや、走った方がいい。身体を動かす方がわたしには向いている。

2014年から6年間登壇した。3年目くらいからだろうか。授業後は家に帰って走った。先日、千葉県の家の近くの大学食堂で食事をしているとそのときの講師仲間と偶然に再会した。

その先生も授業が終わると走ることにしているという。