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グローバル化は裏目に出ている

30年前に投資銀行では二度と働かないと決意した。スイス銀行コーポレーション東京での7年間を振り返った。あんなことがあってたまるか。どこかがおかしかった。転職しようにも銀行以外のところに行くあてがない。そこでアメリカのビジネススクールにいった。転職のためにしたことだ。ビジネススクールは徹底的な軍隊教育方式でビジネスを学ぶところ。院生は朝から晩まで学習のみ。成績が平均B以下になれば放校。つまり学校から追放されてしまう。もう引き下げれない。

ひたすらビジネス戦士になることを目指す。はじめはなんでもがむしゃらにやってみた。ちょっとうまくいくようになると国際人になろうという欲が芽生えた。それがよくなかったのかもしれない。

なかなか就職先は見つからなかった。ある日キャンパス内の就職掲示板の前を通りかかった。インター・リサーチという掲示が目に入ってきた。いろいろな国籍の人たちに向けて就職先を紹介していた。親切な人たちだった。電話をして待っていたらコカ・コーラ社を紹介してくれた。

1992年の3月渋谷オフィスの人事担当がアトランタ本社に出張するという。そこで本社にいって面接を受けた。投資銀行業でさんざんうちのめされていたわたしはそれほど確信をもってアピールができるわけではなかった。オーストラリア人からこんな質問を受けた。あなたの7年の業務経験から自信をもってできるものは何ですか。いきなりきた。

わたしは特に成果を上げてきたわけではないことをあげて苦しまぎれにこれからのビジネスを予測した。これからは技術、特にコンピュータを使った情報技術が大事になる。企業間の競争に勝っていくためにはコンピュータで勝負すること。そのためにジョージア工科大学でコンピューターとビジネスを勉強している。技術を軸に創造と変革を前提にしたビジネスになる。そう格好つけてしまった。あの時の根拠のない自信はなんだったのか。

キャンパスに道を一本隔ててそびえたっているコカ・コーラ本社は毎日見ていた。そこで働きたかった。わたしはちょっと恵まれていた。ジョージア工科大学ビジネススクールにはコカ・コーラ社を退任してボランティアで教えている教授がいた。ロバート・ブロードウォーター氏は1992年には教授の中で年間優秀賞を受賞していた。その方から直接指導を受ける機会もあった。

コカ・コーラにはまぐれで入社できた。ただそこからがグローバル化という痛い思いをした。恐ろしい資本主義の現実を知るはじまりだったのである。

あるオンラインイベントでグローバル化について話題になった。リーマン・ショック以来アメリカ企業の対外投資が横ばいになってきている。海外の支店数はそれほど増えていない。ただグローバル企業の存在感は増して海外事業を拡大させようとしている。そんな流れの文章だった。拡大方法はソフトウェアや特許を使う戦略。無形資産による事業で収益を上げていくという。はたしてほんとうだろうか。グローバル化というのはむしろ裏目に出ているのではないか。

わたしはこのような意見を持った。確かにグローバル化は進み多国籍企業は業績を伸ばした。これからも傾向は続くであろう。ただグローバル化の恩恵を受けているのは一部の企業。その中でも莫大な利益を得ているのはそういった拡大路線を続ける企業の役員と投資家だけであること。特許を使う戦略をとっても現場ではなかなかうまくいかない。

グローバル化というのは紙の上の経営原理であること。経済学の理論としても正しい。ただし多くのメリットは役員と投資家に吸い上げられてしまう。現実のオペレーションではうまくいかないこともある。

どういうことか。

経済学の原理のひとつに規模の経済というのがある。これは大量生産をすればするほど利益が出て儲かるというもの。生産費用には固定費用と変動費用がある。ある製品をできるだけ大量生産する。変動費用というのはどれだけ生産をしても一定にかかる。材料費や労務費のことをいう。ところが工場やマネージャー(間接費)、光熱費というのは固定費であって生産してもしなくても固定としてかかる。この固定費が大量生産をすることで一個あたりの生産コストが安くなる。固定費を細かく分散していけるというわけだ。まずこれで事業を拡大する。

