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はじめてのおつかいという伝統は残っていくのか

昨年2022年の9月のこと。千葉県東葛地区にある松戸市新松戸で幼い女の子が行方不明になった。不明になる少し前にスケートボードに乗っているところが防犯カメラにとらえられていた。行き先を予想すると江戸川河川敷ではないか。そこでどうやらかぶっていた帽子が強風で飛ばされた。それを追っかけて足をすくわれそのまま行方不明になった。そういった憶測が飛び交った。

それから半年以上たった。同じ江戸川に面している市川市。河川敷で花見をしていた男の子が行方不明になった。しばらく捜索を続ける。どうなったかが数日後に判明した。これら二つの事件より親がちょっと目を離したすきに小さい子供たちは行方不明になってしまう。その可能性がわずかながらある。

あるオンラインイベントで日本のバラエティー番組について話題になった。その番組は「はじめてのおつかい」という題名。30年くらい前に話題になったもの。日本では親が3歳の子供におつかいにいってきてと頼むことはよくある。しかもそれがある種の伝統のようなものとして残っている。そうすることで一歩一歩大人の仲間入りをしていく訓練だ。問題なくスーパーマーケットにいってお魚やお肉を買ってくることは達成感にもなる。

こういった小さな成功を積み重ねることが大人になる道として尊重されている。

ところがこの人気番組をNetflixが放送したところアメリカでは意見が二つに割れた。ある親たちは自分たちも同じようなことをしたい。でも安全でないからできない。したくてもできないというものだった。もう一方の親たちはこのようなことを頼むことはクレージーだという。子供にお金を持たせてわざわざ危険なところにいかせるというのは狂っている。そういう反対意見があった。

わたしはイベントに集まってきた人たちに問い合わせてみた。小さい子供におつかいを頼むことがあるようだけど賛成しますか。反対しますか。ほとんどのひとたちがこのような伝統は理解ができる。しかし東京や大阪は物騒になってきた。理解はできるが頼むようなことはしないかもしれない。そういう意見だった。さてあなたはどうするか。

わたしはこれを考える背景には3つのことがあると考えている。まずおつかいというそのものに日米の違いがあること。アメリカには法的側面があること。さらにはストリーミングサービスの役割だ。どういうことだろうか。

おつかいというのはしつけに近いようなものではないか。それをすることで家族がいっしょにいる。小さいこどもが家族の一員としてなんらかの役割を担う。小さくてもできることからはじめる。そういったことが3歳でできるというのはとてつもなく大事なことだろう。毎日ではなくても一週間に1度か2度。日を決めて数分のところにおつかいにいってきてもらう。それは家族にとってはとてもうれしいこと。それにより家族同士のつながりが強化されるというのはいうまでもない。

それに対してアメリカではおつかいにいけるのならいってほしい。しかしながら家から歩いて15分程度のところでも車で行かざるを得ない。それは外に出るというのは車で移動することなのだ。外を歩くことがとても危険であるためである。しかも3歳の子供にお金をにぎらせてひとりでおつかいにいってきてとは考えられない。これは大人になるために一歩一歩の訓練という要素は理解されよう。ただアメリカ人がこのような行為によって大人になってはいかない事情がある。

次に外に出たら危険であることはアメリカ人であればだれでも知っている。そのため親として目を光らせておかなくてはならない。法令によりある一定の年齢に達するまで子供を監視する。もしも子供に危害があった場合は親としても過失が問われるという。まして3歳の子供は未防備だらけだ。

小さい子供を車に乗せてしばらく放置したとしよう。それが夏であって冷房が効いていない場合は警察に呼び止められて注意をうけるという。それだけでなく過失により民事事件あるいは刑事事件になる可能性がある。違法行為として罰金を科せられる。日本では親の責任はあまり問われない。

Netflixは視聴者向けの娯楽番組として放送をしているのであろう。ところがアメリカ人の中にはこのような番組をストリーミングすることはばかげているとして批判しはじめている。Twitterに投稿された内容にはNetflixが他国の親の過失を放送している。クレージーだと書かれている。

このような放送をすることでアメリカからの批判をうける。そうするとこういった憶測が広がる。Netflixが日本の古くからある伝統を破壊しているのではないか。日本ではおつかいは違法行為ではない。しかも家族のひとりとしてなんらかの役割を果たす。それがひとりのおとなとして成長していくための訓練のひとつである。よき伝統だ。

東京や大阪ではどうも物騒になってきた。昔のように気軽におつかいにいけなくなった。また頼めなくなった。そういった伝統と家族の絆のようなものをNetflixが破壊しはじめている。わたしはこのような側面を考えたとしてもおつかいという伝統は残っていってほしいと考えている。

千葉県松戸市と市川市の事件はとても悲しい出来事だった。そのニュースはいまでもよく覚えている。しかしそうだからといって千葉県東葛地区でおつかいといった依頼を抑えていってほしくない。ひとりで学校に行く。親の車に乗って登校しない。道路には交通整理のひとが出ているし車も気を付けて運転している。危ないところはあるにせよなるべく明るいうちに出かけて帰ってくる。

家に帰ってきたら週に数回はおつかいをする。とてもいいことだ。日が昇っており明るいうちであれば歓迎すべき方法ではないだろうか。親が心配ばかりしていてもしょうがない。さて大学生の読者の皆さんはどうだろうか。都内であれば近所の様子がよくわかるであろう。もし将来結婚をして子供ができて都内に住む。自分の子供が3歳になったときおつかいを頼みますか。