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不可解な学習系イベント

6年ほど前の夏にふとした事からあるイベントに通い始めた。事というのはなにか法律やビジネスについて話したくなった。何か話題になっている記事を使って話すところはないか。そんなことを探していた。

ネットで調べてみるといくつか検索結果が出てきた。その中で主催者が一方的に宣伝をするものではないこと。一般に公開されているもの。一般の人と何かしら討議ができるもの。そうして出てきたものがある。

それはハーバード・ビジネス・レビュー読書会というものだった。読書会は毎月行われている。使っている雑誌はダイヤモンド社発行のハーバード・ビジネス・レビューである。これはハーバード・ビジネス・スクール(HBS)が母体となって発行をしているHarvard Business Reviewの翻訳を特集記事として掲載している。毎月4本~6本ほど日本向けに選んでそれを翻訳している。1冊2400円する。

記事では大学教授の研究を紹介し、経営コンサルタントのプロジェクトを紹介している。著名な経営者や大学教授をインタビューして記事にしている。

内容としては人材育成、組織開発、そして経営戦略が多い。最もHBSというのはビジネス・スクールとしては最高峰であり経営者、金融のプロ、そしてITの分野へ進む卒業生が多い。それは年収が高いためである。ウォールストリートやシリコンバレーをめざし、都会で経営コンサルタントとして活躍する人が多い。

マッキンゼーやBCGといった戦略系コンサルティング会社へ就職をする。またGAFA、マイクロソフト、Nvidia、テスラといったシリコンバレーを中心に情報技術の分野で急成長をする企業に働く人が多い。それは年収が高いためである。

大学としても東海岸に位置しておりとても進歩的な考えを持っている。

ところが東京で主催されている一般向けのイベントではやや風変わりで不可解なイベントとして続いている。集客サイトのPeatix上で募集が行われている。

毎月30名ほどが集まってくる。わたしは2018年から2年ほど日本橋図書館にいって2時間ほど聞いていた。時々発言もした。コロナになるとリモートになり参加するのをやめていた。ところが2023年の夏になり3年ぶりに参加してみて、ここ1年間、違和感を持ちながらも続けて参加してみた。

次第に違和感は増していき、とうとう6月からは参加することさえ控えるようになってしまった。どういうことだろうか。実態はイベント案内に記載されているようにはなっていないということだ。

基本方針としては良識人として楽しむ会として参加してほしいということだった。実態はゆるく、楽しく、そして雑談を2時間しましょうとなっている。方針はあくまでも方針だ。

ゆるい

ところが実際はゆるい会である。ゆるくというのは柔和な態度で参加しようということだった。柔和というのはあたりが柔らかく、ほわっとしたボケた感じで語るということである。決してとげとげしい言葉使いをしてはならない。トーンに気を付けて事を荒立てない。つまり物議を醸すような論争を読書会ではしてはいけないということだった。

これを意識して2時間過ごすことは難しい。

わたしはアメリカのビジネススクールで2年間を過ごした。アメリカの教授というのは終身雇用権をもらうまでは研究と教育に没頭する。教育においては大学院生から毎学期厳しい評価を受ける。評価が悪ければ大学院を去らなければならない。研究費も自分から宣伝をして集めてこなければならない。

終身雇用権が得られれば安泰である。しかしそこに行きつくまでにはかなりの競争がある。教育においても緊張感というのは並々ならものがあった。そういう大学院で教える教授が研究を紹介しているのがハーバード・ビジネス・レビューである。

こういった記事を読んでゆるく語り合うというのは難しい。大学院のクラスにいるようにほどよい緊張感を持って話さなければならない。ここがまず最初に違和感を感じたところである。

楽しい

次に楽しい会にしようということだった。この楽しいというのはどうも論争や熱くならないように気を付けようということだった。日曜日のイベントであるからして論争を吹っ掛けるようなことはしない方がいいだろう。それを素性の知らない一般の人に向かってするものではない。

しかしこうもいえる。わたしは銀行、外資系飲料メーカー、経営コンサルティング、総合商社と渡ってきた。所属部門には必ず数名ハーバード大学出身者がいた。そのひとたちが発言をする会議にも何度か参加した。数名はわたしの上司だったこともある。

そのひとたちとのビジネスにおける話というのは決して楽しくはない。とても知的であるとは限らないが楽しいということではない。むしろ論争めいた話が多かった。調べればわかるというような話題はない。むしろ意見を言う方が多かった。君はどう考えてどうするつもりだという問われ方をした。つまり準備をして意見をいうことが前提の会議だった。

しかしこの読書会では論点の提示はなく、記事についての感想はどうかということで2時間が過ごせてしまうのである。読書会といっても感想を述べるだけでは物足りないだろう。

雑談

最後に参加者が特集記事6本を読んできていないことがある。また読んでも理解できていない。なにが論点になっているかということを提示できないという実態がある。これはどういうことか。ひとつには記事の読み方がわからないという点がある。

教授が書いた記事は研究をベースにしている。通常、学問における研究というのは学術論文になって結実する。論文というのはだいたいが序論、本論、結論という構成をとる。それをそのまま一般の人に向けて紹介しても理解できない。そういったことからわかりやすいように紹介している。短い紹介であって研究を本当に理解するにはジャーナルに掲載された論文を読まなければならない。一般向けに書かれた書籍も出版されている。

また一流の経営コンサルタントが寄稿している。こちらはチャートを載せて一般向けに理解しやすいように解説している。コンサルタントというのは普通は課題設定から入る。状況を分析をする。そこから原因を探る。そうして見つかった原因を取り除くために解決策を提示する。

つまり課題(イシュー)、原因、解決策という流れで紹介する。こういった構成としてとっている場合が多い。そこで読者としては論点を出す場合には状況設定と論点をまとめたものを用意した方がいいだろう。そういったことをこの読書会ではしていない。そうして紹介されている解決策が見つかる。視点ともいう。これらの是非について討議をするというのが通常である。

しかしこの読書会ではこういったアプローチをとっていないというのが実態である。つまり解決策についてディベートをしようとは考えていない。どちらかというと記事の上っ面をなめて気になったところを短く紹介する。それについての感想を言っているだけで終わるのである。これでは読まなくても参加できてしまう。

読まなくても参加できる読書会になってしまっている。それはゆるくしているため。楽しむことが目的であるため。そのために雑談をするだけの会になっているためである。これでは学習効果は全くない。問題意識が低い人たちが集まっている読書会といわざるをえないのである。

これは少々厳しい指摘かもしれないが実態はそうなっている。ではどうすればいいか。

それは読む習慣がついたら参加を見合わせることだ。1年くらい参加すると記事を読む習慣ができる。そして興味や関心のある記事がわかる。人材育成、組織、戦略の中で自分の興味がある記事を選んで読むようにする。

また近年話題のテーマがある。人工知能(AI)、気候変動、人権(DEI)がある。それらについてポイントを押さえながら読む。それで十分であろう。

2年目からは毎回参加する必要はない。興味のあるテーマの時に参加するだけでよい。しかもこの読書会は早入退室が認められている。なので2時間フルに参加する必要はない。

わたしは気に入った記事を日本語で読み理解をする。そうして英語版を読む。英語版の方がはるかに切れ味がいい。

そういったところから参加を控えている事情がある。