さらには国境を越えて多くの国にいきわたるようにする。市場を求めて国際展開をする。このことを範囲の経済という。新らたに製品開発をするわけではない。製品はできている。ひとつの設計図であらゆる国にセールスができる。設計は一つの拠点でやればいいわけだ。これも経済原理にかなっている。ここまでは正しい。

ただしこれは外資系企業に働いたことのあるひとならわかるであろう。マネージャークラスで働く場合はどんなにがんばってもそれほど給料が高いわけではない。わたしが日本コカ・コーラに就職したのは33歳。しかもマネージャー職での採用でありディレクターということではなかった。そうなると役職らしいものは年齢の手前で会社が都合よくつけただけ。平社員と変わらない仕事内容になっていた。いきなりやりがいのあるプロジェクトにつけるわけではない。

役員や投資家は違っていた。投資家の中にはあのウォーレン・バフェットも名を連ねていたのである。彼はアメリカの富豪の中でもかなり上位にいるひとであり投資会社を経営している。ビル・ゲイツと並んで常に上位に位置していた。

1990年代のはじめ日本コカ・コーラは世界の利益の実に30%を稼ぎ出していた。しかしコーラの売れ行きにかげりが見え始め、今後どうやって新しい製品を市場に展開していくのか。そんなところが話題になっていた。製造部門にいる開発部隊にとんでもないプレッシャーがかかった。20にものぼるレシピをつくり試作品を開発する。それをマーケティング部にもっていき売れというのである。

マーケティング部ではこんなものを市場に出しても売れるわけがない。そういって次から次へと却下していった。マーケティング部と製造部はいつもけんかをしていた。というのは、マーケティング部にも言い分があった。よく試作テストで使われるのは長野県飯田市だった。飯田市というのは日本人の味覚の比較的平均に近いものをもっている。その理由で選ばれていた。そこで新しい製品を試作として展開したところ失敗をしてかえって飯田市の実存するマーケットをぼろぼろにしてしまったのいう反省がある。

ただコーラの売れ行きはかんばしくない。製造部門はあらゆることをして製造コストを下げようとした。当時はサプライチェーン・マネジメント(SCM)という在庫を撲滅する運動を広げていた。実際に行われていたのはボトリング会社の営業拠点である倉庫を減らすこと。効率化のために役職を大幅に減らしていくことであった。それでは物流部門がやる気をおこさなくなる。

しかもこのSCMでアトランタに出張したときのことである。あるヨーロッパの製造部門の担当者と話す機会があった。ヨーロッパではどのように製造コストを下げているのですか。SCMですか。在庫を撲滅し物流拠点をスリム化することですか。

担当者はこう話してくれた。いろいろとやっているがレシピどおりにはつくっていないこともある。原材料の買い付けがうまくいかなかったときにおきる。飲料の製造には原材料は欠かせない。すべては利益のためだった。

わたしはこれを聞いた時にSCMプロジェクトをやろうという気がなくなってしまった。しばらく考えてアトランタから飛行機に乗った。成田空港につくと肩を落としてぐったりとしていた。こうまでして利益を出さなければいけないのか。グローバル化とは利益を出すことか。しかも役員と投資家のためにここまでして仕事をしろということなのか。

わたしにしてはつまらないほど悲観的になってしまった。大学院を卒業したばかりでまだフレッシュだったのかもしれない。フレッシュでそれほど汚れを経験してなかったのだろう。

わたしはグローバル化というのを手放しに喜んではいない。どちらかというと懐疑的である。というのは企業のグローバル化はこれからも進むであろう。それにより低所得から中所得まではいけるかもしれない。ただそのスピードよりも役員や投資家の方に還元される方が大きいということ。しかもその還元のためにとんでもないことまでリスクをローカルサイドで背負うことになる。

コカ・コーラビジネスの中核はレシピともいえよう。それが飲料水の設計図だからだ。無形資産という言い方もできる。しかし原材料の仕入れによってはレシピどおりにつくらない。それは利益をねん出するためだった。せっかくいったビジネススクール。その後に入った多国籍企業。いつも渋谷にあるオフィスの前を車で通ると思い出すことがある。もう少し利益だけでなくなにかに役に立つことを還元したらどうなのか。そして投資家のためだけにマネージャーたちは働くのか。

4年間という短い勤務を終えてわたしは次の職を求めてさまようことになった。